「いきるためのメディア」 知覚・環境・社会の改編に向けて 渡邊淳司/ドミニク・チェン・他
「いきるためのメディア」 知覚・環境・社会の改編に向けて
渡邊淳司/田中浩也 ・他 2010/08 春秋社 単行本 306p
Vol.3 No.0139 ★★★★☆
若き知的論者たちのコラボレーションによる一冊。ほとんどが1970年代の生まれで、30歳台。いわゆるネット社会における、もっとも利用層の多い年代の、もっとも先鋭的な部分による意欲的な論文集だ。それぞれが多義に渡る論を展開しているので、決してまとまりがいいとは言えないが、光るものが随所に多くある。
有史より、個々人の認知限界から生じるさまざまな問題---自然現象の不可知、社会の崩壊などの解決不可能な事象---を回収し、個人を世界と接続し秩序をつくるための機構として「宗教」が機能してきた。「宗教(religion)」という言葉は、ラテン語源に由れば、「re-ligio」=「再接続」を意味する。それは多様な人間からなる集団を共通の物語のもとで統治するという実際的な定義であると同時に、個々の人間が「わたしがわたしとして存在する理由」、言い換えれば自己同一性を担保する物語装置として作動するものとして理解できる。p295ドミニク・チェン「コミュニケーションとしての統治と時間軸の設計」
このドミニク・チェンとは誰だっただろう。どこかで聞いたような気もするが、自分のブログにはまだ記録していなかったようだ。1981年生まれの29歳。若き精鋭が、広く学習してまとめた、という感じがする。
「宗教のない世界」というフレーズはジョン・レノンの樂曲「Imagine」で世界的に知れ渡った。それは宗教が人類史を象徴する大半の紛争の理由として利用されてきた経緯を表しているが、それゆえに共同体を統治するための再=接続装置は「宗教」とは別の概念、別の呼称をもって更新される必要性があるものとしてとらえることもできる。p298ドミニク・チェン「同上」
チェンは巻末で推薦書籍の一冊として中沢新一「森のバロック」を挙げている。当ブログの中沢追っかけは実に貧弱で、途中で放り投げてしまっているので、「森のバロック」を始め多くの近刊を含め未読である。難解かつ癖のある中沢本を、若き先鋭たちは実際に、どのように「いきるためのメディア」として読み解いているのだろうか。興味あるところである。
この本が、現代の仏教関連の良書を量産している春秋社からでていることも興味深い。ここに書かれているのは、いわゆるメディア論であり、インターネットやウェブ、IT関連、そして先端科学についてなのであるが、きわめて人間科学にするどくアプローチする編集方針が貫かれている。
やや学校のテキスト臭があって、一般の娯楽本としての楽しみは少ないが、どこか湧きたつような衝動感に突き動かされる。これは、なんだろう。若き知的衝動、とでも言ったらいいのだろうか。決して熟成した老成した丸みのあるものではない。
全体がひとつの円だとするならば、ここにまとめられているのは、ほんのその円周のとぎれとぎれの破線でしかない。しかも角度で言えば360度のうちの10度くらいしかカバーしていないのではないだろうか。だが、それでもなお、そのわずかな部分を持ってして、全体をイメージさせるという優れた拡張性がある。フラクタルというのだろうか、ホログラムというのだろうか。若さゆえの「生命力」がさらなるイメージをかきたてる。
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