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2011/01/06

精神世界の本 メディテーション・カタログ

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「精神世界の本」メディテーション・カタログ
平河出版社カタログ刊行会・編集 1981/08 単行本 273p
Vol.3 No.0212 ★★★★☆

 1970年代の徒花とされる雑誌「ザ・メディテーション」のバックナンバーを探していて、この本を見つけてしまった。オークションで、極めてゼロに近い値付けがされていて、ついつい衝動落札。1981年とは、こういう時代だった、というシンボリックな一冊。読むともなくパラパラめくると、2千数百冊と、百数十のLPの世界が待ち受けている。

 当時のいわゆる精神世界関連と思われる本類を一挙にカタログ化している。もちろん、この本を全部読んだ人はそう多くはあるまい。あるいは皆無だろう。また、仮に読んだとしても、むしろセンタリングを失い、卒倒してしまうかも知れない。

 2千数百冊という数字は決して脅威的なものではない。ちょっとした本好きならこの程度の本は所蔵しているだろうし、当ブログとて、この4~5年で、それだけの本に目を通し、ここにメモは残してきた。物理的には不可能ではない。

 しかし1981年という時代性を考える時、この本に全部目を通すことばかりか、これらの本を探したり、あるいは、これらの本の存在を知ることさえ、なかなか難しかったに違いない。インターネットもなかったし、せいぜい20代から30代にかかろうとしていた世代には、これらの本を一冊一冊購入することはむずかしかったはずだ。

 図書館ネットワークも発達していなかったし、いわゆる「精神世界の本」というジャンルも目新しく、決して確立したものにはなっていなかった。関わった執筆陣や編集陣も若い。あるいは、かなり牽強付会にリストに並べられてしまった本も多数ある。内容も玉石混交。

 夢枕獏は、1970年代から書き始めたという小説「上弦の月を喰べる獅子」を1986年に「SFマガジン」に掲載を始め、1989年に完結させた。この時代の雑多なシンボルや潮流を、彼なりにアーガタ=タターガタへの昇華として、時代に一つの螺旋上昇を試みた。

 桐山靖雄は、この本の出版社の実施的オーナーであるが、アーガマ経典から、阿含宗なる、あらたなるキャリア・ロンダリングを試みていた。当時その教団に在籍していた松本智津夫は1986年に宗教法人を取得している。1981~1986年、というのはそういう時代だった。

 6~70年代に勃興した学際的なネットワークは、混沌とした80年代を生みだした。その揺籃期の中で、90年代の悲劇的なドラマのシナリオがほとんど書かれてしまっていたともいえる。95年は、阪神淡路大震災や麻原集団事件とともにインターネットが一般化した年として、人々に記憶の中に残った。

2011年の私たちにとって、インターネットは当たり前のものであり、ものごとすべてがインターネットありきで存在していると言っても過言ではない。今から30年前にでたこのカタログの果たした役割は、現在ではこの数十倍、数百倍以上の機能を持って、インターネットが果たしていると言えるだろう。

 しかし、その情報を集積する力は発揮されているとしても、それらをインテグラルし、さらに実存化する能力は一体、どれだけ機能しているのだろうか。混沌は混沌を呼び、新たなるカオスや災害を孕んではいないだろうなぁ、と危惧する面もある。

 精神世界。すでに遠い過去の象徴となってしまったかに見える古い言葉だが、その標章は変わっても、何事かを求めようとする人間たちの営みに、大きな違いはない。2011年。今年はどんな年になるか。更なるカオスのただなかに落ちていくのか。新たなる宇宙の中心にたどり着くことになるのか。地球の上に生きる一人の人間として、一日一日の生活が始まる。

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