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2010/10/13

『タブレット革命』  iPad登場でわかった“板型PC”の破壊力<1>

タブレット革命
「タブレット革命」iPad登場でわかった“板型PC”の破壊力<1>
松村太郎 2010/09 アスキー・メディアワークス単行本 191p
Vol.3 No.0178 ☆☆☆☆☆

 この本にも「革命」の文字が踊る。いままで革命の名前のつく本は何冊読んできただろう。「レボリューション」とか「かくめい」とか「進化論」とか、いろいろあったが、およそ数十冊はあったに違いない。全読書の約1%くらいだから、決して多いとは言えないだろうが、少なくはない。その内、「当ブログが読んだ”革命”関連リスト一覧」でも作ってやろう。

 全出版物の中ではこれほど多くはないのだろうが、一読書子としての私も、嫌いじゃないフレーズなのだろう。このような煽動的フレーズに挑発されやすいタイプなのかもしれない。ついつい読んでしまってから、「ふ~ん、これも革命なのかぁ」と、ちょっとがっかりすることも多い。

 しかしながら、この本が言わんとしていることは、たしかに「かくめい」に値するかもしれないぞ、と考え始めたりする。それは、アップルが「パソコン」を世に送り出した時、つまり、30年に一度くらいのサイクルの「かくめい」なのかもしれない。かの1980年前後の「かくめい」がなかったら、奥野卓司「パソコン少年のコスモロジー 」などもなかったことになる。

 ましてや、一年半前の「仕事ができる人はなぜレッツノートを使っているのか?」なんていう世界もぶっ飛びかねない可能性を秘めている。この本「タブレット革命」とはいうものの、iPad礼賛の一冊である。しかも、それを仕事や教育に使おうというのだから、先取りと言えば、これほど先取りなことはない。「iPad vs.キンドル」ではなく「iPad vs レッツノート」と考えたら、その対比は一層鮮やかになるのではないか。

 電気を消して布団に入った後、紙だと読めないがケータイだとバックライトがあるから読める、と言います。この意見にはさすがに納得せざるを得ません。ディスプレイより紙の方が読みやすいという概念は、世代によっては過去のモノになりつつあり、大学生になればやむを得ず本や新聞を読む機会があるとは言え、それまでは文字を読む経験はもっぱらケータイやスマートフォンのちいさな画面ばかり、という人が増えているのです。p5「はじめに」

 これでは、キンドルは布団の中で暗闇では読めないので、劣勢となる。筆者は1980年生れの30歳。いかにもデジタルネイティブの世代なのだが、さらにその下の世代のモバイルネイティブの世代について、もはや呆れている様子だ。

 ジョブスは興味深い言葉を使っています。フラッシュが「マウスとキーボードの時代」のものであり続ける一方、iPhoneやiPadは「タッチインターフェイスを備えるモバイルデバイスの時代」の製品であるから、フラッシュはいらない、という主張でした。p18「iPadとは何か?タブレットは何か?」

 Adobe Flashとは、どういうものかは正確には知らないが、ここでの絞り込みにも、そうとうなジョブスの「哲学」や「思想」を感じざるを得ない。

 このように、パソコンの画面の広さと、スマートフォンの何も気にせず、すぐに使えるといういいとこ取りをしているのが、iPadのサファリを使ったウェブブラウジング体験なのです。p35「Google時代の最終兵器、SNS時代の申し子」

 サファリは我がパソコンにもいつの間にかインストールされていて、ちょっと使ってみるのだが、必ずしも使い勝手がいいとは言えない。もっとも正確にインストールされているかという問題もあり、また、タッチパネルとあいまったiPad形式ではないので、何も言えない。

 それぞれタブレット型の端末が世の中で当たり前のように普及することが予測できます。そうなったとき、我々のコンピューターがある日常がどのように変化していくのでしょうか。p51「180度のコミュニケーション」

