ネット帝国主義と日本の敗北 搾取されるカネと文化
「ネット帝国主義と日本の敗北」 搾取されるカネと文化
岸博幸 2010/01 幻冬舎 新書 211p
Vol.3 No.0158 ☆★★★★
閉館間際に図書館に駆け込んで、背表紙をみただけで借りてきた何冊かの本の中の一冊。表紙を開けてみて、見返しにある著者紹介の写真を見て、ちょっとがっかり。ああ、この人の本なのか。
この人の顔は、この数年、よくテレビで見るようになった。特徴的な風貌なので覚えやすいし、その口調も特徴的だ。すくなくとも、通産省の役人をやっていて、アメリカに5年間留学したことがあり、竹中平蔵の補佐官をやっていた、マックユーザー(p178)な彼の本は、最初の最初から、最後の最後まで「エクスキューズ」の連続だ。
この人、それほど気にして見ていたことはないのだが、テレビに登場する度に、肩書がちがう。役人だったり、企業人だったり、知識人だったり、評論家だったりする。つまり、どんな立場でも、「なんでも」語ることができる「能力」があるということである。
だから、今回、私はこんなことを語るけれど、こうこういう理由で、こう書いているけれど、そうそう、あなたがそういう疑問を持つのは当然のことで、それについて、私はこういう反論をすることができますよ、ということを延々とやる。つまり、面白くない。
言葉の重み、ひとつひとつが軽いし、ウソ臭い。かつて、三船敏郎がテレビコマーシャルにでて、「男は黙ってサッポロビール」ってやったのを忘れたか。有言実行どころか、無言実行が日本男子の心意気なのだ(てか)。それなのに、この男、有言不実行。重ねる言葉がいちいち軽い。
役人であってみれば、その時にやればよかったじゃないか。アメリカに行ったのなら、そのときに、自爆テロでもやればよかったのではないか。企業人になったのなら、その時に、莫大な利益でも挙げて、NPOにでも寄付すればよかったじゃないか。
この本のでた2010年1月における彼の肩書はKO大学院教授+その他。もうなんでもいいよ。「ビジネス書『もどき』に拉致されないための『7つの習慣』」(「ビジネス書 大バカ事典」より)の教訓を忘れたか。
1)タイトルに騙されない
2)能書きに騙されない
3)著者の経歴に騙されない
まさにこのジャンルにさえハマってしまうような人物ではないだろうか。いろいろ部分的には引用しないでもないが、所詮、それは彼にとっては三百代言の材料にすぎないので、出典としては、もっと堅実な人物の表現物を使ったほうがましだ。
この本を読んで思ったこと、いくつかをメモ。
1)コンテナ、コンテンツ、コンシャスネス、において、一番、ビジネスと親和性のあるのはコンテナ産業だ。
2)コンテンツ産業は、文化やジャーナリズムも含まれているが、そもそもビジネスで割り切るには難しい分野が残る。
3)コンテンツをビジネス化するには、コンテナ化のほうに、下方に引っ張るしかない。
4)コンテンツはそもそも、ビジネスにならないことが多く、それをビジネスや職業とすること自体、どこか無理があるのだ。職業的芸術家、職業的ジャーナリスト、と言えば聞こえがいいが、ビジネス芸術家、ビジネスジャーナリストなど、どこか、最初からいかがわしい。
5)コンシャスネスは、ビジネスから最も遠い位置にある。そもそも、それを乗り越えているからこそコンシャスネスと言われるわけで、そこはさらにメタコンシャスへと自己昇華を果たすべく精進すべきなのだ。
6)コンテンツは下方に向かうこともできるが、コンシャスネスに向けて上昇することもできる。あるいは、コンシャスネスを失ったコンテンツなんて、屑だ。そんなもの、滅亡してしまえ。
7)コンシャスネスは、下方に向けて光り輝くことができる。コンテンツやコンテナは、コンシャスネスの光を追うべきだ。
この本に私が張り付けた付箋は約80枚ほど。まったく意味のない本とは思わない。しかし、幻燈舎の本というコンテナ性、竹中平蔵子分の屁理屈というコンテンツ性から、さらなるコンシャスネスへと駆け上がる光が、この本にはない。批判や批評をすれば、さらなる形で、ヘラヘラと反論する著者のアホ面が連想されて、なんだか空しい。
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