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2010/10/15

かたじけなさに涙こぼるる 祈り白洲正子が見た日本人の信心

かたじけなさに涙こぼるる
「かたじけなさに涙こぼるる」祈り白洲正子が見た日本人の信心
白洲信哉 2010/10 世界文化社 単行本 205p
Vol.3 No.0185 ☆☆☆☆☆

 

 この本には白州次郎は出てこない。当然のことながら、白州正子のほうがメインだ。白州次郎は、車=ベントレー繋がりで、一気に白州一家の関連書籍に目を通した。正子より次郎のほうが親近感があったが、正子となると、その奥に見えてくる風景はまるで違ってくる。そもそも次郎と正子は、一体、なぜに繋がっているんじゃ、と言うほど、極端に繋がりが絶妙だ。

 

 では、細川護煕--白州信哉--白州正子、つながりとなるとどうだろう。元首相、元公設秘書、となると、やっぱり吉田茂の懐刀と言われた白州次郎繋がりのほうがイメージしやすいが、「不東庵」でのやきもの--小林秀雄の孫、となると、「西行」の正子の系譜繋がりとなるのだろう。この本は、後者の繋がりの系譜を追いながら、日本の原風景を追う。

 

 「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」の歌を引き、「西行は、天台、真言、修験道、賀茂、住吉、伊勢、熊野など、雑多な宗教の世界を遍歴したが、『かたじけなさに涙こぼるる』ことだけが主体で、相手の何たるかを問わなかった」と記している。これはまさに、祖母の信心の本質でもあったのである。p177「信心の本質 西行」

 

 確かに、信哉の文章も、正子の足跡も素敵だが、この本においては、ほとんど半分以上を占めている野呂希一のカラー写真の数々が、かなりのインパクトを持っている。独自の世界へと読む者を引きずり込む。アーティストたちにとっては失礼な表現になるかもしれないが、以前読んだ山本卓蔵「惑星、熊野」などの、写真に切り取られた大自然の風景へとの繋がりが広がっていく。

 

 巡礼を果たしたのは1964年、54歳。僕が生れる一年前のことで、冒頭の文章は84歳のときに顧みて書いたものだ。「それから後、私はよそ見をしないようになった」と結んでいる。「五十にして天命を知る」ということだったのか。生涯を通じ、「歩くことが私だった」というのも、無我夢中の経験の蓄積から生れた言葉なのだと思う。p83「神仏巡礼 西国巡礼 第一・青岸渡寺~第九番・興福寺南円寺」

 

 1964年の日本は、東京オリンピックに湧きたっていた。その世間に背を向けるように54歳の正子は日本の風景を求める旅にでる。「それから後、私はよそ見をしないようになった」との言葉が、なぜか初々しい。この時、小学5年生だった私にとっては、この時代こそが、よそ見の始まりだった。

 

 欧米をはじめとする先進諸国の多くは、イスラム教、カトリックにプロテスタントと一神教である。そこには個人的な経験とか、多様な価値観は存在しない。アラーやキリストという絶対神を崇拝し、「何事」かは明確で揺るぎないものである。西洋の履歴書には、リリジョンという欄があり、ホテルに必ず聖書があることに、僕はいつも違和感を覚える。p196信哉「かたじけなさに涙こぼるる」

 

 信哉のいわんとすることは分からないでもないが、これもまた紋切り型で、切り捨て御免、すぎるだろう。現在読みかけた「イスラーム神秘主義聖者列伝」などをめくっていると、「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という心境は、日本人だろうが、イスラムの人々であろうが、あるいは月を目指した宇宙飛行士だろうが、同じく地球人として持ちうる心境でなかろうか、と思う。

 

 いくつもののリンク、いくつものパラレルワールド、いくつもの人生の繋がりの中で、この本は出来上がっている。このような風景を借景することができる白州信哉という書き手は、偉大な遺産を相続したものだと思う。そして、日本に生まれた誰もが、このような遺産を相続しているのだ、と思うと、心が広がり、心がおちつく。 

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