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2010/10/03

デフレの正体 経済は「人口の波」で動く

【入荷予約】 デフレの正体
「 デフレの正体」 経済は「人口の波」で動く
藻谷浩介 2010/06 角川書店 新書 270p
Vol.3 No.0161 ☆☆☆☆★

 オーソドックスな直球を投げる正統派投手のようでもあり、ミラクルな変化球を連騰する個性派投手であるようでもある。どちらなのだろう。手法は、政府発表などの公的統計、とくに誰でもネットでダウンロードできる数字だけを重視する。テーマは日本経済のデフレ。銀行筋の仕事を担当するMBA資格者の言うことなら、とりあえず話は聞いてみようということで、過去3000回の講演をこなしたという。

 なんだか面倒くさそうなので、巻末を見ると、「おわりに---多様な個性のコンパクトシティたちと美しい田園が織りなす日本へ」という結論になっている。これは、基本的に賛成。あまりにモンスター化して巨大都市中心となった日本のありかたには賛成できない。せめて、20万人が棲む程度のコンパクトシティが連なる日本列島のほうが素晴らしいと思う。

 そう思ったのだが、著者は結論だけでなく、途中経過もキチンと読んでほしいという。結局、著者の言いたいのは、高齢化(化じゃなくて高齢)社会と、出生率の低下による若年層の現象、つまり15~64歳の現役世代の現象が、デフレの原因であるという。ましてや、そのデフレと景気の関係は、世間で言われているようなものではない、と主張する。

 巨大統計を使ったマクロ経済では納得できないものがある。個人的なライフスタイルを考えれば、我が家の出生率はとりあえず全国平均を上回っており、男性も女性も平等に補給したことになる。現状維持しただけで「増加」させることはできなかったが、まぁ、個人的には納得。ただ、周囲を見ると、親戚や友人たちの中には、やはり人口「減少」を追認している家庭がかなりある。

 高齢社会については、これは仕方ないことだが、できれば、生涯現役で、65歳以降も働くつもりだ。もともと健康であれば、昔も今も、生涯現役であることが理想であると思う。そして、実際はどうなるか分からないが、私たち夫婦は、自分達が万が一、植物化した場合、いたずらな延命には妥協的ではない、という結論に達している。つまり、「死」についての、前向きな人生観を持つべきだと考えている。

 住んでいる地域も巨大都市には住んではいない。業種的にも、多分、2万人都市でも棲息できるであろう。もっともそれはスタンドアローンで成り立つ仕事ではないし、いずれはマクロ経済に依拠しなければならないので、あまり大きなことは言えない。現在、海外移住は無理だが、もし仕事がネット完結型になるなら、将来的には世界中、居住の可能性は限りなく広がる。

 統計の読み方も、単なる前年比だけで読むべきではなく、もっと長期スパンで読むべきだ、というあたりは、当たり前のようでもあり、なぜ当たり前のことが出来ていないのか、と不思議に思ったりもする。世界的には人口は暴発中なのであり、地球環境問題の大きな要因でもある。むしろ、日本は、世界に向けて人口減少を提言すべきではないのか。

 それにしても思うこと。お釈迦さまは人口増加には殆ど協力的ではなかった。弟子筋も、生涯独身を通した人々が世紀を越えて多かっただろう。Oshoも結婚ばかりでなく、子育てにもあまり積極的な方向性は示さなかった。そもそも、家庭生活は、煩悩のかたまりなのか・・・?

 だいぶ前だがGDPを簡単に上げる方法があるという話を聞いた。自分のところの奥さん(自分自身でもいいのだが)が隣の家の炊事洗濯をして5万円をもらってくる。そして、隣の家の奥さんが(ご主人でもいいのだが)我が家にやってきて炊事洗濯をする。そして5万円を払う。これだと、お互いに財布の中身は同じである。そして、日本のGDPは10万円あがることになる、というのである。

 もっとも、これが日常化していて、隣の奥さんがスーパーでお惣菜を作っていて、その隣の奥さんが掃除会社で掃除をしている。自分のところの奥さんが介護サービスの仕事をしていたり、洗濯の仕事をしていたりしていたら、結局は、もともと通常の家庭で行われていることを、数量的に経済指標に移し替えているだけなのではないだろうか。いわゆる景気やGDPなどは、どっか数字マジック、ゲーム感覚の錯角の中で行われていることではないのか、という疑問は限りなく湧いてくる。

 デフレでもインフレでも、表現はどちらでもいいが、何でも値上げでギュウギュウいじめられた時代もあったが、その頃は給料も上がり続けた。貯蓄も増えたが、自分の欲しいものがどんどん値上がりしていくのは困ったものだった。

 デフレ時代においては、欲しかったものが、あ、こんな値段になっていると、ビックリすることの連続ということになったが、財布の中に金がない。いや、なくもないのだが、どんどんへそくりが減っていると、安い物さえ手がでなくなる。必要なものしか買わない。いや、その「必要」という意味さえ変化してきた。

 立って半畳、寝て一畳、人間生きていくのに、本当に必要なものなんて、実は限られているのだ。なければないで、なんとかなる。自分はビンボーだなぁ、と思いたくないけれど、質素でシンプルライフを実行しているのだ、と思うことができるなら、健康な基本的生活を実現することはそれほど難しいことではない。ましてや存続可能な地球環境のことを考えれば、地球人の基本的なライフスタイルはもっと変わってもいい。

 この本、なかなか示唆に富んだ面白い提言がいくつも含まれている。しかし、一番学ぶべきは、公的な資料をもっと活用しようということだ。そして、それは一長一短に身につくものではない。マクロ的な視点は必ずしも、一生活人としては必要ないことが多いが、ネットなどで限りなく資料が提示されているのであれば、マスメディアの情報などばかりをあてにするのではなく、自分で積極的にデータを取りにいく必要性があることを強く感じさせる。

 もっとも、いかようなデータであっても、鵜呑みにすることはできないし、データそのものが改竄されていたり、意図的に出されたり隠されたりしている可能性もあるので、長期的なスパンで使っていく必要がある。そしてまた、いかにデータに裏付けされていたとしても、一生活人としての直感や生の感覚は、大事に残しておくべきだということだ。

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