 たしかにパソコンがなかった時代にはもう戻れない。そして、趣味も仕事もパソコンなしには成立しない21世紀ではあるが、仕事のレベルで言えば、パソコンがメインとなった仕事、いわゆる「仕事ができる人はなぜレッツノートを使っているのか?」レベルの「仕事」が、今後、「タブレット型」に移行していく可能性は少なくない。現場の隅々まで行きわたるには、それなりの時間(3~10年)位かかるだろうが、キーボード&マウスはどんどん消えていく可能性は少なくない。

 タブレットはスマートフォンとノートパソコンの間に位置するコンピュータではありますが、決して、既存のパソコンの延長線上にある、ととらえる必要はありません。同じことが、ビジネスソフトの世界でも起きており、タッチパネル向けに再設計されたアプリは、今まで難しいと敬遠してきた人たちにとっても、広い間口となる可能性を持っているのです。p111「クラウドを操るノマドワーク」

 思えば、白州次郎が英国に留学中にオイリーボーイ(油だらけの車いじり好き)と呼ばれながらベントレーを疾走していた時代に比較したら、私たち一般のドライバーは、車の存在をかなり透明なものに感じるようになっている。パソコンもタブレット化することによって、情報端末を趣味で使おうと、仕事で使おうと、もっと身近で広汎なものになっていくのだろう。ブラックボックス化したり、デバイスが安価になっただけではなく、インタフェースがどんどん簡略化されていく必要がある。

 遊びや仕事に限らず、教育へのiPadの活用法を考えているところは、著者がK大のインターネット・キャンパスで育ったことや、一部、若い人々に向けて講師をしていることに関連があるだろう。

 このタブレット型PC、一個の機械があればいいと言うものでもなく、一部の先進人種が使用していればいいというものではない。インフラがあって、さまざまなアプリがあって、それの存在が当然のごとくであればこそ、グローバルな互いのコミュニケーションがとれるのである。たしかに、これは、あとから見た場合、やっぱり「かくめい」だったな、と誰もが認めるようになるのかも知れない。

<2>につづく

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コメント

 業界全体がMSしかサポートしていないので、私はマック派にはなれなかったが、マックが元気である、というのは絶対支持だね。
 フラッシュについては、複数最新ニュースもあるようだが、実際にそのデバイスを使っていないので、なかなかイメージができない。だが、その動向は気になる。

 アダルトについてだけど、ビデオもネットもそうだったけど、キンドルもまたアダルトが底支えをしているようだ。これは、日米同じ現象があって、しかもその電子書籍の購入者は女性が多いという。
 当然、マンガもあるだろうが、小説が多い、というのも特徴的。キンドルや電子書籍の話題につよくなると、エッチな女性とお友達になれるかも(笑)。

 ところが、ジョブスは、この辺は厳しくて、ジャパンクールとか、カワイイ文化とかロリには、かなり批判的なイメージがある。まぁ、それもいいんじゃないかな、と思う。

投稿: Bhavesh | 2010/10/13 23:51

ジョブズがFlashを捨てたい気持ちは分かりますね。

昔、ブラウザー戦争でネットスケープが負けて、ウィンドーズとマックのブラウザーの主流がIEになった時代がしばらくありました。

この時、MSはマックのIEの質を低く抑えたんです。つまりブラウザーを使ってウィンドーズ優勢な状況を作った。そこでアップルは独自のブラウザー:サファリを世に送り出した。危ないところだった。サファリはLinux系で開発されていたオープンソースのブラウザーをベースに開発された。

iPhone用にFlashをアドビが作ったらしいんですが、質が低くてジョブズはiPhoneに載せるのを拒否したらしい。そこで、HTML5を使えばFlashですることが全部できるので、iPhone: iOS はFlashをサポートしないという結論:アドビへの宣戦布告となるわけです。

iPhoneで自分のサイトが見れるように、それまでの Flashコンテンツを、HTML5 に載せ替えるというサイトが出始めた。なんとポルノサイトが率先してHTML5に移行というのが笑えますが、いつも、コンピュータの先端技術を普及させてきたのがポルノというのが事実ですがね。ビデオとかがそうだよね。インターネットのビデオ技術もそうだった。w

投稿: setu | 2010/10/13 23:12

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