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2010/12/20

神秘家の道<9>

<8>よりつづく 
神秘家の道
「神秘家の道」 <9> 珠玉の質疑応答録
OSHO/スワミ・パリトーショ 2009/03 市民出版社 単行本 884p

 ふと気づいて見れば、この本についての書込みは9回目となる。とてもそんな感じがしない。いや、まだ読み始めてもいない気さえしていた。そもそも、Oshoの本は、私にとってはどの本もそのようなイメージがある。特にこの本は、全体としては新しい部類の本だけに、その感がさらに強い。

 「No Books No Blogs」のカテゴリを締めるにあたって、この処、三冊の本に集約点を見いだしている。正確には、一枚のDVDと、一冊の小説と、一つの講話録だ。一枚目のDVDは「2001: A Space Odyssey」だ。アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」シリーズの中の一冊というより、キューブリック監督の、この映画の方がより興味を引かれる。というのも、この映画において、当ブログとしての「第三の波プロジェクト」の集約点を象徴させようとしているからだ。

 二番目の小説とは、夢枕獏の「上弦の月を喰べる獅子」。この小説家がどのような存在で、どのような作品を書いてきたか、まったく知らない。しかし、巽孝之によれば、この小説は、アーサー・C・クラークの一連の作品に対する、日本SF界、あるいは東洋的仏教理解の、ひとつの止揚として書き上げられたものである、という。

 当ブログからすれば、この小説における「アーガタ」が注目ワードなのであり、「アガルタ探検隊」を象徴する一冊となって欲しい、という眼目がある。何れ、狭いコンセプトに収まりきれない流動性の高い作品群に対して、何かの集約点を見いだそうとするのは、なかなか困難なことではあるが、一枚の映画DVDと、一冊の大長編ファンタジーには、右と左のバランスのとれた対称性を見つけることも、不可能ではない。

 さて、この二つの作品に、コンテナ、コンテンツ、を象徴させ得るとしたら、残すコンシャスネスは、当ブログとしては、Oshoに託す以外に方策はない。数あるOsho講話録の中から、何を持って、その象徴たるべき一冊とすればいいのか。

 本来、この地点において、こだわりたいのは、86年8月、という時空間である。「2001: A Space Odyssey」はすでに60年代に発表されたものであるが、「2010年」として、80年代半ばには、新たな展開をはじめている。「上弦の月」もまた、70年代から構想されていたとは言うものの、SFマガジンにおいて連載が開始されたのは1986年。89年に完結し、単行本として、刊行された。

 86年8月のOshoとなれば、ボンベイにおける「The Last Testament, Vol 6」と「The Osho Upanishad」ということになる。英語本は持ってはいるが、ここはむしろ、Oshoミステリースクールの一環として、最近刊である邦訳「神秘家の道」に、その象徴を託すのが、順当のように思えてくる。 86年5月のウルグアイにおける講話録だが、インドへの帰還、ミステリーワークのスタートなど、込めてみたい意味合いは様々ある。

3_3 

 しかしまた、「神秘家の道」を、当ブログにおける一つの結線点における重要なポイントにしようとすると、実は、これもまた大変なことなのである。拡散しようとするエネルギーと、多義性の中で、溺れて、方向性を失いかけてしまいかねない。

 まぁ、いいだろう。どうであれ、我がブログがどんな拘泥にはまり込んだとしても、私の命脈が断たれてしまうわけではない。次なるステップが必ずや見えてくるはずである。神秘の存在へと、信頼の橋をかけよう。

<10>へつづく

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