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2011年2月の45件の記事

2011/02/28

ゆっくりやさしく社会を変える  NPOで輝く女たち

【送料無料】ゆっくりやさしく社会を変える
「ゆっくりやさしく社会を変える」 NPOで輝く女たち
秋山訓子 2010/10 講談社 単行本 187p
Vol.3 No.0273 ★★★★☆

 「NPO」繋がりで、こんな本も手にとってみた。この本、最近でた本。「ゆっくりやさしく社会を変える」というフレーズには、男も女も関係ない。ゆっくりやさしく社会とともに自分も変わっていきたい、といつも願っている。しかしながら、「NPOで輝く女たち」とくれば、なるほど、この本のタイトルの重みも違ってくる。

 この本には、NPOを軸とした事業や生活を展開する4人の女性が紹介されている。ひょっとするとだが、このような活動を仮に「男性」がしていたとしても、あまり大きな話題にはならず、どうかすると当たり前のようにとられがちであろう。

 ところが、女性には、結婚、出産、育児、家事、介護、などの「仕事」があり、女性ならざるわが身としては、本当の意味で、女性の視点から人生や世界を見ることはできていないように思う。いっぱしのフェミニストのつもりではいるのだが、頭の中はともかくとして、実際に、わが家の奥さんなどから見たら、私なぞは、まったくいいかげんな存在に映っているのかもしれない。

 NPOの先駆けとして、組織を率いて14年。リーダーとして大事なことは、「逃げないこと」だという。
 「最初の頃は、逃げることが時にあった。でも、逃げると余計にしんどいね。逃げても何も解決しない。何が問題なのか、相手と向き合って話すことが解決につながる。その時はしんどいし、すぐには解決しないこともあるけれど、話しあうことで気持ちが和解するというか、たとえ考えが違っても、お互いがお互いのありようを認めて一致点が見いだせる」
 中村さんの活動に一貫しているのは、傍観者ではなく、当事者になって自ら行動することだ。
p58「他人の為に、自分の時間を差し出せる世界に」

 ボランティアらしき活動を始めて25年近くなった。その時々の自分にできる範囲のささやかなものではあったが、なにかひとつボランティアといえるようなものを持ちたいと思ってきた。それは、そうしなければならないものではなかったし、やりたくないことでもなかった。どっちでもいいのだが、やってみよう、と思えたのは、他人のため、というより、やはり自分のため、という方が大きかっただろう。

 何かと出会える、何かが身につく、何かが生かされる。そう、自分が生かされてこそのボランティア活動であった。他の人たちと生きていくことこそ、自分が生かされているのだ、という実感だった。このボランタリティー精神がNPOに繋がっていく。もちろん、NPOとなれば、責任は重くなり、逃げることは難しくなる。バランスをとる必要がある。

 妙に肩肘張っているわけでも気負っているわけでもなく、ごく自然で、しかも楽しそう。きれいごとばかりではない世界で、地を這うようにして活動しているのです。でも、信念を持って続けていれば応援する人は必ず現れる。そして、ほんの少しずつではあるけれども、着実に地殻変動を起こしている。まさに「変化は辺境から」を実感しました。p183著者「あとがき」

 最近は、けっして小さくない「地殻変動」が世界各地で起き始めているようだが、変動ばかりでは命は育たない。定まる時も必要だし、静かに動き出す時も必要だ。ひとつひとつの場面で、ほどよいバランスが必要となる。そんな時、この本に書かれているような「女性」の感覚が、大きく生かされてくる。 

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NPO法人のすべて増補7版 特定非営利活動法人の設立・運営・会計・税務

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「NPO法人のすべて」 増補7版 特定非営利活動法人の設立・運営・会計・税務
斎藤力夫/田中義幸 2008/11 税務経理協会 単行本 379p
Vol.3 No.0272 ★★★☆☆

 増補版とはいえ、すでに2年前以上の本なので、法律や税制はさらに変化しているかもしれない。しかし、2003年版の「NPO法人をつくろう」よりは新しく、しかも大きな変化はそれほどなさそうだ。「すべて」というだけあって、かなり細かい。実際に書面を作り始めたら、この一冊があれば、大体のことはできそうだ。「市民活動支援センター」の窓口が手伝ってくれるだろう。

 そう言えば、市民活動支援センターの「NPO立ち上げ講座」というものに参加したことを思い出した。別の活動のために受講したものだったが、数か月にわたる具体的でオープンなワークショップだったので、なかなかためになった。

 その他、「NPOいろは塾」とか「NPOマネジメント講座」、「NPOステップアップ講座」などが開催されており、実際的な実務はいろいろアドバイスを受けることができるだろう。

 日本NPOセンター常務理事山岡義典氏は「NPO基礎講座」(ぎょうせい、1997)のなかで、一般的に、NPOの果たすべき役割として、「先駆性」「批判性」を挙げ、活動の態様といては「学習型」「主張・監視型」「実践型」「事業型」を挙げています。p6「NPO法人にふさわしい活動とは」

 孫引きになってしまったが、ここにおける「先駆性」「批判性」こそ、現在進行形のプロジェクトの目標にふさわしい表現ではないか。活動の態様といては「学習型」「実践型」という表現がふさわしいだろう。

 あまりに専門的すぎて、この一冊だけ読んでいるとすこし重くなる。こういう問題は、さっさと済ませて、実際の活動に移っていくべきだな。

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2011/02/27

「NPO法人をつくろう」―設立・申請・運営 米田雅子 <1>

NPO法人をつくろう―設立・申請・運営
「NPO法人をつくろう」 設立・申請・運営 第3版 <1>
米田 雅子 (著) 2003/08 東洋経済新報社 単行本: 251p
Vol.3 No.0271 ★★★★☆

 山の椒エコビレッジにおいては、NPOを掲げ、将来的には法人化することを目標としている。どうしてなのか、というと、第二次の動きに関わってきた人々の複数の人から、その思いが表明されたからである。

 これまで、メンバーの多くは組織に関わった経験があり、私を初めとして、自ら法人の役員を務めてきた過去がある。だから、法人化のメリット・デメリットを知っており、それでもやはり、ゆくゆくは法人化する方が正しい、と合意している。

 その大きな理由は、目的をしっかり持つこと、多くの人に関わりを持ってもらうこと、対外的に影響力を持ちたいということになるだろう。直接的に、すぐにメリットになるわけではなく、その準備に費やされるエネルギーも大きいのだが、器作りもまた大切なのである。

 法人格をもつことは社会的に人格をもつ団体になるということです。法人格のない任意団体は社会的には一人前とは見なされていません。団体が社会的に活躍しようとすればするほど、法人格をもつ必要があります。

 NPOが法人格をもつメリット
1、契約の主体になれる
2、受託事業や補助金を受けやすくなる
3、公的な施設を利用しやすい
4、社会的な信用が生まれやすい  
表紙見返し

 実際の活動がまだスタートした段階なのに、すこし先走りのようでもあり、また、最初からキチンと決めごとは明確しておくべきだ、という意見もある。

 NPO法では、NPO法人を17分野の活動を行う団体と定めています。自分の活動がこのどれにあたるのかを検討する必要があります。p44「活動の分野を決める」

 理想を語り会えば、あれもこれも、と、とりとめのない話しになってしまうが、あえてこの17分野から選ぶとすれば、次のあたりか。

3、まちづくりの推進を図る活動
 村おこしや地域おこしの運動、都市計画への参加、歴史的建物の保存、都市と農村の交流などです。ここでいう「まち」とは町や街の意味だけではなく、市民が暮らす一定の場、つまり地域をさします。
p45

 エコビレッジというテーマがあるとすれば、それは地域おこしであろうし、忘れられた別荘用地を蘇らせよう、という面からみれば、新しい都市計画でもある。あるいは、別荘型エコビレッジになるのであれば、都市と農村(山村)の交流、という活動にもなるだろう。当然、農産物や工芸品の生産、販売も関わってくるだろう。

4、学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動
 音楽家や芸術家たちの育成支援、市民演劇、演劇の観賞会、伝統文化の継承と普及、郷土の歴史研究、スポーツ教室などです。
p46

 山の椒エコビレッジの構想を話してみると、その場をセラピーやトレーニングの場として使いたいという申し出が多くある。あるいはコンサートや演劇発表の場としても使えるだろう。パーマカルチャーの単位取得のためのトレーニング・センターにしたい、という申し出もある。特徴としては、この「学術、文化、芸術」の面が一番強くなるかもしれない。

5、環境保全を図る活動
 リサイクル運動、ゴミを減らす運動、公害汚染の調査、公害防止の運動、野鳥の観察と保護、動物愛護、ナショナルトラストなどです。近年、多くの団体が多彩な活動に取り組んでいます。
p46

 エコビレッジを標榜する限り、この活動は当然のことであろう。そのこと自体、あたりまえに取りいれることのできるライフスタイルであってほしい。そしてまた、環境保全に対する先進的な技術の体験や実験を積極的に行える場であってほしい。

 やる気があり、それを実行できる人が役員になるのが、NPOの原則です。社会的な地位が高いからといって、暇なときにしか参加しない人に名誉的に役職を与えるのは賢明ではないでしょう。また、仲間意識で親しい人だけで役員会をつくるのも避けなければなりません。p79「役員を決める」

 具体的な13haの土地があり、メンバーの利用に供されており、エコビレッジやマルチバーシティという高邁な理念がありながら、実際に、そこでひとつひとつの活動を積み上げていく「人」が最も大切なのである。天・地・人の共鳴こそが、大切なことだ。

 自分たちが、どのような問題意識を持ってNPO法人を設立したのか、その社会的な背景は何か、法人の活動の目的は何か、その目的を達成するためにどのような活動をするのかなどを書きます。p85「設立趣意書」

 この部分は、作業続行中だが、ひとりひとりの夢を重ねあわせて、さらになおシンプルなものにするには、ひとりひとりが、みずからの夢をさらに具体的に描く必要がある。

 リーダーたちの心がけとして、問題意識が低い会員や、参加回数が少ない会員を非難するような雰囲気をつくってはいけません。リーダーたちが、他の会員に対して、協力を求めるのは当然のことですが、強制的な態度をとると、会員の自発性によって成り立つNPOは、多くの脱会者をだしてしまいます。あまりに強制力を強めて、問題意識を前面に出すと、極端な場合には、排他的な宗教結社か過激な政治セクトのようになってしまう恐れすらあります。p93

 この面については、すでに社会的活動の中で、各々が経験してきていることであるし、避けなければならない最大要件の一つでもある。だが、いざ目的意識を持ってしまえば、ついつい、先に急いで行こうとしまいがちだ。重々忘れてはいけない。

 宗教系の団体が法人格を申請する場合、まず、特定非営利活動が主なる目的である必要があります。例えば、高齢者や障害者への支援を目的にするとしましょう。その活動を主に行う団体であればよいのです。従たる活動であれば、支障のない範囲で宗教的な活動も行うことができます。p140

 山の椒エコビレッジの活動が軌道に乗り、次第に活動機能が充実して行けば、瞑想ホールや個人セラピールームのようなものが出来てくることは間違いない。ただし、特定の団体だけが使うわけでもなく、一般の公共施設や貸しホールのように、複数の団体が、それぞれの貸出のルールに沿って利用することになるだろうから、これもまた大きな問題にはならないだろう。

 この本、第3版とはいうものの、すでに8年ほど前に出版された本である。分かりやすく丁寧な本ではあるが、情報は最新のもので補完しなくてはならないだろう。 

<2>につづく

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ながそねの息吹―ことむけやはす〈2〉

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「ながそねの息吹」 ことむけやはす〈2〉
矢追 日聖 (著) 1996/09 野草社 単行本 317p
Vol.3 No.0270 ★★★★☆

