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2010/10/02

新聞消滅大国アメリカ

新聞消滅大国アメリカ
「新聞消滅大国アメリカ」
鈴木伸元 2010/05 幻冬舎 新書 200p
Vol.3 No.0160 ☆☆☆☆★

 1996年に大学を卒業してNHKに就職した、まさにネット時代の頂点に立つ世代(多分30代中盤)のNHK職員が、アメリカに渡って取材し、当地の新聞状況を取材する。「ネット帝国主義と日本の敗北」やら「クラウド時代と〈クール革命〉」やらと、アメリカ文化に「やられて」しまった日本文化の零落を嘆く本が多い中、決して日本ばかりが「被害者」じゃないことを、思い出させる。

 日本では記者として入社し、名を成したものが昇進し、会社の経営を担うことになる。アメリカでは記者として仕事をしてきた人間が経営幹部になろうとすれば、名門のビジネススクールに通い、MBAを取得するなどしなければならない。p49「廃刊寸前サンフランシスコ・クロニクル」

 日本とアメリカのジャーナリズム、特に、もっとも歴史ある新聞発行の舞台裏は、かなり違ったものだ。広告収入に依存した体質、数多くの地方紙が存在するなど、アメリカの新聞を日本のそれと単純に比較することはできない。しかしながら、両国にとってインターネットの出現は大きな打撃であり、特にアメリカの地方紙を強打した。

 ル・モンドのような世界的な高級紙を擁するフランスでも、サルコジ大統領が新聞の救済に動き出すほど、新聞は衰退産業になっている。
 「18歳の若者に1年間、自ら選んだ新聞1紙を購読無料で配布する」
 2009年1月下旬。マスコミ関係者を前にサルコジは大胆な策を発表した。
p93「続々と消滅する新聞」

 かなり偏った政策に思えるが、日本だって「エコ減税」やら「高速無料化」など、自動車産業を救済するためのなりふりかわまわない政策が横行している。個人としてその恩恵を受けているのだし、それが自国ないしは世界の経済復興に益しているとするなら、敢えてその策に協力するしかない。自分がフランスの18歳なら、やっぱり喜んで新聞を読むだろうと思う。そして1年後にはやっぱり読まなくなるだろう。

 1968年の五月革命を機にジャン=ポール・サルトルが設立に動き、5年後に創刊した左翼の代表的新聞リベラシオンも、経営悪化に直面している。(略)
 資本主義へのアンチテーゼを掲げ創刊した新聞が、資本主義の権化とも言える金融一族ロスチャイルドに支援を仰ぐというのは、あまりに皮肉な結末である。
p95同上

 インターネットが登場したことによって、その時点ですでに近未来として予測されたことがたくさんあった。当然のことが起こりつつあるのだが、それが現実化していけば、ひとつひとつがあまりにも強烈な体験となる。

 グーグルは、一時、新聞社の買収に動くのではないか、と噂されたこともある。具体的な買収相手として、あのNYタイムズの名前があがったこともあった。(中略)
 グーグルが買収に踏み切らなかった理由は、検討は行ったが、どの新聞社も負債額が大きく、あまりにリスクが大きいということが一つ。だが、それ以上に大きな議論となったのは、「技術とコンテンツの垣根を越えてよいのか」という点だとフィナンシャル・タイムズは報じている。
p108「新聞に取って変わるメディアは何か」

 つまり、グーグルはコンテナ産業にとどまることを決意した、ということになるだろう。コンテナの在り方で、コンテンツ産業がめちゃくちゃに変化してしまった。グーグルが今後コンテンツ産業に変貌しないとは言えないが、とにかくコンテンツ産業が、今後の姿を、自らの網膜に結像できないでいるのは間違いない。

 これまではツイッターは無料のサービスしか提供していなかったが、これを機に企業の広告を手掛けるようになれば、新聞社の広告収入はさらに激減すると思われる。
 それと同時に、新聞社にとっては、ツイッターの普及に伴い、新聞が読まれる時間がさらに減るという危惧も大きいだろう。
p138同上

 そもそも、「真理」に到達する道として「ジャーナリズム」に対しては醒めた目でしか見ていないので、ジャーナリズムそのものがどんな形になってしまったとしても、個人的には残念だとも思わないし、やったー、とも思わない。それはそれまでのことなのだ。しかし、こと「真理」に至る道に到達する点において、ジャーナリズム自らが「目覚める」かどうかは、かなり関心を持って見続けたいとは思う。

 住民の意向を取り入れて活動してきたNPOが、指針とすべきコミュニティの空気を読みとれなくなっている。
 これまでアメリカでは地域ごとの地方紙が無数に存在し、コミュニティを支えてきた。
 新聞がなくなったことで、地方行政の権力を監視するという最大の機能が失われると同時に、アメリカ社会は、「コミュニティ崩壊」という聞きにもさらされている。
p149「新聞がなくなった街」

 アメリカと日本じゃ「街」のでき方が違うし、なんだかこの辺は浪花節的になっていて、情操に訴えかけられてしまうが、「コミュニティ崩壊」は、なにも新聞がなくなってしまうことだけに依存しているわけではあるまい。日本においてはすでに「無縁社会」が蔓延している。隣は何をする人ぞ。ごちゃごちゃ暮らしていても、すでに地域力は失われている。街でも、村でも。

 若い世代では、テレビも新聞も、パソコン(インターネット)や携帯電話には全く歯が立たないのだ。もちろん、パソコンや携帯電話は、単なる情報源となるだけではなく双方向のコミュニケーションのための手段でもあり、テレビや新聞とは単純に比較できない。それでもこの差は圧倒的だ。p187「日本の新聞はどうなるのか」

 事実は事実として受け入れていかなくてはならない。

 防水タイプの携帯電話がどうして続々と登場しているか知っているかと質問され、トイレに落としたりする人が多いから、と答えたら、一笑に付された。「いまの高校生は、お風呂の中でも携帯電話を手放さない」。
 10~20代にとって携帯電話は、24時間まさに四六時中、肌身離さず持っているものになっているのだ。
p187同上

 自分だって若い時、風呂に入りながら、新聞を読んだり読書したりした。防水ラジオや防水テレビだって、風呂場に持ち込んだ。残念ながら、今使っているガラケーは防水タイプではないので持ちこまないが、防水タイプだったら、たまには持ちこんで、のんびり風呂に浸かっていたい気分は分かる。

 ロシアが微増だが、それ以外の国については、大きく伸びていることがわかる。実は新聞が直面する激しい現実は、先進国に特有の問題なのだ。p196「あとがき」

 ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ。ここで取り上げられて比較されている国々のインターネット状況や、そこに至るプロセスを考えれば、この先進国特有の問題とは、当たり前の結果でもあるようだ。いずれ他の国もそうならざるを得ないだろう。

 新聞を取り巻く環境が厳しいというのはだいぶ前から言われている。この本はその状況を、とくにアメリカの新聞の状況を取材してまとめた一冊だ。ひとつひとつはセンセーショナルな切り口だが、総体的に見れば、それはそれで当然の歴史の帰結だ、と納得せざるを得ないことが多い。

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