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2011/01/10

神秘家の道<15>

<14>よりつづく
神秘家の道
「神秘家の道」 <15> 珠玉の質疑応答録
OSHO/スワミ・パリトーショ 2009/03 市民出版社 単行本 884p

 光明を得るとは、深い眠りから目覚めるということ、無意識の状態から意識に到ることだ。何も、自分の外の神など要らない。

 自分の外側の神は極めて危険だ。その意味するところは醜い。外側にある神とは、紙を礼拝すること、褒め称えること、神に祈ること、モスクに行くこと、教会に行くこと、シナゴークに行くことを意味するからだ。外側の神は決して、自分の内側に入ることを許さない。あなたの目の焦点は外側に合わせられる---ところが外側に神はいない。あなたは空っぽの空を覗き込んでいる。

 生の本当のジュースは自分の中にある。

 まさにこの瞬間にも、あなたは自分の内面を振り向くこと、自分自身を覗き込むことができる。礼拝など要らない。祈りは必要ない。必要なのはただ、自分自身の実存への静かな旅だ。私はそれを瞑想と呼ぶ---自分自身の実存への静かな巡礼の旅だ。そして自分の中心を見つけた瞬間、あなたは全存在の中心を見つけたのだ。Osho p447「愛があるときのみ」

 私の生き方はすべて単純だ。それにはたいそうな哲学など要らない。単純なことだ。静かになることを学び、自分の思考を見ていることを学ぶことだ---なぜなら、自分の思考を見ているようになればなるほど、思考は消え始まるからだ。すると、無心の状態がやってくる---全面的に覚めて、全面的に気付いて、完全に意識しているのだが、意識している対象は何もない、気付くことのその対象は、何もないというような時が。ただ気付いていて、ただ意識しているだけだ。

 これこそ、生における最も価値ある瞬間だ。なぜなら生においては、そして存在においては、あらゆるエネルギーは輪を描いて動くからだ。意識が、意識すべき対象を見いだせなければ---そしてこの「対象(オブジェクト)」という言葉の意味を覚えておきなさい。それは妨害物、反対するもの、妨げるものを意味する。だから、意識がどこにも、何の妨害物も持たずにただどこまでも進むなら、そのときそれは自分自身に戻ってくる。存在の中で、ものごとは輪になって動くからだ。円は、あらゆるエネルギーが動くやり方だ。そして意識がそれ自身を意識するようになるとき、それが私の呼ぶ光明だ。それは単純なことだ。Osho p458 「愛があるときにのみ」

 禅には神はいない。禅には、あなたとあなたの意識しか存在しない。あなたの意識こそが、今に到るまで存在の中での最高の開花だ。それはまだ高く行くことができる。そしてそれをより高める方法は、自分の全生活が神聖なるものになるように、あなたの人生を想像することだ。Osho p464 「見張りは、面白がってはいない」

<16>につづく  

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