死後探索1 未知への旅立ち ヘミシンク
「死後探索1」 未知への旅立ち
ブルース・モーエン (著) 坂本 政道 (翻訳), 塩崎 麻彩子 (翻訳) 2005/12ハート出版 単行本 397p
Vol.3 No.0226 ★★☆☆☆
ヘミシンク。どこかで聞いたようでもあるし、誰かがこのセッションをしている、と聞いた気もする。「モンロー研究所のヘミシンク技術が可能にした死後探索」のコピーが表紙に踊る。まぁ、それでもすでに閉架図書として書庫にしまわれているのだから、通常なら目にもとまらなかったのだが・・・・。
なにげなく、「神秘家の道」の照校者でもあるパルヴァの個人ページを見ていたら、「モンロー研究所訪問記」2010.04.21 という文章にぶち当たった。まだ一年も経過していない最近のことだ。読むともなく目を通していると、なるほど、「ホンマかいな」という感じのお話の連続。通常ならここで別のページに行くのだが、ここからがパルヴァ氏の行動力の見せどころ。
好奇心においては当ブログも人後に落ちないと自負するものではあるが、パルヴァの行動力には目を見張るものがある。時間と経費をおしむ風情もなく、それらを潤沢に行使して、世界を闊歩する氏ではある。
さっそく、ググッてみると、関連の情報もあり、Youtubeでも有用なお話が聞ける。「ヘミシンクの使い方」、「α波を超えるθ波を活用できるHemi-sync とは一体?」、などを聞くと大体のことが分かった気がする。
さて、それではどんな音が流れるのか、というと、これもまたヘミシンクやHemi-syncのキーワードで検索すると、いろいろ出て来る。ほとんどが短いものであるし、そもそも元のものかどうか分からない。だが、決して高価なヘッドフォンは必要ない、とのことだから、パソコンやスマートフォンにステレオイヤホンをつなげば、そこそこの効果は得られるのではないか、と、まずは思う。
本当は、キチンとしたルートでCDを入手し、相応のセラピストの元でセッションを受けるのが基本であろうが、当ブログの予算ではそれは無理だし、もともと、クリス・アンダーソンの「FREE」思想に共鳴している手前、できるだけ経費はゼロに抑えたい(なんちゃって)。
ちなみに近くの図書館を検索してみると、何冊かのヘミシンク関連の本があった。なにはとりあえず、リストの一番上の一冊を借り出してみることにした。そう言えば、上のYoutubeにもでていたが、寺山心一翁という人、当ブログでも「フィンドホーンへのいざない」と言う本で登場済みであった。「フィンドホーン」関連の書籍については、当ブログでも一通り目を通したが、得手ではない。
さて、ブルース・モーエン、という人、そして監訳の坂本政道という人たち、どういう立場の人たちなのかはさておいて、これらの本をあまり真面目に読みたくない自分がいる。
私はこれまで常に、「三つの大問題」について非常な好奇心を抱いてきた。
「私は生まれる前はどこから来たのか?」
「ここで生きている間、何をすべきなのか?」
「死んだらどこへ行くのか?」
という三つの問題だ。その答えを見つける旅を、私は過去のどこかで始めた。だが、その旅がいつどこで始まったのか、厳密に特定できたためしがない。私の人生の出来事はすべて密接に絡みあい、関連しあっているので、旅の道中に見かけた道しるべとなるものを思い出すのが精一杯なのだ。
そうした道しるべのひとつといえるのが、子どもの頃に繰り返し見た白昼夢だ。
1953年、当時5歳か6歳だった私はアラスカに住んでいたが、何ケ月にもわたって、週に1、2回、必ずその白昼夢を見ていた。ブルース・モーエンp32 「旅の始まり 子どもの頃の白昼夢」
実は私にも、似たような経験がある。白昼夢ではなく、夢なのだが、自分の中ではもっとも古い時代に記憶している夢で、子ども時代に、繰り返し繰り返しみた。そのビジョンについては「1999年 地球壊滅」のところにちょっと書いておいた。
「その旅がいつどこで始まったのか、厳密に特定できたためしがない」とするあたりが、私には気になるのである。自分の中に深く潜められているイメージ。それは一体、どこから来たのか、何故、潜められているのか。これはとても重要で、微妙なことだと、私は思う。
だからというわけでもないのだが、私はあまり小説をすすんで読まないし、他人の「トリップ」を自分の中にためないようにしている。どこからやって来たのか、どこかで刷り込まれたのか、判然としなくなることを避けたい。
現在、当ブログは意識→無意識→集合無意識に下降していこうとする旅の途上にある。海岸の岸壁で瞑想するヴィジョンは、私の無意識層に潜むものではあるが、集合無意識に関わるもであろう、と密かに心に留め続けている。
自分の個的な無意識に関しては、いくら個人ブログとは言え、ここにプライバシー丸出しで書き続けることに、私はあまり意味を見い出さない。しかし、もし、ことが集合性に関わるものであれば、ここに何事かをメモし、また類似の物事を外側に探求する意義はあるのではないか、と思っている。
そして、さらにまた、「アガータ 彼以降やってくる人々」というメッセージは、私個人の無意識層に関わるものではあるが、きわめて集合性が高いのではないか、と予測している。それが無意識に留まるのか、超意識の光のもとで、何事かの新たなる意味を持ちだすのか。このあたりは、割と神経質に臆病なくらいにデリケートに臨んでいる。
そんなわけで、あまり他人の「トリップ」に深入りしたくないと思いつつ、また「集合性」に関心がある、というダブルバインドの状態ではある。しかしながら、当ブログの現在は、かのメッセージを「ニューマン Oshoと、やってくる人々」と読み替え始まっているところである。つまり、「アガルタ探検隊」はそろそろ卒業しようと思う。そのためにも、最終的な結論に向けて、「超意識」の光を必要とし始めているのである。
「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」は、ゴーギャンが絵に表現するまでもなく、人生の大問題である。そんなに簡単に答えがでるはずがないと思っている。その答えを見いだした、という者があれば、まずは眉唾でかかってみるのが、まずは現代人としての科学的な態度であろう。
しかしながら、どこにどんな形でその大問題の解決の糸口がぶら下がっているかは分からない。つねに注意深く、まずは先入観なしで、見つめている必要は感じる。それを探究する糸口は、瞑想にあるだろう。そして、ヘミシンクとやらが、その瞑想に値するのかどうかは、もうすこし近づいてみないことには判断できない。
虎穴に入らずんば虎児を得ず、となるか、ミイラ取りがミイラとなるか。
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