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2011/01/11

Osho、ニーチェを語る<2>

<1>からつづく 

Osho
「Osho、ニーチェを語る」<2>
Osho 小森 健太郎・訳編 1990/03 出版:全国エルピー・プル狂連 印刷:同人誌印刷 簡易冊子 p60

 映画「2001年 宇宙の旅」で効果的に使われているシュトラウスの「ツラトゥストラかく語りき」に触発されて、またニーチェを読もうと思った。手元には何故か、竹内道雄訳の新潮文庫上下巻が2セットある。高校時代に読んだものと、しばらくして、手元にあるのを忘れて、ふたたび購入して読んだものが残っているのだ。

 この文語体的「かく語りき」調のツラトゥストラもなかなかいい。いまだに読めない漢字もたくさんあるのだが、なんせ120年も前に発表された作品だけに、その時代性を感じるためには、この古文体的文章がなかなかいいのである。

 しかしながら、だんだんスピードが落ちてくる。そもそもツラトゥストラはストーリーを追いかけるような「小説」ではない。たくさんの、ある意味、脈絡さえ、とぎれとぎれのこの本は、たくさんのアフォリズムの塊であり、ちょっと読んでは、一休み、ということがだんだん増えてきて、やがては途中でとん挫ということがたびたびあった。

 今回もその例にもれず、すこしスピードが落ちてきたところで、図書館の新刊コーナーの、新訳「ツァラトゥストラ」(上)が目にとまった。光文社文庫、丘沢静也訳、2010年の11月に出たばかりの新刊ほやほやである。それに、現代文、というのを通り越して、極めて読みやすい言葉で綴られている。

 これはいい。先日も、「カラマーゾフの兄弟」の新訳で読み始めたところ、実に快適に読破できたので、今回も、新訳はいいなぁ、と読み始めた。しかし、たしかに読みやすくはあるのだが、やっぱり、こちらも、だんだん読むスピードは落ちてくる。そもそも、やはり「ツァラトゥストラ」は、物語として読まれるべきものではないのだ。ひとつひとつが、深い思索を誘ってくる誘惑者のような存在だ。

 すでに何種類かの「ツラトゥストラ」が世に出ており、すこしづつそのヴァージョンに触ってはみるのだが、それぞれに味わいがあり、すこしづつニュアンスが違う。それぞれによって好みがあるだろうし、比較して読み比べてみるのも楽しかろうと思っている。

 それでもなお、やはり、「ツラトゥストラ」は簡単に読める本ではない。理由はいろいろある。ニーチェの思索が深いこと。言葉に統一性がなく、ニーチェのアルファベットに慣れる必要があること。ニーチェが語ろうとしたことと、ニーチェの実存に、ギャップが存在していたこと。その他、いくつかのことが考えられる。

 ここは、誰かの「解説」が必要となる。誰か、と言っても、この書を読みこなすには、実存的にその内容を理解しきった存在でなければならない。そしてそのような存在は多くない。ましてや、私のような、あまり哲学書などに慣れていない読者の場合は、誰でもいい、というわけではない。

 そこでやっぱり登場したのが、「Osho、ニーチェを語る」である。あちこちに散らばったOshoの言葉を翻訳し、一冊のパンフレットにまとめた私家版であるが、私には実に面白い。「Zarathustra: A God That Can Dance」や「Zarathustra: The Laughing Prophet」から抄訳されたものだから、そちらを読んだほうがいいのだが、英語が得意ではない私には、せっかくある翻訳は、大変ありがたく、そちらを読むようにしている。

 最近、ニーチェはある意味ブームで、「ニーチェ入門 悦ばしき哲学」「超訳ニーチェの言葉」をめくってはみたが、それほど面白くはない。ニーチェを「解説」するには、その文章や小説を説明するのではなく、その説かれている「超人」を体現している存在が必要なのである。

 「Osho、ニーチェを語る」は面白い。それはなぜかというと、面白いところだけを抜き書きしてあるからである。全体像、深さ、という意味においては、やはりそれぞれの元本によらなければならい。

 それでもなお、思うこと。それは、Oshoはニーチェを語りながら、決してニーチェを語っているのではない、ということ。ニーチェを語りながら、実はOshoは自分を語っている。ニーチェの言葉は、実は入れ物の役割を果たしており、私たちはまんまと、Oshoを読まされているのである。私は、ニーチェに関心があるようでいながら、やはり、Oshoの方にさらに多くの磁力を感じているのであった。

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