反逆のブッダ Oshoの軌跡<2>
「反逆のブッダ」 Oshoの軌跡
ヴァサント・ジョシ著 プラブッタ訳 1984/10 めるくまーる社 原著1982
「OSHO The Luminous Rebel」の元本は、こちらの「反逆のブッダ」だった。すでに絶版になって久しい本で、復刊ドッドコムで26票ほど獲得している(26票かぁ)。もっとも、「反逆のブッダ」は82年に英語で出た本の翻訳であるし、名前も「バグワン・シュリ・ラジニーシ」になっているので、単純に復刊されても、あんまりおもしろくない。
発行者も、先日読んだ「ルポ現代のスピリチュアリズム」にも登場していた和田禎男となっている。翻訳者も、今や「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」のほうで名高い星川淳。当時、ほぼ同時に発行された「地球感覚、」では、さんざんOshoをこきおろししているわけだから、やや分裂状態の中での翻訳作業ではなかったか、と察する。
しかし、「反逆のブッダ」と「OSHO The Luminous Rebel」を見比べてみれば、ハッキリ違うのは、後者が、1982年以降のアメリカ・オレゴン州や世界ツアー、プーナ2、そしてOshoが肉体を離れる場面までレポートしているところである。その本がこの2010年にでたとすれば、英語が読める人はそれを読めばいいだろうし、翻訳ができる人はそちらを翻訳するのが今日的な意味合いということになろう。
「読書マンダラ2006~10」において、玉川信明の「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」を列挙しておいたのは、書物や研究としてはかなり不足するものの、現代にOshoを問おうとした日本の書籍としては稀有な本であると思えるからだ。伊藤雅之の「現代社会とスピリチュアリティ」や、長澤靖浩「魂の螺旋ダンス」にでてくるOshoほどには、突き離されていない。
玉川はOshoとトランスパーソナル心理学との比較融合の中に何事かを見つけようとしたが、ウィルバーの「インテグラル・スピリチュアリティ」などと読み比べてみれば、はっきりするように、その方向性はハッキリと違う。Osho「禅宣言」などを読んでみれば、その意味合いが、まったくの真逆であったりすることが、よくわかる。
必ずしも新刊ではないが、マックス・ブレッカーの「OSHO:アメリカへの道」も、客観性を強めたジャーナリステッィクな面からのOshoの捉えかえしだが、史実の整理という意味で大きな意義があるが、すくなからず2010年という時代性をつかみかねていることも事実である。などなど、そんなこんなを踏まえた上で、当ブログの新たなるカテゴリ「メタコンシャス 意識を意識する」がスタートすることになるのだろう。
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コメント
この記事は1・0からの続きで、来ている。ぜひ遡った記事にも目を通してほしい。
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投稿: Bhavesh | 2018/08/31 22:42