 大先達・矢追日聖の著書ことむけやはす1「やわらぎの黙示」につづく二冊目。一冊目もかなり変わった本であったが、こちらはさらに日聖ワールドの全面展開ともいうべき霊的活劇が展開される。それはまるで、天理教の中山ミキや、大本の出口ナオの伝記を読んでいるかのような錯覚に襲われる。

 時代といい、地域といい、まったく無縁とは言えないだろう。大きな宗教的な動きにはならなかったにせよ、そのルーツは、まさにあの時代性に強く根づいたものであることはまちがいない。それらの背景を背負いながら、著者は独自の歩みを残し、大倭紫陽花邑という共同体の礎を築いた。

 現代の社会でも、俗に超能力者や霊能者と称せられ、テレビにも登場してくる人々が最近になって沢山いることが分かった。ここで私は、人ごとではない、私自身が今日まで経験した範囲内に於いて、霊的感応(動物的本能)の種別を大略説明して、古代人の神懸かりの実態や神話などの源流を探る参考に供したいと思うのである。

 その一は、雑念が尠(すく)なく、我執を超越できたようなときは、神人冥合の境地に入りやすい。そうした心境に達すれば、求めずとも何か必要とするものがあれば、自分の意識外の所から必要とする時機に一つの閃きのような形で知らせてくる場合がある。

 その二は、自然界にある各種の気や、自然界の何か(古木、岩石、海、湖、川、山岳等)に籠る固有霊などの念(霊波)と互いに感得交流するようなことを、予期しないときにしばしば経験する。

 その三は、現在意識や、深い潜在意識が、かなり影響することになるが、過去に於いて実在した部分的な実相や、歴史上の人物などがときには心眼に映ったり、その固有霊からくる念を受けるようなこともある。それは霊波だけで相手の心を知ることもあるし、あるいはその霊波が自分の脳機能の働きで現代人が使用する言葉に変化させることもある。あるいはその霊波が無言で手足の動作や表情等に変化させて伝達してくる方法もとられる。神楽舞や神社に伝わる神事、自動書記というのはこれらに属するものである。

 その四は、俗に神語りと称する種類だが、その一つには何かの念をもったとき、無意識でいるのに勝手に言葉が出てくる。その自分から出た言葉を自分で聞くといった状態、もうひとつはある固有霊が人の肉体を借りて、何かを知らせようとする、いわゆる神懸かりになることもある。この場合、現在意識は用をなさないので、聞き役が必要である。私には、脳機能がしっかりしているのか、知性が勝っている関係か知らないが、巫女的経験がない。いつもサニワの方へ廻っているので、深い理解だけはもっている。

 こうした事柄を具体例によって説明すれば、私の経験範囲内でも切りがないが、こうした霊的感応の豊かな人、私より遥かな能力者は古代社会には数多く実在していたことと信ずる。現代人がこれらの実情をはっきり察知することができて、初めて神話伝承の起源に触れる可能性が生まれてくるのではなかろうか、と私は思うのである。p271「日本民族太古のふるさと長曽根の国を偲ぶ」

 この文章が書かれたのは昭和45(1970)年、この本が野草社から出版されたのが1996年、という時代背景を考えながら読み進める必要がある。

 本文の数か所に、青森県中津軽郡相馬村紙漉沢にある長慶天皇御陵墓についての言及がある。個人的なつながりを含め、強い関心を持つ。

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2011/02/26

「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン<2>

<1>よりつづく

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「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア<2>
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p より抜粋 
「山の椒エコビレッジ」ブログに併記

 エコビレッジ運動は、目的共同体の生活に関する古代思想が1960年代から1970年代にかけて出現した国際的な環境保護運動に出会ったときに誕生した。エコビレッジとは、「人類の健全な発展を支え、限りない未来にうまくつながる方法を採用することにより、人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいるヒューマンスケールの集落である」と定義されている。すなわち、それは、平和的に相互依存的な集団生活を営む持続可能な共同体である。p5

 エコビレッジは、目的共同体のなかでも、最も革新的で最も可能性のある形態である。しかも、私は、世界に広まる環境保護運動の先頭に立って2つの深遠な真実を統合させると信じている。その1つは、人間生活は小規模で協力的・健康的な共同体においてこそ最善の状態にあるということ、もう1つは、人間性を追求する唯一の持続可能な経路は伝統的な共同体生活復活と向上にしかないということである。p9

 (エコビレッジの定義は)人類の健全な発展を支え、限りない未来にうまくつながる方法を採用することによって、人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいるヒューマンスケールの、生活のための機能が十分に備わった集落である。p12

 エコビレッジは、さらに他にも現代的な数多くの系譜によって構成されている。1960年代から1970年代にかけての大地への回帰運動やヒッピー運動は、主流派である物質主義的な価値観に対する若者たちの拒絶であり、人間同士が再び相互に理解し信頼関係を築くことへの切望、欧米での共同体の再現を試みる多種多様な実験の着手を象徴していた。p16

 エコビレッジを形成する運動は、おそらくグローバル経済への従属に対抗する最も包括的な対応手段である。世界中で、人々は現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力から抜け出そうとする共同体を構築しつつある。p23

 エコビレッジは、生態系の回復、共同体の強化、地域経済の振興、精神的洞察力の深化などの観点から、社会の大きな目的に貢献しているものであると見なす傾向がある。ほとんどのエコビレッジは、世界中の多くの人々に、自らの教訓と見識を伝える方法として、教育的な活動やその他デモンストレーション運動に携わっている。p27

 まさにエコビレッジという概念がはたして首尾一貫性を保持するのか、という疑問を持たれるのも当然である。エコビレッジという言葉がそうしたさまざまな環境・ビジョン・戦略を説明するのに使用されているならば、その言葉がもつ本当の意味を保持することができるであろうか。私はできると思う。なぜなら、それは、5つの基本的特性に基づいているからである。どのエコビレッジも、程度の差こそあれ、以下の5つの基本的特性を共有していると見なすことができる。p42

 第1は、人間社会のおける共同体(コミュニティ)の卓越性である。エコビレッジは、おそらく何よりもまず、現代の危機的状況が生みだした疎外や孤独への対応である。それは、有意義な共同体において再び他人と結びつきをもち、ヒューマンスケールの社会において有用で尊重される住民になりたいと考えている人々の渇望に答えている。p42

 第2は、エコビレッジは、程度の差があるにせよ、すくなくとも初期の段階では共同体における住民自身の資金・創造力・ビジョンに全面的に依存する市民の新たな取り組みである。大体において、こうしたことは、政府や他の公的機関に対して広く行き渡った不満と、それらと、仲たがいにも起因している。p42

 すべてのエコビレッジに共通する第3の明らかな特徴は、それらの共同体が、自分自身の資源の支配権を取り戻すことに取り組んでいることである。突き詰めて考えれば、それは、自分自身の運命に対する支配権を取り戻すことである。p43

 エコビレッジのすべてに共通して見られる第4の特徴は、どんなエコビレッジの中心にも価値観が共有される強固な主体が存在することである。それは、いくつかのエコビレッジでは「精神性(spirituality)」という言葉で説明されている。これは、やや論争のある主張である。というのは、一群のエコビレッジの内部にも外部にも、その言葉に疑いを抱いている多くの村民がいるからである。44

 共通する最後の特徴は、第4の特徴と密接に関連しているもので、エコビレッジは、それぞれの分野の実地調査と専門性における研究、デモンストレーション、そして(大抵の場合)トレーニング・センターとして機能しているということである。p45

 (エコビレッジとは)民間人による新たな取り組みであり、そこでは、共同体主義者による推進力が何よりも重要である。それは共同体の資源の支配権をある程度取り戻すことを目指し、(しばしば「精神性」と呼ばれる)強固に共有された価値基盤をもち、研究やデモンストレーションそして(多くの場合)トレーニングセンターとして機能している。p45

 エコビレッジを形成する論理的根拠の非常に重要な部分には、人々がより健全でより持続可能なかたちで自然界に溶け込み、より地球に優しい人間用の住居を形成したいという要求がある。p49

 ローテク、ハイテクを問わず、エコロジカル・フットプリント指数の値を大幅に低下させるほとんどのエコビレッジに見られる顕著な特色は、程度の差はあるにせよ、調和のとれたホ―リズム的性格であり、エコビレッジ内部での資源循環を高め、外部からの投入量の削減を可能にしている。例えば、台所の生ゴミは、容易に堆肥として共同体の庭に利用できるし、共同体の森林を定期的に伐採することによって、住民の暖房用ストーブや木質ペレット暖房装置に燃料を供給し、バイオ技術を使って処理された廃水は食糧生産地域で利用され、伐採された木材や廃材は新たな建設事業に使用されている。p55

 比較的最近まで、ほとんどのエコビレッジ教育は現実には非公式なものであり、正規の学校や大学に基づく教育過程とは無関係で、一般に公認されていない講座に出席するために、各々の個人が授業料を支払ってきた。こうした性格の講座では、パーマカルチャーやエコビレッジの設計、再生可能なエネルギー・システム、美術工芸、興行芸術、精神性など、様々な内容を扱っている。p82

 従来の教育システムと教授法の制約から逃れて、共同体全体を壮大な社会的・技術的な実験室であり教室として利用する便宜が与えられているので、エコビレッジはこの種の教育の包括的な設計と提供において熟達した存在となっている。数多くのエコビレッジは、卓越した研究教育拠点として国内外で認められ、その結果としてこれまでに数多くの賞を受賞してきた。p83

 エコビレッジは、多様な領域において新たなモデルを開拓している。有機農業、地域支援型農業(CSA)、建築技術、障害者と健常者を包摂した集団、地域通貨、太陽エネルギー技術、バイオ技術を使用した廃水処理プラントなど、その後より広範囲にわたり一般社会に採用されるようになる新たな技術あるいはモデルを導入する先頭に、いつもエコビレッジが立っているので、人に強い印象を与えているのである。

 技術革新を導入する場合、エコビレッジは、他の変革主体と比べて、より速く、より大胆に行動できるという特性を持っていることは明らかである。エコビレッジが小規模であること、そして価値観が共有されているということは、明らかに良い結果をもたらしている。また一方で、等しく重要なことは共同体としての側面である。p87

 無邪気に「どのようにしてエコビレッジを形成するのですか」と訊ねる人々は、単純で有益な回答をめったに得ることができない。この10年間にわたって期待されたほどには、エコビレッジは急増しなかった主な理由の1つは、ほとんど間違いなく、エコビレッジの住民となることを志望する者が従うべきひな型が欠如していたということだ。そうしたひな型の形成は、エコビレッジ推進運動の前にはだかる大きな仕事の1つである・・・。p95

 エコビレッジの創設において、中核となるグループを確認し、土地を見つけ、地域計画当局に働きかけ、投資資本を調達し、適切な法体系を作り、建物を建設し、どのようにして所得を得るか、どのようにして所得を分配するかという意思決定機構を決め、利害対立を処理するなどの、エコビレッジの形成に関わる第一歩は決して簡単な仕事ではないということは、確かな事実である。それにもかかわらず、一般的に認識されるひな型あるいはモデルと見なされるケースが欠如していることによって、しばしば将来エコビレッジとなるつもりの各新規グループが一からやり直すはめになっているのである。p108

 エコビレッジの複製を容易にするひな型を形成する問題に関して、最後のポイントは、エコビレッジ内部には、とりわけ個人が自分の家屋の設計や建設に関わりたいという要求に表れているように、強い無政府主義的傾向があるということである。エコビレッジにとって、このようなぜいたくが相変わらず適切で入手可能なものなのか、と問いかけるのは、時機を得ているかもしれない。p110

 この提案事項には、以下のものが含まれている。
●当該プロジェクトには、自動車使用を最小限に抑える計画が用意されている。
●当該プロジェクトには、ゴミの発生を最小限に抑え、可能なかぎり現地において再利用、再生利用を計画する。
●当該プロジェクトには、エネルギー保全、再生不能エネルギー源への依存度を徐々に実行可能な最小値にまで縮小する戦略を持っている。
●当該プロジェクトは、現地で追求されているいかなる活動も、近隣か社会一般に対して過度に迷惑な行為となることのないことを立証できる。

