ニューマン 未来への唯一の希望<2>
「新人類」 ― 未来への唯一の希望 <2>
Osho スワミ・パリト-ショ訳 瞑想社 1989/02 出版:めるくま-る 153p
★★★★★
Osho言うところのニューマン(New Man)は、1986年度に流行語大賞となった「新人類」とは何の関係もない。Wikipediaによれば「新人類」という流行語は、1984年、マーケティング情報誌の『アクロス』(パルコ刊)が最初に提唱し、同年に筑紫哲也が10代から20代の若者との対談を行う企画「新人類の旗手たち」を『朝日ジャーナル』に連載した、とされている。
だが、先に見たように、Oshoは70年代からニューマンの単語を使っており、その翻訳として、ブックレットやニューズレターの日本語訳が「新人類」という訳語を使用していた可能性がある。その先端性を、広告業界のコピーライターたちが拾い上げ、後に日本独自の意味付けがされた、と私は思っているのだが、確証はない。
いずれにせよ、Osho自身はNew Manを使っており、時にはホモ・ノヴァス(ラテン語で新しい人間)とも言ったが、新人類とは言っていない。当時の日本のモダニズムから「新人類」と翻訳されたのは、話題性から見て妥当性があったかとも思われるが、2011年の現在、当時を振り返ってみると、この訳語には、大きな問題があったと言わざるを得ない。
古い人間は、群衆だった。車輪のひとつの歯車だった。古い人間は、個人としての人格を持っていなかった。自分が人間であるという、自分が長い長い進化の道における最高の創造物であるという、自分こそがその頂点としての栄光であるというあなた方の自敬の念を、尊厳を、喜びと感謝を破壊するために、支配者たちはあらゆる配慮をしてきた。Osho p10「ニューマン」
新人類という言葉には、「群衆」のニュアンスがある。ある時代以降に生まれた世代とか、多数が束になって登場してくるようなイメージが付きまとう。しかし、それは違う。Oshoの言うニューマンは、自らが個人であることに目覚めたものを言う。だから、結果的に多数を占める未来があるとしても、それは群衆にはならない。意識に目覚めた全体的な個人としての人間、ひとりひとりの存在こそが優先される。
当ブログでも、読書生活の途上、実に気になる言葉に出会った。それはマルチチュード、という。ネグリ&ハートの「マルチチュード」という本の発行とともに21世紀の初頭の読書界をにぎわした概念だが、ここに来て、いまいち新しい発展がない。
マルチチュードのもとの意味は「群衆」だ。そもそも、ソビエト連邦や東欧社会の社会主義政権の終焉に遭遇し、ネグリ&ハートたちが、現代の新しいネットワーク社会を受けて、新たなるコミュニズムを提唱しているかに見える。彼らのマルチチュードは、たしかに自らが「ラクダ」であることを拒否し、「ライオン」であろうとする。その獅子吼は見事ではあるのだが、そこから、新たなる「子供」への糸口が見えていない。
ニューマンとは、すべての過去に対する謀反だ。それは、私たちが新しい生き方、新しい<生>の価値を創造してゆこうとしているという宣言だ。自分たちは新しい目的地に向けて運命づけられているのだという、はるかかなたの星が私たちの目標なのだという宣言だ。
そして私たちは誰にも、どんな美名のもとにも、自分たちを犠牲にすることを許すつもりはない。私たちは理想に従うのではなく、自分自身のあこがれ、自分自身の強烈な直感に従って、自分の生命を生きるつもりだ。私たちは一瞬一瞬を生きる。私たちはもはや「明日」に、明日に対する約束によってだまされるつもりはない。Osho p11「ニューマン」
当ブログのマルチチュードへの想いは、この辺あたりで、ニューマンへの想いへ、とスライドしていく必要がある。
ニューマンとは、別の惑星からやって来るものではない。ニューマンとはあなただ。その若々しさのなかの、その沈黙するハートのなかの、その瞑想の深みのなかの、その愛の美しい空間のなかの、この地球に対する愛のなかの、あなただ。どんな宗教もあなたに、この世を、この大地を愛するようにとは教えない。そして、この大地こそがあなたの母親、そしてこの樹々こそがあなたの兄弟、そしてこれらの星々こそがあなたの友人だ。Osho p13「ニューマン」
ニーチェの超人と、Oshoのニューマンが同じことを意味しながら、まったく異なる、とは、ニーチェはそのモデルを書きあげたが、Oshoは、自らがその実存モデルを生きた、というところにある。これらのコメントは、Osho「The Golden Future 32」1987/05/27から抜粋されている。
思えば、本日、2011年1月19日は、Oshoが肉体を離れてから、ちょうど21年目にあたる。あの時のあの「夢」は、21年後の今日、ここで、ニューマン、として生きている。
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コメント
Monju
確かに僕も、ニューマン、とした方が使いやすい。いずれにせよ、言葉は言葉だ。
精神世界、ニューエイジ、スピリチュアル、トランスパーソナル、などなど、そもそもの意味と、流通する過程においての変質は、一定程度やむを得ないものがあるのだろう。
ここではとにかく、Oshoが言うところのNew Manの、真意をつかむことが先決のようだ。
投稿: Bhavesh | 2011/01/19 17:03
ニューマンを,新人類と訳したのは、まったくの誤訳だと、ぼくは思います。
投稿: Monju | 2011/01/19 12:26