The Osho Upanishad <2>
The Osho Upanishad <2>
[Osho (著) 1986/11 出版社: Rajneesh Foundation Intl ペーパーバック: 1032p 言語 英語,
★★★★★
Today, this moment: 7:00 pm, Saturday, the sixteenth of August of the year 1986 -- one day this moment will be remembered as a historical moment, and you are blessed because you are participating in it. You are creating it; without you it cannot happen. Books can be written, can be dictated to a machine, but what I am going to start is totally different. It is an UPANISHAD. Osho p2
この本、かなり厚い。いざ読もうと思ってカバンに入れて持ち歩くには、ちょっとかさばり過ぎるし、なにか仰々しい。そこで考えたのが、ネットからスマートフォンにダウンロードして、ワード文書やPDFとして持ち歩くこと。これが簡単にできた。わが愛機IS01はアンドロイド端末でバージョンの1.6止まりが決定しているのだが、どうしてどうして、機能としては十分だ。5インチ横広画面がかなり便利だ。
Oshoにはたくさんの講話録があり、さまざまなことが語られているけど、こういう形で、月日を限って発言されることは、珍しいのではないだろうか。それだけ、Oshoの、この講話にかける意気込みが伝わってくる。
1986年8月16日土曜日、午後7時。人々は、この日時にどれだけの注意を払っているだろうか。数ある月日の、単なる一瞬でしかないのではないだろうか。私自身も、この日時に特別の想いは特になかった。少なくとも、この本を読もうと、思い立つまでは。
インド時間は日本より3時間半遅れになるので、日本のリアルタイムでは午後10時半以降のことだ。この日、陰暦で言えば、7月11日。月はどんどん大きくなる段階だ。この年のこの直前、私は、奈良県の天河神社にいた。前年、シャンタンやヨシローに連れられて、天川神社の七夕祭りに参加した。天の川を祭る天河神社にとって、七夕祭りは、特別な意味がある。
前年参加した時も、8月のちょうどお盆休み前後のことではあるが、陰暦でいうところの7月7日だった。そして、86年の夏休みにも、天河神社を参拝したところ、別にスケジュールを調整したわけじゃないのに、その七夕祭りの前日に到着することになったのだから、不思議というしかない。
河原にテントを張ってキャンプインし、祭りに参加した。いろいろな体験をした。具体的には、いくつかの予知夢をみたりした。これはたわいのないものであったが、一緒に言った友人との共同体験となったのだから、私自身は、予知夢というものはあり得るのだし、証明さえできるのだ、という実感を持った。
最近だと、阿部敏郎の「神随(かんながら)--意識の扉を開く鍵」という「小説」に、天河やシャンタンがでてくる。小説だから、事実関係とは異なるだろうが、この小説においては時代設定は1989年ということになっているから、それを遡ること3年前のことである。
私はメモ魔でもないし、こまかく日記をつけておくようなタイプの人間でもない。だから過去の日時についてはあまり記録が残っていない。しかし、なぜか毎年使っている手帳はこの30年間ほど、全部ひとまとめにして保存してある。
全部、と言いたいのだが、違った。今回、この日時が気になって、さて、ホントウにそうなのかどうか調べようと思った。ああ、それなのに、それなのに、1985年の手帳も残っているし、1987年の手帳も残っているのに、「なぜか」1986年だけが見当たらないのである。
もしあの年の手帳がでてきたら、この日時を特定できたであろうに。まぁ、いいか。出るべき時に、出るべきタイミングで発見されることであろう。そもそも、アガータが、アガルタに関連するのではないか、と、ようやく気付いたは1993年になってからであった。あの時点から7年が経過していたのである。
そして、そのことを明確に口にするようになったのはそれからさらに14年後。つまり1986年の21年後になって、ようやくあの体験は実体を帯び始めたといえる。さらに言えば、1990年の1月19日に肉体を離れたOsho。あれからちょうど21年が経過したのが、現在の、この2011年1月、というタイミングなのである。
とりあえず、もっとこまかいディティールは、ことの進行とともに、より明確になってくるだろう。とにかく、あの時、Oshoのミステリー・スクールはボンベイでスタートした。そして、遠く離れた日本でうろちょろしていた私にも、キチンとメッセージは届いていたのである。
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