「『2001年宇宙の旅』講義」 巽 孝之<1>
『2001年宇宙の旅』講義 <1>
巽 孝之 (著) 2001/05新書 平凡社 205p
Vol.3 No.0207 ★★★★★
道中には、人間になれないことを恨んでいる人間を襲う原人が多いが、いっぽう、アシュバイン本人は、もともと「来る者(アーガタ)」どころか、人間以上の「その如くに来たりしもの」すなわち「如来(タターガタ)」である可能性があった。p133
この部分は、夢枕獏の小説「上弦の月を喰べる獅子」を解説している一説である。まさか、ここにこのような言葉を発見するとは思わなかった。当ブログでの夢枕獏についての読書は「西蔵回廊 カイラス巡礼」しかない。どうも小説やSFは面倒くさそうなので回避し続けているのだが、ない処にない物を探すより、ある処にある物を探すほうが早い、と気付くべき時が来ているようである。
「アガータ:<彼>以降やってくる人々」。これこそ、当ブログの裏テーマである。アガルタ探検隊を派遣して、密かにその消息を探ってきたが、こんなところにも、あからさまな足跡があったとは驚きである。この小説、86年から「SFマガジン」に連載された、ということだから、時代もピッタリ合っている。
巽孝之の名前は「ポスト・コンピュータの世界」などにちらりと見える。映画論、SF論をはるかに超えて、人間論、意識論にまで辿ろうとするこの本は名著だと思う。一度には理解できない。新書本だから、読むのは簡単だが、この本をインデックスとして使って、あちこち散歩することができるほど、中味は濃い。
最近は、すっかり、アンドロイド端末+FON回線+ツイッター、という支線にはまり込み、これがなかなか楽しくて、そちらに力が傾いている。文字ひとつ打つにも面倒な小さなキーボードを使って、小さな画面で、しかも、繋がらない回線を探し求め、わずか140文字を打つために、なぜにそれほど苦労しているのか、と思う。
おかげで、こちらのブログの更新もままならなくなった。いくつもネタはあったのに、そのタイミングを失いつつある。思えば、ちょっと残念で、方向違いではないか、と思ったりもする。しかしながら、これでいいのである。当ブログは、多弁に過ぎる。散漫に過ぎる。そろそろ、コンパイルしなければならない。
モノリスは、必ずしも霊長類400万年の歴史を辿るわけではなく、たんに人類の20世紀100年間の進展を総括する媒体かもしれない。冒頭の猿人は20世紀前半、いまだテクノロジーにおいて原始時代に置かれていた現代人自身であり、結末のスター・チャイルドは20世紀末以降、メディア病時代の羊水にどっぷり浸かり切るわたしたち自身であるかもしれない。かくして「2001年」をめぐる思いは、いまなお尽きることがない。p202 「あとがき」巽 孝之
本著はなかなかの好著である。思えば、映画の中で起立する長方体のモノリスは、閉じたノートパソコンにも、スマートフォンにも見えてくるのだから、最近の私はどこかイカレているように、自分でも思う。
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