上弦の月を食べる獅子<2>
<1>よりつづく
「上弦の月を喰べる獅子」 <2>
夢枕 獏 1989/08 早川書房 単行本 572p
★★★★★
そろりと、「メタコンシャス 意識を意識する」カテゴリが始まっている。らせん構造の、一段ステップアップする地点に存在する一冊。
「これもまた、アーガタよ。おまえや、わたしと同じにな---」
アシタが言った。
「アーガタ?」
「来るものよ」
「-----」
「わたしと同じように、意志によってこの地にやってきたものたちの、なれの果てだ」
「え?」
「彼らは、瞑想(ヨーガ)により、また薬により、この地まで実体を持たずにたどりつき、この地より帰れなくなってしまったものたちなのだ」
「現世の肉体が死んでしまったということですか」
「そういうものもいる。”その如くに来りしもの”---つまり如来(タターガタ)になれずに、この地にしがみついているものたちだ」
「なんですって?」
「おまえに教えておいてやろう。この世界にあるものは、全て、アーガタか、過去においてアーガタであったものたちばかりなのだよ」
「----」 p234「六の螺旋」
当ブログの裏テーマである「アガータ:『彼』以降やって来る人々」におけるアガータと、夢枕獏におけるアーガタとは、象徴するものとしては同一のものであり、一般にアガルタと表記される現象と同一のものとして見なすことも可能である。しかしここに表現されているアーガタはあくまでも夢枕獏の世界であり、彼の理解を出ない。そして、なおかつ、この世界を表現するものも少ない。ゆえに、その世界を探求するうえで、数少ない重要な手がかりの一つとなる。
「アーガタよ。およそアーガタは、すべて、問うものだ。あらゆるアーガタは、答えを探している問である。だがアーガタよ、正しい答えが欲しいなら、正しく問うことである。何故なら、正しい問いの中には、答えが含まれているからである。真に正しい問は、答そのものですらあるのだ---」 p257「七の螺旋」
巽孝之は、この小説の中に、クラーク+キューブリックの「2001年宇宙の旅」の理解と展開の果ての一つの結実点を見る。
70年代末に着想された夢枕獏の「上弦の月」もまた、81年の原形質的長編「幻獣変化」を経由し、86年から<SFマガジン>に断片的に連載されて---著者の言葉を借りれば「十年の旅」を経て---ようやく89年に完成したが、はたしてそれは宮沢賢治を主人公に、仏教哲学に根ざす螺旋状時空間によって欧米SF的超進化論へ挑戦するという、日本SF随一の困難な峰を征服した作品に仕上がった。巽孝之「『2001年宇宙の旅』講義」p130
今回、この小説を通読してみて、はて、これがSFというジャンルで語られていいのだろうか、と違和感を感じないないこともない。伝記バイオレンスとやらのジャンルの書き手とみられる作家における一作品であるが、位置づけはなかなか微妙な工夫が必要だ。
「アーガタよ。聴きなさい。およそこの世のあらゆる力の根本は、螺旋力である。生命という力の根本も螺旋力である。火という力の根本もまた螺旋力である。動くという力の根本もまた螺旋力である。光という力の根本もまた螺旋力である。重力という力の根本ものまた螺旋力である。アーガタよ。およそ、この世に存在する力で、螺旋力でないものはないのだ。この世に存在する力の全ては、螺旋力がそれぞれに、形をかえたものなのである---」p455「十の螺旋」
この小説の中には、宮沢賢治の世界が色濃く反映されている。半分、いやそれ以上が、賢治ワールドに依拠している。あるいは、夢枕自身、「月に呼ばれて海より如来る」や、パロディ「上段の突きを食らう猪獅子」を書いており、他の作品との関連の中からこの一冊を見直す必要があろう。
クラーク「2001年宇宙の旅」にしても、「2010年」、「2061年」、「3001年」などの続編のなかから逆照射される必要がある。キューブリックにしても、「時計じかけのオレンジ」、「ロリータ」などのとのなかから見直されなければならない。もちろんOshoのミステリースクール・シリーズの再読も必要だ。
しかし、一つのカテゴリの終結点と、新しいカテゴリの始点において、あまりに拡散した混沌をイメージするのはやめておこう。ここで留意すべきはアーガタ=アガータ=アガルタ、であり、あるいはタターガタ、という対置されているシンボルである。それは如来という漢字に置き換えられてもいるが、当ブログワードとしては「彼」が対応する。
「つまり、双人よ、因果よ、おまえより以前に、これまで何人のアーガタが、この場所を訪れたかと問うこともまた、無意味なのである。まだ誰も、ここは訪れていないとも言えるし、すでに無数のアーガタが訪れたとも言えるからである---」p531「十の螺旋」
ここに止まり、今にいる。アーガタ=アガータでいることでこそ、表現され得る世界がある。タターガタ=「彼」に至る道程でありながら、いま、ここに、立つ、ひとりの地球人であることこそが、当ブログの原点である。
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