日本人がコンピュータを作った!
「日本人がコンピュータを作った! 」
遠藤 諭 (著) 2010/6 アスキー・メディアワークス 新書: 256p
Vol.3 No.0195 ☆☆☆☆☆
この本のタイトルは意味深だ。日本人がコンピュータの<全部>を作ったかのようにも受け止めることもできるし、<あの>日本人で<さえ>コンピュータを作ったとも読みとれる。まぁ、どちらでもないだろう。ベタなタイトルにするなら「コンピュータを作った日本人」で収まるだろう。
ただ、この本、2010年6月発行だが、実際は1996年に「計算機屋かく戦えり」として出版され、2005年に加筆されて新装版もでていたらしい。それをさらにビジネスマン向けに再編集して今回出版された、ということだが、それだけ人気の高い一冊ということになろう。
コンピュータと言っても、いわゆるアメリカの軍事力の一環として、第二次大戦後に開発された伝説のエニアックの時代までさかのぼるのだから、とてつもない。インターネットも書類もない時代に、新聞記事の切り抜きを片手に、真空管をつないでコンピュータを作った日本人たちがいたのだ。敗戦後の、高度成長期をささえようとする若き日本人たちだ。
ここに紹介されているのは10人のサムライたち。まさにサムライと呼ぶにふさわしい明治・大正生まれの男たちだ。最近日本においては科学畑でのノーベル賞受賞者が続出しているが、そのほとんどは、30年前以上の発見や活躍に贈られていることが多い。判断基準は不明だが、まさに、タイミングさえあえば、この本にでてくる人々は、彼らに匹敵するような人々だ。
「日本は軍需産業を放棄しただけに、民から官へというテクノロジーの流れがアメリカなどよりも早く生まれたんですね。パソコンの普及も若年層へのテレビゲームの浸透がけん引力となったわけで、これが今後のトレンドです。こうした状況を念頭に置いたうえで技術の進むべき方向を検討し、民生技術をより高度な社会資本の整備に利用していくという姿勢が、今後いっそう重要になると思いますよ」p096喜安善市「コンピュータに日本の未来を託した熱血漢」
そもそもコンピュータやインターネットは軍需産業の中から生れてきた、という背景がある。軍で開発されたものが民に払い下げられる、という流れだ。しかし、日本は、軍より民が先行した、という意見である。
「戦争に負けて何とか日本を再建しなきゃいかんという意地のあった連中は消えてしまいました。あるいは、日本はもう一度つぶれなきゃいけないのかもしれませんね」p126和田弘「トランジスタと電子技術の重要性を説き続けた先駆者」
発言されたタイミングは明確ではないものの、黒船来襲以来の明治維新、第二次世界大戦後の復興、そして、バブル経済崩壊後のこの長期低迷経済を見ていると、そろそろ本当に立ちあがらなくては、もう駄目だろう、という危機感がつのる。
「コンピュータは”思想”なんです。私は、コンピュータを知ったとき、これはただの機械ではない、人間の頭を情報化社会型にしていく思想なんだと思いました。」p196平松守彦「電子立国日本の立役者となった若き通産官僚」
今日のこの日本、この地球があるのは、先人たちの先見性ある業績があったゆえなのだと痛感する。
「最近は、羊だとか牛の心臓を利用して、人工心臓にして、血液を流して、しまいには、体の中で動かすようになった。だんだん外でやる機械が人間の体に戻されはじめているんです。肝臓も、胃も、すべて体内に戻されてきた。何で脳の補助道具である計算機だけ頭に戻さないのか、疑問がわいてきませんか?」p218佐々木正「ロケット・佐々木と呼ばれた男」
え!? まさにレイ・カーツワイルの「ポスト・ヒューマン誕生」や映画「マトリックス」を連想するような発言だ。この方、1915年(大正4年)生まれの日本人科学者。御健在であれば95歳の方である。
とにかく、トフラーの「第三の波」などが登場する前の前に活躍した人々がオンパレードだ。この人々の活躍が、2010年の今日、新刊書として登場してくるところに、日本の今日の姿がある。
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