 こうした条件の導入は、見直し期間の設定と共に、かなり明白な利点をもたらす可能性と一体となって、地元当局にとってリスクの少ない戦略を作り上げるだろう。
P114

 歴史的文脈のなかで、エコビレッジが主流派社会に対して既存のものとは別の道に進むことを選択することはもっともなことである。主流派のなかでは、エコビレッジの住民たちが夢想する類の小宇宙的社会を形成することはほとんど不可能であったであろう。さらにまた、支配的なパラダイムから身を引いて、新たなパラダイムの形成に参加するという行為は、それに対する大胆な魅力をもっていた。エコビレッジは、自らの掌中に権力を収めることができる能力を示すことによって、大きな信頼を得たのである。

 世界は、今や大きな転換期にある。将来のエネルギー不足は、共同体には、エコビレッジがこれまでに開拓しつづけてきた道に沿った地域再生以外に選択の余地がないことを意味している。幾つかの点において、エコビレッジはきわめて独特であるが、その他の点においては、以前と比較してかなり「主流派」に近づいている。これまでの長期にわたり共同体に居住してきた者は、ヒッピーや変人としてより平凡な隣人たちの冷笑の的にされていたことは、それほど昔のことではなかったことを記憶しているが、現在では、共同体で開発した生態学的技術の視察にやって来る当局の代表団を受け入れている。

 これは、エコビレッジにとってチャンスである。このチャンスとは、「代替案になっている」安全なニッチをあえて残しておくことであり、今後数十年にわたって主流派社会を支援するという課題に熱意をもって喜んで応じることである。こうしたことを実現させるには、エコビレッジと地方自治体が相互に友好関係を表す歓迎の手を差し伸べる必要があるのである。p116

<3>につづく

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2011/02/25

山で暮らす愉しみと基本の技術

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「山で暮らす愉しみと基本の技術」
大内正伸 2009/06 農山漁村文化協会 単行本 143p
Vol.3 No.0269 ★★★★★

 この本はわが家の人気本。イラストを見ただけで奥さんがすぐ手を出してきた。実際に山で暮らそうとしたら、次の瞬間から役立つような実際の技術と知恵がイラストつきで分かりやすく紹介されている。しかもそれは著者の体験から書かれている。

 片刃の刃物は一方向の連続した動作に向く。両刃は左右から同じように切り込める。上はナタとカマが合体したようなナタガマと、突起付きのナタ。地面にぶつけても刃が欠けない。ツル切りにも便利で、山村向きの道具 p16「木を伐り、草を刈る道具たち」

 山の椒エコビレッジの4m道路も、実際はかなり自然化しており、車で走行しようとすると、両側から伸びているツル類が行く手を阻む。まずは、自分が使うべき道は、ナタを使って整備する必要があるようだ。

 毎日のようにナタ・カマを使う山暮らしでは、刃物の研ぎはとても大切だ。研ぎには砥石を固定して刃物を動かす場合と、刃物を固定して砥石を動かす場合の二通りがある。砥石よりも研ぐ本体が大きいカマやナタは、後者でやる場合がほとんどだ。砥石を一定の角度で動かすことが重要で、ブレると丸っ刃)切れ刃の断面が局面状態)になって切れない。p18「刃の研ぎ方、メンテナンス」

 まず、道具の扱い方、ひとつひとつから学ぶ必要がある。

 現代人の感覚では「ちょろちょろと流れる沢水」ではとても水源になるまい、と思うだろうが、昔は「指一本分、鉛筆一本分の太さ」の流れがあれば、一戸が暮らせる、といわれていそうだ。水をムダ使いする現代感覚では無理かもしれないけれど、たとえ流量が少なくとも中継タンクの容量を大きくして水を溜めることができれば、水源になりうる。重要なのは量よりも質である。質とは安全な水であること、そして水源が一年中枯れないこと、である。p77「水源と取水法」

 山の椒エコビレッジでは、すでに大きな水源が活用されているし、住民が多数になった場合でもすぐ対応できるように、井戸の設備があり、対応方法はさまざまある。しかしながら、実際に彼の地に自らの住まいを設定する場合、「指一本分、鉛筆一本分」の流れを探して探索するのは楽しそうだ。しかも一年中枯れないこと、を確認するには、なんども土地をあるいてみる必要がある。

 単なる砂と礫の層を通過するだけで水がきれいになり、細菌さえも除去されてしまうという「緩速ろ過(生物浄化)方式」は、私たちに鮮やかな視点を与えてくれる。つねにゆっくり水が流れるこの砂ろ過層の中で、さまざまな微生物が水を浄化しながら暮らしている。p76「山水と水質と生物浄化」

 この辺はすぐにでも実験してみたいところだ。

 スギ・ヒノキの間伐材丸太で、納屋、道具置き場、軽トラの駐車場にもなる「掘っ建て小屋」をつくってみよう。「掘っ建て」とは、土穴に丸太柱を立てるものだ。小屋づくりの中で、木を学び、生かすコツが見えてくる。丸太の構造力学、雨仕舞、皮むき、はつり、釘打ち・釘抜き、シノによる番線しばりなど、木を使う具体的な技術も身につけられる。木と土と石を使う古民家の維持・再生のヒントも見つかるはずだ。p93「小屋をつくる 建てることで木を学ぶ」

 一年中暮らすをことを考えるとなかなか腰が重くなる。雪の中で、女性陣もあたたかく暮らせるように、なんて理想はさておいて、まずは、まずは掘っ建て小屋から始めるか。これも学習の始まりだ。

 汲み取りや自家処理がイヤなら、オガクズを使うドライトイレという選択もある。オガクズに、し尿を混ぜ、ヒーターで温めながらスクリュー撹拌すると、好気性微生物によって分解され乾燥も進む、というもので、最後はサラサラのパウダー状になって土に還すことができる。水や配管がいらないので、オガクズ入手が容易な山村では向いているかもしれない。p91「「トイレの処理を考える」

 これは実際的な課題だ。すぐに取り組まなくてはならない。

 この本には他に「火を使う」として、囲炉裏や石窯、かまどの作り方なども書いてあり、この一冊だけあれば、結構な山暮らし通になれる。

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2011/02/24

地球の家を保つには エコロジーと精神革命 <1> ゲーリー・スナイダー

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「地球の家を保つには」 エコロジーと精神革命
ゲーリー・スナイダー (著), 片桐 ユズル (翻訳) 1975/12 社会思想社 単行本 264p
Vol.3 No.0268 ★★★★★

 エコロジー(ecology)の”eco”(oikos)の意味は”house”。すなわち地上の家を保つこと(Housekeeping on Earth)。 p226

 1930年生まれのスナイダー、27歳、33歳、37歳、38歳、39歳の時の詩や論文が一冊になって出た本が、1975年に片桐ユズルの翻訳で出版された。その後、1991年にスタジオ・リーフから再刊された。

 30代にして、すでにZENの老師のような風格を顕したスナイダーの、つぶやきから、ひとつの思想への成長のプロセスが見てとれるような一冊。

 戒律によって善を少々得て、それで十分だなどとおもってはいかん。河の砂のごとく数えきれない道徳、瞑想、知恵の門のきよめをうけたかもしれないが、それの千分の一にも触れたわけではないのだ。

 勇気をふるって努力し、早くためになることをしろ。待っていると耳はつんぼになり、目はかすみ、髪は白く顔はしわだらけになるぞ。体は年とり苦しくなり目は涙であふれ、こころは不安で満ち、どこにも行くところがない。そうなってしまったら自分の手足さえもきちんとすることができないのだ。

 財産があっても、知恵と知識がいくらあっても、なんのたすけにもならない。こころの目がひらいておらず、またかんがえが状況に埋没しているならば、自分の内部を照らして見ることをまなぶことも、仏の道を見ることもできないだろう。p140

 山尾三省との対談「聖なる地球のつどいかな」は、当ブログ、目下の教則本となっている。「山の椒エコビレッジ」というリアリティの中で、ひとつひとつの言葉が生まれ変わる。スナイダーには他にも本があるが、一気に読む続けることはできない。ゆっくり、ゆっくり、繰り返し読み進めている。

 その島は8軒しかなく---人口40人---島の主要部分は火山と熔岩で、居住可能でも無人の地がたくさんあった。というわけで島民たちはナナオにもし彼も彼の友だちでもそこにキャンプなり住むなりしたかったら、歓迎する、といった。p237「諏訪之瀬島とバンヤン・アシュラム」

 まさにこの規模こそ、「村」の最小単位であろう。7~8軒の家と、40人の住民たち。「山の椒エコビレッジ」は、まずはそのスケールを目ざす。

 現代科学とテクノロジーの最先端はこういった見方のいくつかを支持するようになった。けっきょく現代の部族民は、大時代的に文明を批判しているというよりは、現代社会においてこれほど適切なタイプはいないのだ。ナショナリズム、戦争、重工業、消費、といものはすでに過去のものであり役にたたない。

 人類の次の大いなる一歩は自分の精神の中に踏み込むことであり---ほんとうに問題なのは「意識とは何だろう?」ということであり、われわれはこういった問題の探究にあたっては科学をもっとかしこく創造的につかわなくてはならない。

 ひろい国際的経験と学識をもち、ひまをもったひとなら---われわれの長い文明の歴史のぜいたくな産物だが---彼はとうぜん、数少ない道具と最低限度の衣類で、自然にちかく、しっそに暮らしたいとおもうのだ。p206「なぜ部族か」

 まさにスナイダー節、全開。これこそ私たちの世代のマニュフェストにならなければならない。

 OM MANI PADME HUM

 オム マニ パドメ フム     p236

 ひさしぶりに、またこのマントラと出会った。

<2>につづく

OM MANI PADME HUM

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2011/02/23

環境時代の農村整備―エコビレッジの提案

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「環境時代の農村整備」 エコビレッジの提案
武内 和彦 (著), 農村生態系計画研究会 (著), 全国土地改良事業団体連合会 (編集) 1996/08ぎょうせい 単行本: 156p
Vol.3 No.0267 ★★☆☆☆

 エコビレッジの提案、という言葉に惹かれてめくってみたものの、ここでいうところのエコビレッジは、現在私たちが推進しようとしている「山の椒エコビレッジ」とは趣を異にする。この本はすでに15年前に書かれた本だが、「環境時代の農村整備」というタイトルそのものが物語っているように、地域としての農村の整備や活性化を狙った提案なのである。

 思うに、そもそも日本の農村なんてのは、まさにエコビレッジであったのではないか。一部の過疎地域や開拓村などは苛酷な条件にもまれているかもしれないが、大自然と調和しながら、地域住民が一体となって暮らすライフスタイルが、日本のどこにもあったはずなのである。

 しかるに、それはいつの間にかお話の世界になってしまった。日本昔話なのだ。現在はインターネットが各国の政治体制に大きな変革を生み出しているが、戦後日本の大きな変革の原動力となったのはテレビの普及であっただろう。

 地方の言葉が次第に姿を潜め、全国どこでも「共通語」としてNHK言語が普及するようになった。価値観が都市型に改められ、誰もが都会にあこがれるようになった。そして、都会の文化レベルを、地方や農村地域でも求められるようになった。

 そしてその結果、もともとエコビレッジだった日本の農村は、自らの本来の姿を見失ってしまい、今更ながらに、エコビレッジというカタカタに依存する形で再生を図ろうとしているかのようだ。しかし、そこにはかなり無理がある。

 山の椒エコビレッジは、環境時代の農村整備とエコキャンプ場の間にある。すでにある村落を活性化しようとするものではない。また、一時的な都市忌避型のレジャーでもない。あえていうなら、別荘型セカンドライフだ。農業ではないが、家庭菜園がある。レジャーはあるが、完全消費型ではない。新しいモデルの創出だ。 

