ながそねの息吹―ことむけやはす〈2〉
「ながそねの息吹」 ことむけやはす〈2〉
矢追 日聖 (著) 1996/09 野草社 単行本 317p
Vol.3 No.0270 ★★★★☆
大先達・矢追日聖の著書ことむけやはす1「やわらぎの黙示」につづく二冊目。一冊目もかなり変わった本であったが、こちらはさらに日聖ワールドの全面展開ともいうべき霊的活劇が展開される。それはまるで、天理教の中山ミキや、大本の出口ナオの伝記を読んでいるかのような錯覚に襲われる。
時代といい、地域といい、まったく無縁とは言えないだろう。大きな宗教的な動きにはならなかったにせよ、そのルーツは、まさにあの時代性に強く根づいたものであることはまちがいない。それらの背景を背負いながら、著者は独自の歩みを残し、大倭紫陽花邑という共同体の礎を築いた。
現代の社会でも、俗に超能力者や霊能者と称せられ、テレビにも登場してくる人々が最近になって沢山いることが分かった。ここで私は、人ごとではない、私自身が今日まで経験した範囲内に於いて、霊的感応(動物的本能)の種別を大略説明して、古代人の神懸かりの実態や神話などの源流を探る参考に供したいと思うのである。
その一は、雑念が尠(すく)なく、我執を超越できたようなときは、神人冥合の境地に入りやすい。そうした心境に達すれば、求めずとも何か必要とするものがあれば、自分の意識外の所から必要とする時機に一つの閃きのような形で知らせてくる場合がある。
その二は、自然界にある各種の気や、自然界の何か(古木、岩石、海、湖、川、山岳等)に籠る固有霊などの念(霊波)と互いに感得交流するようなことを、予期しないときにしばしば経験する。
その三は、現在意識や、深い潜在意識が、かなり影響することになるが、過去に於いて実在した部分的な実相や、歴史上の人物などがときには心眼に映ったり、その固有霊からくる念を受けるようなこともある。それは霊波だけで相手の心を知ることもあるし、あるいはその霊波が自分の脳機能の働きで現代人が使用する言葉に変化させることもある。あるいはその霊波が無言で手足の動作や表情等に変化させて伝達してくる方法もとられる。神楽舞や神社に伝わる神事、自動書記というのはこれらに属するものである。
その四は、俗に神語りと称する種類だが、その一つには何かの念をもったとき、無意識でいるのに勝手に言葉が出てくる。その自分から出た言葉を自分で聞くといった状態、もうひとつはある固有霊が人の肉体を借りて、何かを知らせようとする、いわゆる神懸かりになることもある。この場合、現在意識は用をなさないので、聞き役が必要である。私には、脳機能がしっかりしているのか、知性が勝っている関係か知らないが、巫女的経験がない。いつもサニワの方へ廻っているので、深い理解だけはもっている。
こうした事柄を具体例によって説明すれば、私の経験範囲内でも切りがないが、こうした霊的感応の豊かな人、私より遥かな能力者は古代社会には数多く実在していたことと信ずる。現代人がこれらの実情をはっきり察知することができて、初めて神話伝承の起源に触れる可能性が生まれてくるのではなかろうか、と私は思うのである。p271「日本民族太古のふるさと長曽根の国を偲ぶ」
この文章が書かれたのは昭和45(1970)年、この本が野草社から出版されたのが1996年、という時代背景を考えながら読み進める必要がある。
本文の数か所に、青森県中津軽郡相馬村紙漉沢にある長慶天皇御陵墓についての言及がある。個人的なつながりを含め、強い関心を持つ。
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コメント
この記事を書いた当時は、自分たちのエコビレッジ構想を持って、具体的に物事が進んでいた。そのスケール感を、足元に感じることができたのは、大きな収穫だった。当時と今と、大きく違うのは、かのエコビレッジ構想は、過去のものとなり、一つの枠組みを外れて、一つ一つのパーツが、世に散らばっていることだ。私はこれを十分楽しめる。所詮、自分が感知できる時間にも、空間にも、限りある。与えられた空間、その一つ一つを味わって、慈しんで、大切にしていくことが、残された私の時間の使い方だ。
投稿: Bhavesh | 2018/08/27 00:56