世界神秘学事典 荒俣宏編
「世界神秘学事典」
荒俣 宏 (編集) 1981/11 平河出版社 574p
Vol.3 No.0213 ★★★★☆
1981年に同じ出版社から出た「精神世界の本 メディテーション・カタログ」と双璧をなすような、時代を象徴するような一冊というべきだろう。この出版社は桐山靖雄が自らの著書を出版するために70年代初半につくった会社だが、80年前後から実に広範な形でさまざまな本を世に送り、実に懐が広かったというべきか、その足がかりを利用した者たちがいた、というべきか、実に雑多な本が出された。
その中において、荒俣宏編集のこの事典も、内容はかなり整合性の取れていない部分も多々あるが、30年経過してみて、ついぞ、この領域ではこれを超えた本が出ることはなかったのではないか、と思われる。今読んでもなかなか為になる。古書市場で高値を呼ぶ理由も分かる。
高橋巌の門弟にして、博学の士であれば、数多くの類書を読みこなし、ほとんどこの事典の7割を荒俣本人が書いたということだから、まさに驚異的な知の使い手とも言えるだろう。荒俣宏、当時34歳。実に集中して仕事をこなしていたことになる。
1995年の事件において、さまざまな形で多くの人々が巻き込まれた。島田裕巳のようなおっちょこちょいもいれば、中沢新一のような確信犯もいた。桐山靖雄のように三十六計逃げるにしかずと逃走する輩もおれば、吉本隆明のように呼ばれもしないのに、でてくる人物も現れた。
その中にあって、荒俣宏もまた、糾弾の矛先に立たされたはずなのだが、当ブログにおいてこれまでめくって来た本の中では、まったくひっかかってこなかった。彼の本をめくりもしなかったし、関連で登場することはなかった。何故なのか、ちょっと不思議に思う時もある。
別にあの事件に関わりを持つことに重きをおくものではないが、これだけ「神秘学」に関わりながら、彼とて、無関心であの時代を過ごしていたわけではなかろう。もっと積極的な発言や、態度表明があってもよかったのではないか、と思う。
はやばやと80年代末にはハワイに逃亡していた吉福伸逸のような狡猾な人物さえコメントを遺しているのだから、東京のど真ん中に残った荒俣のなんらかのコメントなりがあってもよさそうなのだが、今のところ見つけていない。あるいは、あるかどうかも、あまり関心が高まらない。なぜなのだろう。
この本、神秘「学」とある。神秘「主義」とか、神秘「思想」、神秘「哲学」、神秘「家」という言い方もある。翻訳のされ方や、著者各人の使い方があるので、一概には言えないが、さて、荒俣本人は、神秘「家」であろうか。神秘「主義者」であろうか。
ざっと思いをめぐらすに、彼は「家」でもなければ「主義者」でもなさそうだ。まさに神秘「学」者、の呼び名がふさわしいように思える。ただし、ここにおいては、やや批判的に「ふさわしい」と言わざるを得ない。
そもそも神秘の世界に入るのに、これだけの「学」は不要なのだ。一歩ゆずって「主義者」ならこれだけの知識で自らの領域を防御することもあるかもしれないが、少なくとも、「家」にとっては、これだけの博学の知識は必ずしも必要ない。場合によっては、邪魔になる。
極言すれば、荒俣は、「学」の人であって、行や実存の人ではない。よくも悪くも、本の人であり、図書館の人である。だから、島田や中沢のような巻き込まれ方はしなかった。島田でさえ、フィールドワークの一環として、実際の集団性のなかに足を踏み入れていた。
だから、この「世界神秘学事典」は、80年代的なカオスを生みだす手助けはしているが、そこからコスモスを生みだす手助けをしていないことになる。無造作に投げ出された知的断片に、不用意に近づいた者たちが、転んだり、滑ったりしたりしても、提供者たちは責任を持ち得ないのである。
70年代と90年代に挟まれた80年代を象徴するような一冊であり、いまなお存在力のある名著ではあるが、これを読みこなし、自らの、人間としての、生きる力に変えるには、もう一段、別なアプローチが必要となる。
| 固定リンク
「39)メタコンシャス 意識を意識する」カテゴリの記事
- 絶頂の危うさ<1> ゲーリー・スナイダー(2011.06.05)
- 沈黙の春 レイチェル カーソン(2011.06.04)
- レイチェル・カーソン 『沈黙の春』を読む(2011.06.04)
- 我が家に手作りガーデンハウス―DIYで建てよう!“小さな家”<1>(2011.06.04)
- ウォールデン シリーズ もっと知りたい名作の世界(2011.06.03)
コメント
白蓮さん
ご購読、書き込みありがとうございます。例の事件との荒俣つながりは、探せばいろいろ出てきますね。ただ、あのキャラクターが、癒し系のマスコットみたいな雰囲気を醸し出すために、みんな危険領域に連れ出されていることを、忘れてしまう。彼は彼なりに、どこかでうまくバランスがとれているのでしょう。
今回、この本は、367pあたりにひっかかっていました。そのうちリットンの「ザノニ」を読もうと思っています。
投稿: Bhavesh | 2011/01/08 20:37
始めまして。
しばらく前から拝読させてもらってます。
あまり話題に登ることもない本ですが個人的にはこの本にはだいぶお世話になったような気がしてます。
義理があるという感じの本ですね。
確かにおっしゃられる通りこの本を超える本はまだ出ていませんね。
しょうもないものはいっぱい出てますけど・・・
裏は取ってませんが荒俣氏はやはり博物学の人なんで瞑想の実践等はしていないでしょうね。
投稿: 白蓮 | 2011/01/08 15:02