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2011/02/22

ワンダフル・プラネット! 野口聡一

【送料無料】ワンダフル・プラネット!
「ワンダフル・プラネット!」 
野口聡一 2010/11 集英社インターナショナル/集英社 単行本 95p
Vol.3 No.0266 ★★★★☆

「宇宙飛行士が撮った『母なる地球』」とほぼ同時に出版された、著者の写真集。

 これを悟りというのならば、偉い人は、地上にいてさえこういうことがわかるのかもしれない。でも僕のような凡人は、一瞬だけ地球から飛び出して、宇宙からそれを眺めた時に、やっとわかった。 

地球が一つの「もの」であり、そして同時に「いきもの」であるということに。そして僕は地球に属するほんの小さな「いきもの」であると同時に、この瞬間地球と対等な存在として宇宙を旅する「もの」だということを。

 地球は生きていて、命を持っているから、こんなに輝いている。自分の肉体は、本来、地球にあるはずなのにという不思議な感覚にとらわれながら、地球という自分自身の根源を、僕は宇宙の暗闇のなかで見た。p27「すべては地球にあった」

 163日の間に、地球を何千周もした人の感慨である。

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2011/02/21

ツリーハウス―だれもが欲しかった木の上の家

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「ツリーハウス」 だれもが欲しかった木の上の家
ピーター・ネルソン (著), 本郷 恭子 (翻訳) 2003/06 ワールドフォトプレス 単行本: 127p
Vol.3 No.0265 ★★★★☆

 なるほど、ツリーハウスね。「誰もが欲しかった木の上の家」とまでは言わないだろうが、たしかにこの手もありだなぁ。建築許可も必要なさそうだし、自然を満喫できる。ただ、いざ作ろうとしたら、この環境はなかなか手に入らなそう。それに、台風なんか来たら、どうするんだろう。

 小さい時、家の周りには屋敷林があって、夏休みになると、ヤグラを作ったものだ。屋敷林は数メートルの等間隔に植林されているので、横棒を渡して、真四角なスペースを中空に作ることができる。

 小さな時は、ここに板を渡し、回りをむしろで囲った程度なものであったが、結構隠れ家的で楽しかった。とくに若い叔父や兄貴たちが作ったものは、なかなか立派に見えた。梨畑にくる泥棒を見張るためにも、ヤグラは作られたし、農薬のない時代には、スズメが実ったコメを狙って田んぼを襲うので、田んぼの脇に立てられたヤグラの上で、一斗缶をガンガン叩いて、鳥追いをしたものだ。

 考えてみれば、海水浴場の見張り小屋みたいなもので、結局は、夏休みだけの、ちょっとした冒険でしかなかった。小学生の時に、上の子供たちに混ざって遊んでいる時が一番楽しかった。

 中学生になって、やはり屋敷林でヤグラを組んだ時がある。それまでは縄で棒や板を結わえていたのだが、だんだんと道具を使うようになり、杉の木に釘で板を打ち付けたことがあった。しっかりと定着してくれるのだが、家人に、生木に釘を打ってはならない、と、たしなめられ、結局は、それを最後に、私の子供時代のツリーハウスは終わってしまったようだ。

 たしかに、生きている木に釘を打つのは、かわいそうな気もするが、かと言って、果物の木にナタで傷づける行事があったりする。危機感をもった果実は季節がくると、種族保存の法則で、果実を多くつけたりするのだ。感傷的になって、ヒューマニストぶるのも、よくないかもな。

 この本に紹介されているようなツリーハウスは実にワイルドだ。ははぁ、ここまでやるか、と言う感じがする。そんなにしてまで木に登りたいのかなぁ。基本的な人間生活の、ヒューマンサイズ、という概念からすると、すこし外れているなぁ。趣味の世界だな。

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2011/02/20

藤森照信×伊東豊雄の住宅セレクション30(vol.1) <1>

【送料無料】藤森照信×伊東豊雄の住宅セレクション30(vol.1)
藤森照信×伊東豊雄の「住宅セレクション30」(vol.1) <1>
東京建築士会 2006/03 エクスナレッジ  単行本 139p
Vol.3 No.0264 ★★★★☆

 この本もなかなか面白い。ビジュアルなものが極めて強烈に飛び込んでくる、この環境でこのデザインか。確かにそれは実験的であり、冒険的ではあって、いざ住んでみたら、決してエコでもスローでもないだろうが、それでもやっぱり、できれば住んでみたい、と思わせる家々が紹介されている。

 このような起伏に富んだ山林や周辺地域でも、これだけ楽しそうな家が描けるなら、この人たちが山椒エコビレッジにきたら、絶対に虜になるに違いない。ただ、建築家、という人たちは、住む人たちから金をもらって、独創的な家を作ることを趣味(仕事か?)としている。

 いや、そうではないのではないか。この人たちこそ、自分が住むべき家を作ることこそ、仕事とすべきなのだ。施主のことなど考えずに、自分の家を建ててみたらどうだ。自然のなかに、スローでエコで、そして、未来な一軒を。

<2>につづく

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2011/02/19

世界のスローハウス探検隊  日本・世界の「建築家」なしの住宅をめぐる

世界のスローハウス探検隊~建築家なしの住宅
「世界のスローハウス探検隊」日本・世界の「建築家なしの住宅」を巡る
中山 繁信 (著) 2008/12 エクスナレッジ 単行本: 175p
Vol.3 No.0263 ★★★★☆

 私が生まれた家は、築300年をゆうに超えた茅葺の古民家だった。大黒柱は、大人二人の腕でも回りきれなかった。囲炉裏があり、屋敷林の枯れ枝を燃やして、萱をスモークしていた。100坪以上の母屋の他に10以上の付帯家屋があり、全体の敷地は、1000坪以上あった。もちろん、掘りの外の一連なりの田畑を合わせれば10000坪以上になっただろう。敷地を二本の川が流れ、100坪ほどの池が二つあった。

 柿、ブドウ、リンゴ、梨、梅、ぐみ、無花果、栗、ザクロ、など季節の果物が実った。ヤギ、馬、牛、ニワトリ、猫、犬、そして、結構ネズミもいた。春になればカエルがぴょんぴょん跳ねたし、冬になればニワトリを狙ったイタチが忍び込んできた。家族とともに、他に住み込みで働いていた数人の若者たちが、コメや芹やたくさんの野菜を作っていた。

 こんなライフスタイルが次第に崩れていったのは、1960年代の所得倍増計画のあたりから。野菜からコメ中心の農業になり、機械化が進むとともに、農薬も登場した。それまでは、そんな気張らなくても、みんな有機農業しかなかったのである。労力は人力で、馬や牛は大きな動力だった。

 高度成長期になると、すぐ家の脇をバイパスが通るようになり、自動車会社の大きな販売店ができた。その後は、どこでもあるような、乱開発の波に襲われ、それまでゆったりと繋がってきた村落共同体は、次第次第に力を弱め、田んぼをつぶしてできた新興住宅がベットタウンと化していった。

 川が農薬で赤くなり、フナやドジョウが浮いた。信号のない交差点で、何人も交通事故に遭い、そのうちの何人かは死んだ。味噌や醤油、納豆、畑の野菜類をつくる人たちが次第に減り、みんな町のスーパーに買い物にいくようになった。

 昔の農家は、家督相続というものがあったから、次男の私は農家を継ぐ立場にはなかった。それでも未練があったのか、成長してから公的機関で農業を学んだ。決して自然農法ではなかったし、機械化農業、農薬農業、稲作中心農業ではあったが、面白かった。

 でも、私は田畑を所有し、あるいは借りて耕作をしたことはない。あるいはしようと試みたことはあっても、決断はできなかった。天は、私のような無精者に土地も与えなかったし、農業をやるような体力も与えなかった。私には別な仕事しか与えられなかった。

 私の子供達や孫達は、私がこんなことを言っても想像しにくいだろうが、戦前や戦争直後の日本なんて、大体私と同じような環境で育った人がほとんどだった。もっとも、あの頃の日本人には、30階を超えるような高層マンションや、300キロを超えて走るような地上の乗り物などを想像することはむずかしかった。みんなスローハウスに住んで、スローなライフスタイルを生きていたのである。

 もしあのままスローな日本に生きていたら、なにもスローなハウスを訪ねて世界を探検して歩く必要などない。そして、もし世界にスローなハウスを見つけたらからと言って、喜んではいられない。

 まず、日本にすむ私たちは、ごく一部の人たちを除いて、かつての村落共同体に支えられたライフスタイルはできない時代となっている。そして、世界のスローな人々も、グローバルな文化の流れとともに、決してスローな生活に安住ばかりはしていられないだろう。

 私達が見失ってしまったものは、確かにスローな社会に残っているものもあるが、後ろ向きにバックすることは、決して人類にとってよいことではない。スローハウスという言葉の中に秘められたなにか、見失ってしまった何かを、私たちは、エコビレッジという未来に見つけようとしている。

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現代建築家による“地球(ガイア)”建築<1>

【送料無料】現代建築家による“地球”建築
「現代建築家による“地球(ガイア)”建築」<1>
乙須敏紀 2008/11 ガイアブックス/産調出版 単行本 287p
Vol.3 No.0262 ★★★★☆

 エコビレッジとはなんだろうと、あらためて思いなおし、ウィキペディアを見てみた。まずでてきたのは、次の文言。

・ ヒューマン・スケールを基準に設計される。

・ 生活のための装備が十分に備わった住居がある。

 ヒューマン・スケールを基準に設計される、という言葉の響きはなかなかいいが、いまいち抽象的過ぎる。2番目、生活のための装備が十分に備わった住居がある、というのは、逆によくわかりやすい。4万坪の土地がある。起伏に富んでいるし、利用方法はさまざま考えられるだろう。しかし、まずそこに暮らすとすれば、「家」が必要だろう。そして、その家には生活のための装備が「十分に備わって」いなくてはならない。

 自分のなかのコミューンやエコビレッジというイメージがある。そして宮城蔵王・川崎町の山の椒エコビレッジという現実の土地がある。この二つを結びつけていくには、さてこれからどうすればいいのだろう。自分がその地に立つこと、そこで暮らすことをイメージしなくてはならない。

 その土地に車で行くだろう。日帰りならそれでまた車で帰ってくるので問題ない。もし、一晩そこですごすとしたら、車の中に寝ることもかのうだろうし、長いこと使っていないシュラフもまた役に立つだろう。

 数日その地に留まるとしたら、テントが必要になるだろう。これもちょっと大型ハウス型のテントが物置に眠っている。また活躍する機会が訪れたのだ。でも、もっと長期に暮らすとなると、テントはまずいだろう。ましてや暖かい夏ならともかく、秋や冬となったら、テントでビバーク生活は現実的な話ではない。

 住居をつくらなくてはならない。それも夏の間に。ログハウスというのがなかなかカッコイイ。土地に生えている木や、地域で伐採される格安の間伐材を購入して、最低限の拠点を作ろう。だが、機械も必要だろうし、道具も必要だ。屋根はどうしよう。先人たちのアドバスが必要になる。それにログハウスは一日ではできない。

 一番簡単な方法は、車でキャンピングカーやトレーラーハウスを持っていって据えつけてしまうことだ。安いものだと、数十万円の中古のものが手に入る。個人やカップルなら短期間の「定住」はこれでできるはずだ。湧水をホースで車まで引っ張り、100ボルトの電気を引き、プロパンガスを設置すれば、まずまず生活できる。テレビの電波はどうだろう。ワンセグは視聴できるようだ。

