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2011/01/22

月面上の思索 The Way of the Explorer <2>

<1>からつづく 

月面上の思索
「月面上の思索」The Way of the Explorer <2>
エドガー・ミッチェル/前田樹子 2010/07 めるくまーる 単行本 413p

 西欧では東洋の考え方の影響により、ここ2,30年間で意識という言葉は広範な使い方をされるよう進化してきた。今日、意識は広範にわたる精神現象という意味を含んでいる。そこには知覚、意図性、問題解決力、そして覚醒意識の厳密な意味、つまり、気づくことに気づくということもまた含まれる。p292「表裏一体モデル」

 ここにおける「気づくことに気づく」という表現こそ、当ブログが現在、自分のテーマとして選んで進行しているプロセスである。この本、随所に示唆に富んだ文章が満載されている。特に後半における「意識」についての思索には、目を見張るものがある。

 だが、思索、という意味においては、必ずしも飛び抜けた、他に追随を許さない一冊、ということはできない。このレベルに到達している現代の書は、探してみれば、多分、もっともっとあるはずである。

 それでもなお、この本が実に特筆に値する一冊だとするならば、まずは著者がアメリカの宇宙飛行士であった、という過去の経歴から来るだろう。もっというなら、人類史上、月面を歩いた12人のうちの一人であり、しかも、その宇宙空間において、なにごとかの経験をしたことが、彼の人生の後半を決定づけた。

 カプセルの小さな窓に空と地球が交互に出入りしているのが見えたために、回転する環境が引き起こす方向感覚の喪失、正確には方向転換が起こったのかもしれない。あるいは苛酷な環境への二日間の進出の後に手にした安全と、隠れ家の雰囲気のせいだったかもしれない。

 しかし、私にはそうとは思えない。あの知的印象(センセイション)はどの点から見ても異質だった。私よりずっと大きい何か、窓外の惑星よりずっと大きい何かに、どうしたわけか私は同調してしまったのだ。理解を超えるほど巨大な何かであった。今日でさえその知覚は、いまだに私を当惑させている。p113「真空の中へ」

 この本は、1930年生まれのエドガー・ミッチェルが2007年に出した本だ。時に77歳。宇宙飛行をしたのは1971年、41歳の時。月面着陸ミッションのあと、彼はNASAを離れ、独自の「意識」探究のライフスタイルを持つことになる。そもそも宇宙船のなかでプライベートなESP実験などをするような、お茶目なタイプではあったのだろう。

 1982年の「宇宙からの帰還」において、立花隆はミッチェルに触れて、インタビューしている。

 そのミッチェルに会って話を聞いてみると、日本のESP研究家にしばしば見られるような、あらゆる非科学的なことを止めどなく信じて狐つきになったようなタイプの人間とはまるで対極にいるような人物である。宇宙飛行士時代、彼は最も思索的でインテレクチャルな宇宙飛行士といわれていたそうだが、なるほど、陽気なヤンキー・タイプが多い宇宙飛行士の中ではいかにも目立っただろうと思われるほど、重厚な学者タイプの人物である。立花隆「宇宙からの帰還」p292「宇宙人への進化」

 インタビューからさらに四半世紀が経過し、ミッチェルの思索はさらに広範かつ落ち着いたものになっている。

 シャーマンの世界を発見するジャーニーは本質的に終わった。科学の新しい実験と宇宙探索が人類と宇宙の中のわれわれの場所について新しい理解を供給している現在、発見したものの意味をもっと広く、もっと深く、よりよく理解することが目下の課題である。ミッチェルp378「総合体」

 この本は有意義である。再読、熟読を要す。

 「ニュー・エイジ」文化と週末の自己啓発訓練では、<前向き思考だけを考えよ><何について祈るのか気をつけよ><あなた自身の現実はあなたが作る><物質はまさに濃密な思考である>等々の警句を採り入れるのが流行している。こうした概念は何らかの妥当性を持っているのだろうか? 私の考えでは、これらの警句は的に近いところにある。だが、もっと綿密に調査される必要がある。ミッチェルp382「総合体」

 当ブログにおいては、いわゆる「アガルタ探検隊」の「集合無意識」に、「超意識」の光を照射しようという試みを始めたところである。「的に近いところ」にあるようにも思うが、「もっと綿密に調査される必要がある」ということは、まさに共感できる。

 神秘主義者と神学者に私の示唆できる一切は、われわれの神々は小さすぎた、彼らは宇宙を満たす、ということだけである。科学者に対して私の言える一切は、神々は本当に存在しており、彼らは永遠不滅の、繋がった、知能を持つすべての存在によって経験される、意識した「真我」である、ということに尽きる。ミッチェルp402「未来へ向けて」

 エドガー・ミッチェルを、月面を歩いた宇宙飛行士として注目することは、妥当性はあるとしても、第一義ではないと思える。むしろ、ごく普通のライフスタイルを愛する、偉大な現代の思索家としてこそ、注目すべきであろう。彼の辿り着いた人生は、宇宙競争ミッションに忠実なラクダ、NASAを離れて困難な探究に向かうライオン、そして、ごく一般の地上の人間としての子供へと回帰しつつある。地球人スピリットのひとつの典型を、この人に見る。 

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