宇宙からの帰還
「宇宙からの帰還」
立花 隆 (著) 1983/01 中央公論社 ハードカバー 331p
Vol.3 No.0227 ★★★★★
エドガー・ミッチェルの「月面上の思索」2010/07を読みながら、強くこちらの本を思い出していた。当時、相当に話題になったし、自分も深い感動を覚えながら読んだ記憶が強く残っている。宇宙飛行士たちの宇宙での体験が元となったインタビュー記事が中心だけに、やや科学的記述が多く、また、ほとんどが軍の飛行士たちであってみれば、おのずと表現力や、思考の枠組みが偏っていたことは否めなかった。
それでも、いつかは宇宙ロケットに詩人を乗せたい、という表現がどこかにあったことが強く残っていた。しかし、今回、エドガー・ミッチェルやラッセル・シュワイカートのインタビュー部分を再読して、いや、宇宙船にも、詩人は載っていたのだ、と痛感した。いや、彼らは詩人であり、なおかつ神秘家でさえあった。もちろん、バリバリの現代トップの科学者たちであることは当然のことだ。
超能力を扱うには、まず、それにふさわしい精神の安定と感性の安定を得ることが必要だ。心の中からあらゆる日常的世俗的雑念を払いのけ、さざ波1つない森の中の静かな沼の水面のように、心を静寂に保ち、透明な安らぎを得なければならない。
精神を完全に浄化するのだ。精神を浄化すれば、とぎすまされた鋭敏な感受性を保ちながら、それが外界からいささかも乱されることがないという状態に入ることができる。仏教でいうニルヴァーナだ。そこまでいけば、人間が物質的存在ではなく精神的存在であるkとが自然にわかる。エドガー・ミッチェル p297「宇宙人への進化」
この25ページ程のインタビュー記事に表現されている彼の思索と、400ページ以上に渡る「月面上の思索」に展開されている思索は、まったく同じ方向性を向いている。そして、その四半世紀に渡る年月の間に、彼の思索はさらに研ぎ澄まされ、深く、広く、説得力をさらに加えたものになったことを確かめることができる。
ティヤール(ド・シャルダン)はキリスト教の枠組みの中にいた。私も進化の方向は、神との同一性に無限に近づいていく方向にあると思っているが、私の考える神は、キリスト教の神ではない。ちなみに、ユングからも私は影響を受けている。人間が集団的無意識を共有しているという彼の考えは正しいと思う。しかし、その集団的無意識の根拠が原始時代から蓄積した経験の集積に求められるべきではなく、エゴから離れた意識の面においては、すべての人間がそれぞれに神につらなっているのだということに求められるべきだろうと思う。エドガー・ミッチェル p307「宇宙人への進化」
シャルダンから大きな影響を受けたことを認めつつ、ミッチェルは、神概念をキリスト教の枠外に置く。一体に、私を始め、非キリスト教的人間は、西欧におけるキリスト教的基盤のあまりに頑迷なことに気づいていないかもしれない。いずれ、ニコス・カザンザキス「キリスト最後のこころみ」や「再び十字架にかけられたキリスト」、あるいはバチカン発行の「ニューエイジについてのキリスト教的考察」を読み進めることによって、このテーマにも触れていかなければならない。
より深い認識に進むと、プリミティブな認識では有効であったイメージが有効でなくなる。神についても同じことだ。プリミティブな認識にはそのイメージがあっただろうが、より高次の認識ではイメージが成り立たなくなる。(中略)
「はじめ」はわからないというほかない。誰にもわからないだろう。神秘体験によって神との合一体験を得た人にすら、ほんとのところは、「はじめ」はわからないだろう。あるいは、「はじめ」というのは、そもそもなかったのかもしれない。「はじめ」があるはずだ、というのは、誤れる前提かもしれない。エドガー・ミッチェルp309 「宇宙人への進化」
現代科学者のトップグループに位置する立場にして、その表現しようとする意欲は詩人にも匹敵し、その思索はまさに神秘家と同じ地平を闊歩する。きわめてバランスのとれた人物の言葉には強い説得力がある。そしてそのような実存こそ、当ブログが、自己のものとして探究すべきものである、と痛感する。
神秘体験というものは、なにも宇宙飛行船に乗らなければ体験できないものではないことを、ミッチェルも シュワイカートも他の飛行士たちも同意している。そして、宇宙に行ったからと言って、だれもが神秘体験をするものでもないことを彼らは証明している。
それはひとつのきっかけであったにすぎない。21世紀に生きる地球人たちは、もうひとつの科学技術の先端であるコンピュータ・ネットワークを自家薬籠中のものとして使いこなしている。外的な地球を、宇宙に飛び出して目撃することもひとつの大きなきっかけとなるのなら、インターネットで地球を内的なものとしてとらえることができるなら、それもまた、ひとつの大きな体験になるに違いない。いや、むしろ、意識にとって、そして集合意識にとっては、はるかにこちらのほうが現実的になっている昨今である。
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