 キャンピングカーには、据え附けのトイレが付属でついているものがある。カセットトイレだから、いずれはたまったものをどこかに捨てる必要がある。もちろん、近くの雑木の中に穴を掘って簡易トイレもつくることができるだろう。だが、夏だとハエが飛ぶかもしれない。いずれは考えていかなくてはならない。女性が安心して使用できるトイレをつくらなくてはならない。

 そうこうしているうちに「生活のための装備が十分に備わった住居」に次第次第に近付いていくだろう。だが、それだけで「エコビレッジ」は完成したのだろうか。ひとつひとつのプロセスが学びであるならば、このエコビレッジには、究極というものはない。

 さて、「マルチバーシティ・ジャパン事業」の企画書を読んでいて気になるところがある。

■デザイン構想

【第2ステップ】
●適正規模の「マルチバーシティ・ジャパン」の拠点を創設。

緑豊かな美しい庭園の中に、小川が流れ、
環境と調和する癒しと充電のためのモダンな建築施設。
施設内には40~50人が集え、防音設備のグループ用大ホールを中心に、
個人セッション用の部屋と、シャワールームやお風呂、
キッチン、宿泊施設、憩いのひとときを過ごすことのできるガーデン、
水場を擁した、ゆとりのあるスペース。
快適に過ごせるように工夫されたホテル並のクオリティ。
建築素材には天然木や大理石などの本物素材を使い、
エコロジカルな先端テクノロジーとパーマカルチャーの発想を
取り入れた未来的設計で、マルチバーシティのビジョンを
象徴するランドマークへ。 mixi「マルチヴァーシティ」コミュより  

 4万坪というスペースは「40~50」人が暮らすには「適正規模」だと言える。緑豊かではあるし、美しい庭園の中に、小川が流れるだろう。そして建築と調和する癒しと充電のためのモダンな建築施設が、できる可能性は十分ある。しかし、快適に過ごせるように工夫されたホテル並のクオリティ、というところはかなり引っかかる。

 本当にホテル並みのクオリティが必要なのか、ということと、ホントウにできることなのだろうか、ということだ。現在は、テント暮らしからしか始まらないのだ。今は夢また夢のお話でしかない。

 しかし、開発途上で放置されてしまった30年間を経て、すでに再起をかけて7年間、しずかにこの地は、その眠りから覚めつつある。これから何年も、何十年もかけていけば、ホントウに「ホテル並みのクオリティ」のエコビレッジができる可能性はゼロではないのだ。

 さて、そんな目でみるとき、この「現代建築家による“地球(ガイア)”建築」は、実に目を見張らせるような斬新なデザインで埋められている。いずれ、山の椒エコビレッジにも、このような現代建築デザイナー達がやってくるだろう。そして、この地にこそ可能な自然と調和した建築を作ることになるだろう。人間と地球が一体化するような、最も自然な家ができるに違いない。

ガイアとは
地球上の全ての生命を丸ごと活かす地球環境そのものです。ガイアブックスは人間と地球(ガイア)を含めた全ての生きものの自然生命エネルギーを接続可能にしていけるナチュラルライフを支援していきます。

ガイア(地球)建築とは、自然環境の中で住まうこと。

地球に元からある天然素材を組み合わせ、その質感を、住宅建築の中に活かすことは、住宅に比類なき優雅さを付与する。

地球と人類、今ほどこの根源的な関係が問われている時代はない。本書で紹介する作品群は現代建築家によるその解答の一部である。

第1部建築、第2部インテリアという2部構成の中で、建築が切り開く地球と人間の新たなる関係が見えてくる。 表紙見返しより

<2>につづく

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2011/02/18

宇宙家族ヤマザキ 妻から届いた宇宙からのラブレター

【送料無料】宇宙家族ヤマザキ
「宇宙家族ヤマザキ」 妻から届いた宇宙からのラブレター
山崎大地 2010/12 祥伝社 単行本 280p
vol.3 No.0261 ★★★☆☆

 「宇宙家族ロビンソン」を連想するようなタイトルだが、決してSFドラマではない。女性日本人宇宙飛行士・山崎直子さんのおつれあいさんが書いた、実話である。表紙には、これ見よがしに、iPhoneの画像が大きく載っている。へぇ、iPhoneを持ってスペースシャトルに乗ったのか、と思ったが、そうではない。

 このとき妻が使っているメールアドレスは、宇宙飛行士が宇宙滞在中に使う特別なメールアドレスである。なぜ特別なメールアドレスを使っているかというと、もし飛行中に通常の地上勤務用のアドレスを使うと、飛行中に友人知人同僚親戚などから膨大な数のメールが届いてしまうし、地上での普段の仕事上のメールもむやみやたらに届いてしまう。

 そのため、それだけでスペースシャトルや国際宇宙ステーション用の通信回線がパンクしてしまう可能性があるのだ。そこで、事前に限られた人のメールアドレスリストをNASAに提出しておき、そこにリストアップされているメールアドレス宛に事前にNASAから確認メールが送信され、そのやり取りが確認されたアドレスだけがその特別なメールアドレスとの送受信ができるようになっている。

 いずれにしても、宇宙から普通に自分の携帯電話にメールが届き、それに返信すると、スペースシャトルや国際宇宙ステーションに普通にメールの返事が届く時代になったのだ。これは携帯電話で宇宙にいる家族と普通に話ができるのと同じように画期的なのだ。あらためて、地球近傍の周囲軌道まではすでに人間が普通に活動できる領域になりつつあることを実感するのであった。p207「きぼうの未来」

 宇宙からのメールをiPhoneで受け取ったのだから、別にノートパソコンでも、ディスクパソコンでも同じことなのだが、この時代性を表現しようとして、iPhoneの画像を掲載したのだろう。それに、宇宙から直接自宅に電波を飛ばしたのではなく、一旦NASAに流れた電波をインターネットに転送したのであろうが、それでも、宇宙と話せるというのは、いまから20年前に外国とメール交換できるようになったのと同じくらい画期的であると言える。

 それに引き換え、山の椒エコビレッジのことを考える。今時、地球上にいるのであれば、ケータイやスマートフォンを通じて、常に会話やメールを交換することが当たり前であってほしい、という期待が高まっている。まだ未確認だが、各社のメールやケータイ通話が、かの地において可能であるのだろうか。ネット接続はどうなのだろう。もしその空間に長時間いるのであれば、ネット接続はどうしても必要になってくるだろう。

 1986年1月にチャレンジャー1号の事故があった。発射台から飛び立ったばかりのスペースシャトルが打ち上げ直後に爆発したのだ。著者はこの時、中学一年生だった。

 私はこの事故のニュースを見ていつか自分が大きくなったら必ず、今よりももっと安全な飛行機や宇宙船を作りたい、絶対に事故を起こさない乗り物を作りたい、そしていつか自分もそれに乗って宇宙に行ってみたいと思うようになったのだった。

 実はそのとき、私の妻・直子もテレビの前で、宇宙飛行士を志すきっかけを得ていた。p18 「『宇宙家族』の出会いは必然」

 そうか、あの時、中学生だった人たちが、すでに宇宙に行っているのか。私はあの時、アメリカの中学生たちが動揺して、全国の中学校にカウンセラーが派遣されたというニュースを見て、まだ日本ではカウンセラーという言葉すら一般的ではなかったが、自分はカウンセラーになりたいと思った。

 この本、野口聡一さんの「宇宙飛行士が撮った『母なる地球』」と対をなすような一冊と言えるかもしれない。

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2011/02/17

UFOテクノロジー隠蔽工作

【送料無料】UFOテクノロジー隠蔽工作
「UFOテクノロジー隠蔽工作」
スティーヴン・M.グリア/前田樹子 2008/03 めるくまーる 単行本 548p
vol.3 No.0260 ★★★★☆

 この本を手にしてみようと思ったのは翻訳者の前田樹子に関心を持ったからである。グルジェフ、ウスペンスキー、エニヤグラム、エドガー・ミッチェル、ときたら、この本、タイトルの割にはきっと得るところが多いに違いない、と、そう思った。

 超越瞑想またはTMと呼ばれる瞑想形式を学習することで、私は18歳の誕生日を特筆すべき記念日とした。高次意識を自由自在に経験できる能力を与えてくれるものなら、何だろうと私は渇望していたのである。p36「宇宙にあるマインドの総数『1』」

 そうか、この人はここから入っていったのか。この本のタイトルは、まるで徳間書店のシリーズを連想するが、英語ではHIDDEN TRUTH - FORBIDDEN KNOELEDGE である。なかなかカッコイイ。

 1992年7月、最も興味深いミステリー・サークルの中心地、アルトン・バーンズの農場へ行った。それは千エーカーを超える大きな農場で、その私有地を私たちの目的のために使用する許可を得ていた。p141「クロップ・サークル(ミステリー・サークル)」

 山の椒エコビレッジをグーグル・マップでみると、道が木々で覆われ、一部原始化しているので、もともとあった道が見えない。もし、これらの道を完全に発掘して、幅4m、総延長3kmに及ぶ全体図を露わにしたら、きっと、空からみたらミステリーサークルの一つにさえ見えるかもしれない。

Googlemap

 ”母なる地球”とともに呼吸している感じを持ってください。地球がこの空気を与えてくれ、私たちの吐いた息を受け取ってくれます。この限りなく賢明な花の、目覚めている生命と光を吸い込み、あなたの心配と不安、苦痛と苦悩のすべてを地球へ放出し、完璧な平静と平和の状態に入ります。p423「先達とともに瞑想---宇宙の構造」

 実体(リアリティ)の本質を理解しないかぎり、未来の本質を理解することは不可能である。私たちが未来について話す場合、予想され得る未来についてのみ話すことができる。詳細は変わるかもしれないし、タイム・ラインも変わるかもしれないが、超論題(メタ・テーマ)はわかっている。これがもっとも重要である。p473「星間社会」

 私たちが民衆として地球からコスモスへ移動し、”神”の意識のこの状態の中に完全に私たち自身を確立させたなら、いつの日か彼らが到達するであろう文明の、力強いひとつの実例となるだろう---今日でさえ私たちの将来を示す文明があるように。

 そしてこの美しい周期は継続し、けっして途切れなることはない。

 あなたにその時代が見えるだろうか? それが人類に定められた運命である。まさに天界的であり、神性である。宇宙意識の状態において、私たちは”ET"になる。p519「天界の特性」

 この本、徳間書房の本のようにではなく、一連のめるくまーる社の本のように読むことができれば、なかなか面白い。

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やわらぎの黙示 ことむけやはす 1 矢追日聖

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「やわらぎの黙示」 ことむけやはす 1
矢追 日聖 (著) 1991/12 新泉社 単行本: 300p
Vol.3 No.0259 ★★★★★

 簡単に分かりやすく言うならば、私の肉体に宿っている心が二つの作用をもっていて、実際は一つのものである。あたかも、天にかかる月と、水に映っている月のような形である。言い換えれば現在意識が普通にいう私とすれば、もう1つの方は、更に更に深いところで生まれぬ先から既に存在し結ばれていた最高潜在意識(自己本霊)であるということである。

 自己本来霊が私の実体とすれば、私と思っている現在意識や白髪のこの肉体は、私の実体の影にすぎないということになる。月影は水面の状況によって真実の姿を浮かべることは難しい。

 自己本来霊は宇宙創成の気に直結しているから宇宙に包蔵している無限叡智を受け入れる道は通じているのだが、影なら自分である現在意識は、永年にわたって人類が積み重ねてきた我利我欲主義、科学一辺倒、あるいは苦悩、迷妄、病患、執着といったものに固くさえぎられたため、古き真空管をつけたテレビジョンのように感度がいつのまにか鈍くなったと私は言いたいのである。p51「大倭の黎明」

 畏敬すべき先達、大倭紫陽花邑の創設者、矢追日聖の仰ぎ見るべき一冊。出版は1991年にでているが、戦後まもなくの昭和20年代初めからの文章が再編成されており、彼の人生が濃縮された形でまとめられている。

