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2011/01/02

神秘家の道<12>

<11>よりつづく
神秘家の道
「神秘家の道」 <12> 珠玉の質疑応答録
OSHO/スワミ・パリトーショ 2009/03 市民出版社 単行本 884p

 何度も何度も生まれて来るだけでは、人は必ずしも成長しているわけではない。どんな霊的な強さも獲得せず、どんな意識の進化に到達することもなく、同じ輪の中を動き続けることもあり得る。

 だがもしあなたたちが、この生涯でより意識的になろうと心がけるなら、そこで得られたものは何であれ、次の生涯に持ち越され、決して失われることはない。すると次の生涯では、自分の過去生で立ち去ったまさにその同じ場所から始めることができる。

 なぜなら、その人は肉体を変えたに過ぎず、その人自身は同じままだからだ。だから自分の中で何かが意識的になったら、それは新しい生涯でも自分の中で意識されることになる。何もかもが新しく始まる。

 自分の上をおおっているものは何もなく、人は意識の中で成長して行くための、より大きな自由を持つことになる。あらゆる生涯の中で、その人は成長のより大きな可能性を、より多くの機会を持つだろう。それはすべて本人次第だ。Osho p225「エゴこそ最大の束縛」

 意識、超意識、集合超意識、宇宙超意識、など、用語としては各方面でそれぞれの意味合いで使われている。単語としては同じであったとしても、意味しているところが同じである、とは言えない。Oshoにおける過去生という用語も、他で使われている使われ方とニュアンスが違っていることも多いので、読み方に留意しなければならない。

 なんにせよ、超意識←意識→無意識、という二つの方向性があるとすれば、なにはともあれ、超意識のほうへ、より意識を高めていく必要がある。そのことによってのみ、無意識にも、集合無意識にも、宇宙無意識にも光があたってくる。はてさて、それでは意識とは、何か。どのようにすれば意識的である、といえるのか。

 そしていいかね、見るということはテクニックではない。それはあなたたちの本質だ。見ているというのはテクニックではない。何一つ押し付けているわけではないからだ。だから、幻覚を生む可能性はない。あなたは、ただ見ているだけだ。たとえ目の前に神がやって来ても、地面にひれ伏して、その神の足に触れる必要はない。あなたは、ただ見ていなければならないだけだ。見ていることは、テクニックではない。Osho p240「マインドこそ問題のすべて」

 Oshoのリズムのいい言葉に、ふむふむ、と分かった気になってしまうが、以前にも似たようなことを聴いているからであり、ふと気付くと、こんなに大変なことはない。それがテクニックではないにせよ、見ていること、見ているだけのこと、は、言われるほど、私にとっては容易ではない。意識的であり続けることは、至難の業だ。

 だから、おのずと、オーバーフローしたエネルギーは、その流出先を求めて、夢や無意識の中へと押し込まれていく。ここは踏ん張り所だ。意識を意識し続ける。目を見張っていることこそ、意識、超意識、集合超意識、宇宙超意識、への足がかりなのである。

 マインドの死と、この見ているということの誕生こそが、あなたの進化の始まりだ。そうすれば、光は遠くはない---それそのものが光なのだ。暗闇は消え去る。あなたが光であれば、その周りに暗闇はあり得ないからだ。私が、見ていることはテクニックではない。それはあなたの本性だ、と言うのはそのためだ。それを覚えていなさい。Osho 260p 「マインドこそ問題のすべて」

<13>につづく

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