 こういう本については多くを語れない。語れば語るほど、こちらが裸にされて、知るべきは自らの足元、ということになってしまう。随所に気づかされることがあり、また繰り返し読むことによって、生きていく上での糧となろう。

 しかしまた、感動しつつ読み進めつつも、2011年というこの年月に、山の椒エコビレッジ構想のプランニングの過程で読む込む場合、年代や姿勢、表現方法に一定程度のフィルターをかけながら読み進めなければならないのは当然のことである。

 先日読んだ「新しいレムリア」はアメリカのシャスタ山に住む女性のチャネリングによるものだったが、こちらの「やすやぎの黙示」もまた、そのアルファベットや表現形態にこだわったら、そこにもともと表わそうとされたものの大部分を失ってしまいかねない。

 山の椒エコビレッジは、メインストリーム・アプローチで行こうと決定している。だれかの特別なインスピレーションに導かれるものではなく、どこか特定の場所にしか発生できないようなものではなく、そこにおける形態は、地球上、どこにも移植可能なものであってほしいのだ。その場は、その普遍性を学ぶべき場として提供されるのだ。

 新聞やニュース放送で、時おり一家心中や家庭の事情で転落し、人生を台なしにする哀れな事柄を聞くたびに、私はわが身一人の責任のように感じてならないので、今後もしそうした境遇へ不幸にも追い込まれた人があるならば、その前に必ず大倭を訪ねてほしい。抱き合って泣こう。また笑おう。事情によっては、私と共に暮らしましょう。

 地獄の中の仏、砂漠の中の泉、暗夜の灯が、今の世における大倭である。 p245「私の大ぶろしき」

 この本、77年の日本山妙法寺のご出家たちとの交流の場面で終わっている。この本、随所に接点を見つけることができるが、この時点において、紫陽花邑に行ったこともなければ、著者にもあったこともなければ、普段から思ってきた存在ではないが、かなりリアリティの中で深くリンクする。

 続刊に「ながそねの息吹 ことむけやはす2」がある。

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2011/02/16

究極の旅 <3>

<2>よりつづく

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「究極の旅」 禅の十牛図を語る <3>
Osho 


  十 世間にて (入てん垂手)

足は裸足で、胸ははだけ
私は世間の人々と交わる

服はぼろぼろで埃まみれでも
私はつねに至福に満ちている

自分の寿命を延ばす魔術など用いない

いまや、私の目の前で
樹々は息を吹き返す

私の門の中では、千人の賢者たちも私を知らない。私の庭の美しさは目に見えないのだ。どうして祖師たちの足跡など探し求めることがあるだろう? 酒瓶をさげて市場にでかけ、杖を持って家に戻る。私が酒屋やマーケットを訪れると、目をとめる誰もが悟ってしまう。 p449

 山の椒エコビレッジの4万坪の土地に対して、お前は一体何をやりたいのか、と言われたら、私は、まず、一枚の看板を作って、杭で大地に打ち込みたい。

Photo_2

<4>につづく

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マルチバーシティ・ジャパン事業<1>

Mvj

 

「マルチバーシティ・ジャパン事業」 多次元的な「新人類(New Man)」の惑星へ 科学と芸術と意識の融合のためのビジョン<1>
マルチバーシティ・ジャパン MVJ 2004/06
Vol.3 No.0258

 

■マルチバーシティのビジョン

What is Multiversity?

●多次元的に生きる、新しい人間。

これまではリアリティの3つの相である科学・芸術・意識を、
一次元的に分断して、文字どおり「分野」ごとに分けて発展してきた。
これが文明の不均衡、アンバランスを生んで、破壊へと至る元凶となる。

本来、これらの3つの重要なファクターが融合されて宇宙が
形成されていることは、
この地球の自然や天体を観察するだけでも納得がいく。
マクロ宇宙がそうであるならば、相似形のミクロ宇宙も本質的に内包されている。

科学者であり、アーティストであり、神秘家であり得る。
この3つの局面を同時に生きる豊かな多次元的人間が「新人類」と呼ばれる。

自らの魂を一次元的に貧相に規定するのではなく、
宇宙の存在が示す可能な限りの多様性、道を豊かに生きていく。
マルチバーシティはこうした新しい人間を生みだし、
育んでゆくための母胎、マトリックスとなる。


        [新人類 New Man]

         CONSCIOUSNESS
           《意識》
       神秘家のように自らの実存に
        深く根ざしていること。
          
    ARTS              SCIENCE
   《芸術》              《科学》 
詩人のように感じやすく、      科学者のように正確で
愛に満ちていていること。       客観的であること。

         ↓        ↓
       ●マルチバーシティMultiversity
    三つの次元が同時に存在してゆくことを許し、
     多次元的に成長していくことを許す人。
   それこそが未来の次元へと上昇していく新人類。
3/12

 

 

 

 「山の椒エコビレッジ」の構想の存在を話したところ、友人が、マルチバーシティの「企画書」を送ってくれた。その内容は、mixiコミュの「マルチバーシティ」にすでにアップされているものであるが、もらったものは、PDFファイルにおとされ、美しい写真も付いた本格的なものだ。

 

 山の椒エコビレッジのブログを立ち上げたところ、その「目的」あたりの文言を、どのように外に出していけるのか、なかなか難しいことに気がついた。家族にも聞いてみたが、「ちょっと見ただけでは何をしたいのか分からない」という意見が多かった。

 

 直接、エコビレッジで何をやりたいのか、と訊かれたら、私なら、この「マルチバーシティのビジョン」を提示すればそれで終わりだ。科学と芸術と意識の融合だ。その中で進化する新しい人間。そしてその場としてのエコビレッジ。

 

 農業は、科学なのか、芸術なのか、意識なのか。多分全部含まれている。

 

 絵を描くことは、科学なのか、芸術なのか、意識なのか。多分全部含まれている。

 

 エコビレッジという「場」をつくる作業は、科学なのか、芸術なのか、意識なのか。多分全部含まれている。

 

 「山の椒エコビレッジ」は、メインストリーム・アプローチでいくことを決めている。つまり、特定の思想や人物の影響下で動くのではなく、日本国内ならどこでも移植可能な形態を作り上げることが、主なるテーマとしてある。だから、私個人としてはOshoは抜きがたいとしても、全体としては、ごく一般的な、ごく当たり前の道をいくのである。

 

 現実には、いかにこの「マルチバーシティ」のビジョンを、「エコビレッジ」に具現化するか、というところに、エネルギーを注いでいく必要がある。あるいは、そう勢い込まなくても、意識がよりクリアになれば、具現化してくるはずだ、という想いがある。

 

<2>につづく

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2011/02/15

コミュニティビジネス入門 地域市民の社会的事業

【送料無料】コミュニティビジネス入門
「コミュニティビジネス入門」 域市民の社会的事業
風見正三/山口浩平 2009/10 学芸出版社 単行本 206p
vol.3 No.0257 ★★★★☆

 なにをもってコミュニティと呼ぶか、なにをもってビジネスと呼ぶか、ましてや、一体コミュニティビジネスとはなんだろう、と、小首を傾げてしまうことになる。ちょっと小難しそうで、学問的過ぎはしないか、と感じる。

 しかしまた、地域市民の社会的事業、と言った時の、ちょっとした地味な面を、なにかハイカラに感じさせてくれるには、このような新しい言葉の造語も必要なのであろう。言わんとすることはそれほど変わりないのだが、何か新鮮な角度をもって、新たな人々をひきつける。

 この本に関心を持ったのは、関係者の中に、地域の大学の教授がいたこと。彼には多くの著書はないので、この本から、その仕事ぶりをかいま見ることになる。なるほどな、こういう仕事をしているのか。

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新しいレムリア シャスタ山の地下都市テロスからのメッセージ

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「新しいレムリア」 シャスタ山の地下都市テロスからのメッセージ
オレリア・ルイーズ・ジョーンズ/片岡佳子 2009/04 太陽出版 単行本 317p
vol.3 No.0256 ★★★☆☆

 「レムリアの真実、「レムリアの叡智」につづく、第3段。とても関心はあるのだが、どうもいまいち読み込めない。翻訳が悪いとか、タイミングがあってないとかの問題ではなさそうだ。それこそチャネリングできない。なにかが違う。決定的に違う。そう思いながらも、何か後ろ髪惹かれる気分。

 この本の関係者と、山を散策したことがある。初夏のすがすがしい季節だった。植物の葉の形をしたきれいなちいさな湖があり、森の中に密かにたたずんでいる。あのクリアさは、かのシャスタ山に通じるものがあるという。

 私には、アメリカに渡って、シャスタ山にまで行くチャンスは、もうないだろう。そこまでの動機もないし、力もない。ただ、なんとも惹かれるのは、きっと私の過去生に要因があるのだと思う。そのことについては私なりに分かっている。

 今、「山の椒エコビレッジ」という新しいムーブメントに参加しつつある。ふと考えてみると、この地から、あの山が、はるか遠方に見えるのである。そう、まさに、この本の表紙のように。

 あのレムリアの記憶は、今、このような形で再現されつつあるのではないか。あのクリアさ。あのサイレンス。この本の細かい表現は、私の言語体系からは外れている。ひとつひとつ、問い直ししなければ、読みとおせない。だが、そこにあるトーンには、同調することができる。

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2011/02/14

写真集 自然農に生きる人たち 耕さなくてもいいんだよ

【送料無料】自然農に生きる人たち
写真集「自然農に生きる人たち」 耕さなくてもいいんだよ
新井由己 2008/04 自然食通信社 単行本 138p
vol.3 No.0255 ★★★★☆

 もうひとつ自然農の考え方と共通しているものに、オーストラリアのビル・モリソンさんが提唱した「パーマカルチャー」がある。パーマネント(持続的)とアグリカルチャー(農業)の造語で、カルチャー(文化)の意味も含んでいる。無農薬・有機農業を基本とし、あらゆるものの循環を考えながら、自然エネルギーを活用したり、再利用したりして環境の負荷を少なくする。

 また、経済・教育・建築などのすべてを考慮して、地域全体を設計するところに特色がある。人間以外の生態系にはゴミというものが存在しない。自然界の循環システムを人間の暮らしに応用できないかというのが、パーマカルチャーの基本的な考え方だ。ビル・モリソンさんは「最終的には食べられる森を作ること」が目標だと言う。p134「自然農に生きる人たち」

 当ブログの理解としては、自然農とは、川口由一さんの農業姿勢やその考え方に共鳴した人たちの農業を含めたライフスタイル全体のことを言うのだろう、と思う。そもそも、農業は自然から切り離されては成り立たないわけだし、もちろん人間だって、自然と切り離されては生きてはいけない。

 いわゆる耕さず草もとらない、という農業は、一般的に言えば異端であろう。それが、川口さんの体験の反省から生まれた、機械化農薬付け農業からの脱却スタイルだっとしても、労力や生産性から、品質性(何を基準にするかだが)などを考えれば、いわゆる川口式自然農は、必ずしもベストではない。

 しかしながら、これだけ多くの若者たちの心をつかみ、数知れない人々を帰農させるのだから、すごい魅力があると言わざるを得ないし、真剣に考えたら、他に有効な手段が、それほど残されていないことも分かる。

 木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」に通じるところの何かがある。二人の行き着いたところは、より深く自然とコミットすれば、人為を超えたところに、完全に近いハーモニーがある、ということの発見だが、お二方の人生を考えると、必ずしも一直線にその「理解」にたどりついたものではない、ことがわかる。

 思考錯誤しながら、二人が辿り着いた世界が共通するなにかをイメージさせるが、私はむしろ、この二人の人生から学ぶべきことは、思考錯誤しながら、それでもなお、自然にこころ開いて学び、やがて行き着いた透明感あふれる境地、ということになるであろう。

 そういった思考錯誤でさえ許してしまう「大自然」があるとするなら、ひとり自然農貴しとせずに、他の錯誤に陥っているさまざまな流れをも視野にいれながら、それでもなお大自然に学ぼうとする意識を養うことの大切さであろう。 

 

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2011/02/12

炭焼技法随聞記 山里のオデッセイ〈2〉

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「炭焼技法随聞記」 山里のオデッセイ〈2〉
伊藤 孝博 (著) 1987/03 連合出版 単行本: 207p
vol.3 No.0254 ★★★★☆

 枕木で家を作り、自然と酒を友として山暮らしをする元記者が、土地の爺ちゃんといっしょに本格的な炭焼に挑戦。炭小屋・炭窯の作り方から、焼き方、炭俵の編み方まで、炭焼技法の一部始終を図入で紹介する。既刊「山里のオデッセイ」の続編。背表紙より

 炭焼小屋には行ったことがある。でも、もう50年近く前の小学生の頃。ほとんど何も覚えていない。でも、おじさんたちが、顔を真っ黒にして汗を流しながら、山で働いている姿を思い出す。あの頃、あのおじさんたちは、今の私と同じくらいの年齢だったに違いない。いや、もっと若かったかも。

 ケースXで炭焼ワークショプをやろうというプランが出てきた。どうかなぁ、今、生活の中では炭はあまり使わないぞ。だけど、竹炭とか、消臭剤としての使い方など、あたらしい使途が開発されているらしい。

 「山里のオデッセイ」の続編。なかなかやるもんだ。

 夏バテがひどいので、家に帰ってからマムシを一かけら食してみた。マムシを含めてヘビやトカゲのタグは家の周囲でよく見かけるが、マムシを持ち帰ったのは今回が初めてだ。

 炭小屋に向かう道(林道から奥に切り開いた部分)の真中で、わたしが見つけ「マムシだあ」と声を上げた。銭型紋のあるマムシだけは、ヘビに詳しくないわたしにも識別できるようになっていたのである。

 先行していた爺ちゃんが「目を離すなよ。離すと見失うぞ」と棒切れを手にして引き返してくる。わたしは身を守るべく目を離さずいたのだが、どうやら爺ちゃん、やっつける気らしい。p54「マムシの効き目」

 このへんのシーンは、ほんとに背筋がゾクっとする。ちいさい頃にマムシを食べたこともあったが、あの時は確か寝小便の薬だった。焼酎につけたマムシもずっと棚にあったなぁ。

 あ、この本は炭焼きの本だった。今から25年前の本だが、ひょっとすると、ケースXでも炭焼ワークショップが起こるかも知れないので、その時は、この本、再読だな。イラスト入りで、極めて詳しく書いてある。さまざまなやり方があるらしいが、ここでのやり方はあますことなく書いてある。

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2011/02/11

山里のオデッセイ―枕木と電柱での家づくり

山里のオデッセイ―枕木と電柱での家づくり
「山里のオデッセイ」 枕木と電柱での家づくり 
伊藤 孝博 (著) 1985/10 連合出版 単行本 204p
vol.3 No.0253 ★★★★★

 「山の家」作りで考慮すべき幾つかの条件

<安全性>

(A)転変地異からの。

 1)雪 2)雨 3)土砂崩れ 4)地震 5)雷。

(B)鳥獣虫類からの。

 1)クマ 2)サル 3)カモシカ 4)カラス 5)マムシ 6)ハチ 7)ネズミ 8)タヌキ 9)キツネ 10)シロアリ 11)ダニ

(C)人間からの。

 1)強盗 2)空き巣 3)誘拐 4)暴行 5)放火 6)覗き

(D)お化け、妖怪の類からの。

 多すぎて書けない。要は手なづけるか、毒を以って毒を制すかだな。

(E)火事、酸欠、ガス爆発などからの。

(F)その他  p15 「企画から枕木運びまで」

 ゲーリー・スナイダーの本を何冊か借りてきたが、続けて読もうとしたら、なんだか立派すぎて息が詰まる。ふと覗いた図書館で、この本が目にとまる。「枕木と電柱での家づくり」というタイトルが魅力的。どこか「格安でできるログハウス獲得術」に通じる親しみを感じる。

 この本、初版は1985年。1948年生まれの著者、36歳の時に共同通信社を退社して、家族5人が山里で暮らす家を一軒、枕木と電柱で作ってしまった。土地や出会い、家族や友人の協力があってこそできることだけど、それにしてもすごい。

 プレイスXを考えるにあたって、「山の家」作りで考慮すべき幾つかの条件のなかの<安全性>は、かなり気になる。とくに、お化け、妖怪の類からの、あたりが特に気になる。「手なづけるか、毒を持って毒を制する」・・・ですか・・・・。

 ここでわたしにとって忘れ得ないのは、A・C・クラークの「2001年・宇宙のオデッセイ」です。
 私見によれば、2001寝の木星(小説では土星)への旅の果てに、目映いマンダラ界を観尽し、輪廻転生を経たボーマン船長は「さて、これからおれはどうしよう」とでもつぶやいたはずでした。

 「私」地震の移ろいを見とどけたボーマン船長の「私」は、”スターチャイルド”となった「私」の新たな次元への旅立ちの中に吸い込まれて行きます。

 「神」になったのか?。そうかも知れない。「超人」への脱皮か?。そうともとれる。だが、「輪廻」を知り、地球的生命の行ないを知った「私」、青く美しかった地球を無垢の眼で眺める「星の子」こそは、悟れる者の道に踏み込みながら引き返してくる「菩薩」のイメージそのものではないでしょうか。p187「『山里のオデッセイ』---著者自身の書いた解題」

 おお、ここで「2001: A Space Odyssey」の話がでてくるとは、なんともうれしい。この本、枕木や電柱だけの話ではない。まるごと人生と取っ組み合いをしているひとりの地球人の生き方レポートだ。スナイダーや三省ほどにかっこよくはないけれど、それだけに、なお、すごくカッコイイ。山里のオデッセイは、スペース・オデッセイと繋がっていたのだ。

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2011/02/10

聖なる地球のつどいかな <1>

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「聖なる地球のつどいかな」 <1>
ゲーリー スナイダー (著), 山尾 三省 (著) 山里勝己(監修), Gary Snyder (原著) 1998/07  山と溪谷社 単行本: 287p
vol.3 No.0252

山尾 僕たちが提供されたのは険しい急斜面の山が主ですが、面積は13町歩(13万平方メートル)もありました。急斜面といえども、それだけの山があれば、そこにまた新しい小さな村を作れるかもしれない、と僕は考えました。実際のところ、それから20年経った今は、16世帯50人ほどの新しい人が住む、小さな村ができてきました。p27「私たちはなぜそこに住むようになったのか」

 思えば、急斜面における十数町歩とは、ケースXとほとんど同じような状況だ。そこに16世帯、50人が住んでいるということだから、まさにイメージどおりの規模となる。周囲の環境や住む人たちの意識の違いがあるからなんとも言えないが、単なる「エコビレッジ」という言葉だけで遊んでいる自分がちょっと恥ずかしくなる。

山尾 ここは標高1000メートルくらいですか?

スナイダー ちょうどそのくらいですかね。また泉があちこちにあり、井戸がきれいに掘れるところでもあるんです。シカもたくさんいる豊かな土地です。あとでわかったことなんですが、ここは高度と水と雨の量から見ると、森に適した完璧な土地なんです。アメリカにおいて最も上質で優れた森林地帯なんですよ。p71「シエラネバダの森」

 三省が屋久島に入ったのは77年の4月。スナイダーがカリフォルニア州シエラネバダの森に住むようになったのは1970年の5月。ふたりとも、土地に入るのは、やはり春がよさそうだ。もっとも、ふたりとも数年前から、その土地周辺について模索を始めている。本格的始動には4~5年はかかるのだ。

山尾 どのくらいの広さですか?

スナイダー 100エーカー(40万平方メートル=40町歩)ぐらいでしょうか。日本の広さの尺度で100エーカーがどのくらいの大きさか分かりませんが、あとで一緒に歩いてみましょう。でもここの土地を歩くにはとても時間がかかります。とにかく広いんです。40分から1時間、あるいはもっとかかるかもしれませんね。p72「シエラネバダの森」

 100エーカーというと、三省の住んでいる土地の4倍、甲子園球場にしたら、約40棟分くらいか。単純に比較はできないが、とにかく広い。このほか、この本の中には具体性が多く、とても感動的で、一気に読んだ。

 アメリカ現代詩の一大潮流であったビート派の詩人として、アレン・ギンズバーグ等と共にその人生と詩を展開してきたゲーリー・スナイダーは、シエラネバダの山中に住むようになった1970年代から次第に<場(プレイス)>の感覚を深めて、生命地域主義(バイオリージョナリズム)という新しい世界観を確立するに到った。13p 山尾三省「はじめに」

 昨日読んだスナイダー「惑星の未来を想像する者たちへ」の英語原題は「A Place in Space」だ。この<場(プレイス)>という言葉に込める二人の意気込みが伝わってくるようだ。私は三省とは一度しかあったことがなく、それは1991年の国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」でのことだった。

 二人の対談は1997年3月にスナイダーのシレラネバダにあるキットキットディッジーで二日間にわたって行われた。この本は一貫して<場(プレイス)>について語りあわれた本と言っても過言ではない。

 三省も、ナナオも、ポンもいなくなった今、地球にはどんな <場(プレイス)>があるのだろうか。この本、英語原題は「Great Earth Sanga」となっている。

<2>につづく

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2011/02/09

「惑星の未来を想像する者たちへ 」ゲーリー・スナイダー<1>

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「惑星の未来を想像する者たちへ」 <1>
ゲーリー・スナイダー (著) , Gary Snyder (原著), 山里 勝己 (翻訳), 赤嶺 玲子 (翻訳), 田中 泰賢 (翻訳) 2000/10 山と溪谷社 単行本: 342p
Vol.3 No.0251

 おこがましくも、この本を評価するとすると、もうほとんど当ブログとしてはレインボー評価するしかないだろう。20世紀後半のアメリカにおける詩人、21世紀の地球の哲人、宇宙を旅するガイア意識のひとり。まぁ、もっとももっと素敵な表現があるに違いない。

 だけど、これって、あまりにかっこよすぎるんじゃぁないだろうか。「歩いて生まれる」p155でサカキナナオについて書いてある所を読んで、なんだかそんな気持ちがますます強くなった。詩人たちは言葉の魔術師だ。彼らにかかれば、一つのことが百に聞こえる。百のことが、一つになったような気にさえなる。

 「『2050年』から環境をデザインする 都市・建築・生活の再構築」の中で、糸長浩司がゲーリー・スナイダーについて触れていた。当ブログにおいても、いよいよスナイダーが登場する段階になったかと感無量。ナナオや三省についても、ここから波及していくだろうか。スナイダーと山尾三省の対談集「聖なる地球のつどいかな」もある。

 これからようやく当ブログにおいても三省を読み込む段階がきたのだろうか、などと感じる。三省ときたら、プラブッタとの対談「ガイアと里」なんて本もあった。エコビレッジに思いをはせながら、また一巡して、ちょっと生臭いに話しになってしまいそうだ(笑)。

 一口にいって、スナイダーはかっこよすぎる。詩人過ぎる。情動的で、独創的で、挑発的で、断定的だ。エマーソン、ソロー、ホイットマン、につらなるアメリカンスピリットたち。その現代的代表かつ象徴的な部分を担い続けてきたスナイダー。

 今回、あらためてこの本を手にして、スナイダーがまだまだ生存中(失礼!)で現役であることを知った。なんだか自分の中では、この1930年生まれの、1960年代のアメリカにおけるビート・ジェネレーションのヒローの時代は、とっくに終わったと、勘違いしていた。

 いや、ナナオやスナイダーや三省やギンズバーグなどを知ったのは1970年直後、私はまだ10代だった。あの時代、彼らは輝いていた。輝きすぎていた。そのカッコよすぎる部分は、私にはどうも納得がいかなかった。

 例えていえば、自然派といいつつ、彼らは化粧品を使っている、という感じがした。自然派化粧品、って結局化粧品じゃぁないか。自然とは化粧など、しないことなのではないか。そんな疑念がずっとあった。なにかを「自然」風に化粧して、割り切ってしまっている。彼らが警句的で、断定的であればあるほど、私のなかの「ぜんぜんかっこよくない」部分が抵抗する。

 人間生活にはハレもケもある。彼らはケを強調しながら、ケをハレにしてしまっている。ハレをケにしすぎるのも困った習癖だが、私はどちらかと言えば、後者のタイプだ。お祭り騒ぎより、どっか地味にのんびりしていたい、という想いはつよい。

 この本は、スナイダーの長期間にわたる活動を網羅してしていて、その輝かしい部分を抜き出したようなエッセンス集になっているからこそ、なお、そのように感じるのだろうか。彼や彼の本は、さまざまな賞を受け、高い評価を数々獲得している。

 であるがゆえに、私にとっては、なにかチグハグな想いが残るのである。彼はごくごく人間的な表現者であり、彼の言っていることは、ひとつひとつがもっともなことなのだ。そのもっともなことがもてはやされ、その言が、さも彼独自のものであるように装飾されてしまうところに、その背景にある現代社会の汚濁が見えてくる。

 本来、花畑であったはずなのに、一輪の花だけが高く評価される。なぜか。周囲が汚濁されてしまっているからだ。汚濁の中の一輪の花。花は花として、自らの美を全うしようとする。そこに何の矛盾はない。

 しかし、その一輪の花を褒めたたえる周囲の汚濁たちは、自らを変えようとはしない。汚濁は汚濁のままだ。スナイダーを高く評価などする必要はない。彼に賞など送る必要はない。彼は彼で、野の一輪の花だ。

 周囲の汚濁は、自らが一輪の花であることを思い出すべきだ。他者の美を絶賛する必要などない。他者の美とともに、われもまた一輪の花であったことを思い出し、自らのいのちを輝かせることが必要だ。スナイダーをスターやヒローにしてはならない。

 新しい世界を建設しようと試みることよりも、中には亀の島に存在する古い世界の一員になる可能性を選択する者もいるのである。もしウォルト・ホイットマンが今日生きていたならば、世界の指導国となり、この地上でもっとも裕福で最強の国家となったこのアメリカの精神的・文化的貧困に激しく失望したであろうことを我々は知っている。p275スナイダー「流域/ウォルト・ホイットマンの古い『新世界』」1991「ホイットマン没後百年祭」での講演

 この本、原題は「A Place in Space」。これでは日本語にならないと思ったのか、翻訳チームは「惑星の未来を想像する者たちへ」という邦題を考えた。だが、説明に堕している。今の私にとっては、A Place in Spaceのほうがはるかに示唆的で美しい。Spirit of Placeという時のPlaceに通じる美しい響きがある。さすが、詩人だ。 

<2>へつづく

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2011/02/08

EV(電気自動車)ライフを愉しむ

【送料無料】EVライフを愉しむ
「EV(電気自動車)ライフを愉しむ」 
日本経済新聞出版社 2011/01 単行本 150p
Vol.3 No.0250 ★★★☆☆

 いいな、と思っても、車はそう簡単に乗り換えることはできない。それに、車は趣味性が強いので、セダンであろうが、スポーツカーであろうが、四輪駆動車であろうが、軽だろうが、ワゴン車であろうが、他人の趣味にはなかなか文句をつけることができない。

 乗れるのだったら、どんな高級車だって乗ってください、というしかない。だけど、あまりにオンボロ車で煙モクモクというは困るし、事故を起こしそうな整備不良車も困る。燃費なんかどうでもいいと、ガソリンをバラまきながら走る車はだんだん少なくなっているが、それでも、燃費の悪い車はたくさんある。

 キャンピングカー等はリッター5~6キロだったりするから、かなり燃費が悪い。燃費の悪い車は地球資源の問題もあり、環境汚染にも問題がある。やっぱりここは、ハイブリッドでしょう、ということで、わが家も昨年、11年乗った車が致命的な故障に至ったことをきっかけとして、ハイブリット・ベーシックに乗り換えた。

 リッター35キロだとか37キロだとか、カタログには素晴らしい数字が躍っているが、実はそんなに走らない。せいぜい、リッター20キロ前後。それでも、いままでに比べたらかなりの伸び率だ。車格が上がっても、燃費が伸びるので、維持費が安くなる可能性がある。

 いずれは電気自動車と言われているが、一般にはまだまだ現実の話ではない。この本に紹介されているのは、まだまだ未来の話。開発の人々には多いに頑張ってほしいが、一般ユーザーとしてのわが家は、現状のなかでいかに生き延びるかを検討していくしかない。

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里山・山地の身近な山野草

【送料無料】里山・山地の身近な山野草
「里山・山地の身近な山野草」 ワイド図鑑
菱山忠三郎 2010/10 主婦の友社 単行本 367p
Vol.3 No.0249 ★★★★☆

 里山に縁ができたからと言って、すぐ開墾して野菜づくりをはじめなくてはならない、というものでもない。むしろ、そのままの里山の雑木林に入り、自然を直かに味わうことも大切だろう。先日、ケースXの側を通りがったら、なんとこの季節、雪に埋もれて、一歩もスペースに入ることができないような状態だった。

 もっとも、偶然に通りかかったので、長靴も手袋もなく、ビジネススーツではちょっと無理、ということだった。今、この季節ならこの季節らしく、春の花たちは、その雪の下で、新たなる生命をはぐくんでいるに違いない。

 山菜を取ったり、蜂蜜を採集したり、日向ぼっこしたりと、里山には里山にしかできない楽しみがある。そのように、まずは自然に親しむ姿勢が大切だろう。この本に書かれているような眼力をすこしでも身につければ、きっと、単なるウィーキングではない散策ができるはずだ。

 そしてカメラが趣味の人なら、この本にあるようなきれいな画像をHPにアップしたりするだろう。幾人かの友人はそのようなページを作っている。うらやましいな、と思いつつ、私にはなかなかこのようなデリカシーが根づかない(笑)。

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趣味の園芸 やさいの時間

【送料無料】藤田智の野菜づくり徹底Q&A
「藤田智の野菜づくり徹底Q&A」 NHK趣味の園芸 やさいの時間 生活実用シリーズ
藤田智 2010/09 NHK出版 ムックその他 152p
Vol.3 No.0248 ★★★★☆

 この番組、土曜日だったか日曜日だったか、毎週朝にやっていて、わが家の奥さんが良く見ているので、それとなく、見ることになる。西城秀樹もちょくちょく登場して、なかなか「カンゲキー!」なこともよくある。

 この人、なんともいいキャラクターだ。この人となら、いかにも「趣味」として農業をやっていますよ、と実感できそうだ。この人、巻末を見ると、「人間社会学部の教授」だそうだ。なるほど、人間社会学の一環としての「野菜づくり」は絶対に必要だと思う。

 ひるがえって、人里離れた山林の一部を開墾して、個人菜園を楽しむことは慶賀すべきこととして、なにか外向けにメッセージを発信しながら複数の人々で成立する「エコビレッジ」ような機能のなかにおいて、趣味として野菜作りを共有する、というのはなかなか難しいのではないか。

 その土地に関わる濃度にもよるだろうし、エコだから「パーマカルチャー」の本体である農業に関わらなくてはならない、と思ってしまうと、すこし重いものになってしまうだろう。40世帯、百数十人が定住するエコビレッジ・イサカにしても、野菜づくりなどの農業を専門としているのは、若いカップルが一組だけ、という記事があった。

 もっとも、そこでできた生産物は、ビレッジのメンバーが積極的に購入し、側面から野菜づくりを支援していることになる。土地があり、エコに関心があっても、すぐに「趣味のやさいづくり」が始められるとは限らない。

 私のように、都市部と田園部の境にいて、周囲から野菜などをもらうこと機会が多い立場においては、中途半端につくって失敗するより、プロが作ったものを分けてもらったほうが、より実利的ではある。

 この番組、かなり長期化しているのではないだろうか。実際に菜園づくりをしなくても、たまの休みの日に、お手軽な感覚で、この番組を見ることによって、なにかリフレッシュするものがある。わが家でも、ちいさなナスやゴーヤ、イチゴ、ナンバンなど作ったりするが、もっと大きな畑があったら、うちの奥さんも、もっと張り切るのだろう。

 この本、見ているだけで楽しくなる。

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「2050年」から環境をデザインする<3>

<2>よりつづく
【送料無料】「2050年」から環境をデザインする

「『2050年』から環境をデザインする」 都市・建築・生活の再構築<3>
日本建築家協会 2007/10 彰国社 単行本 279p

 「意識を意識する」というメタコンシャスな読書を進行しようとしたところ、それを阻むかのように、あるいはバランスを取るかのように、より具象性のつよいメタアースなエコビレッジという概念がにわかに重力を持ち始めた。

糸長 コミュニティの推移や環境への関心などいろいろポイントはありますが、先の日本でのイサカ・エコビレッジのリーダーのリズの話がヒントになります。一つ大きいのは、「生活のデモンストレーション」だと思います。さきほどのロハスについてですが、問題は自分がそこでロハスとして、自己満足して閉じるのではなくて、デモンストレーションであると考えることです。「このような暮らしがある。みなさん、どうですか」という発信の場になることです。p150

 「エコビレッジ・プラン ケースX」は閉ざされた個人や仲間内の家庭菜園のようなもので終わるのか。あるいは、外側にネットワークを求めて、情報を発信するような機能をもつものとして成長していく可能性はあるのか。

 ケースXが閉じた個人的なものであったとするなら、私は早期にこのプランから離れたほうがいいようだ。そもそも、自分の居住地をいますぐ離れられるような条件にはないし、そもそもケースXに定住できるわけもない。

 さらに家庭菜園のようなもの求めるのに、なにも車で1時間もかけて遠くに出かける必要はない。都市部と田園部のちょうど境界に住んでいる私が、もし自らの閉じた個人菜園が必要だとすれば、もっと身近に、もっと農地に適した環境がいくらでも手にいれることができるからだ。

 そもそも、私は農家に生まれ、学校で農業を学んだ人間ではあるが、あるいはそれだからかもしれないが、農業の厳しい現実には、ついつい目を閉じてしまいがちになる。もし私がケースXに関わるとすれば、外にネットワークを求めて情報を発信する場でなければならない。では何を発信するのか。「このような暮らしがある。みなさん、どうですか」なんて、言えるだろうか。

 鶴川ではさまざまなことに挑戦しようとしていますが、家畜を飼うことなどは、これからの課題です。また、精神性も非常に重要だと思いますが、瞑想や、内観などもできればやりたいことです。p143中林由行「エコビレッジ鶴川の試み」

 そうそう、本当は、私にとってのエコビレッジにおいては、瞑想センター、瞑想コミューンの意味合いが強く出るものであってほしいのだった。そして、猫や犬も含めて、牛、豚、鶏、ヤギ、などの家畜は飼いたくないし、そもそも軽い気持ちでは飼うことはできないだろう。

中林 私が糸長さんにお聞きしたいのは、エコビレッジは何でうまく続いていけるのか、続いている要因には何があるのかということです。世界のエコビレッジの話を聞くと、そこには精神的な支えとなるリーダーやカリスマ的な人たちがいます。彼らのように引っ張っていく人がいるからエコビレッジが成り立っているという例も聞きます。そうしたリーダーなしに、鶴川のような場所で活動を続けながら、われわれから世界に発信できるものをつくるには、いったい何が必要なのかをお聞きしたいのです。p150

 そうそう私には、Oshoというマスターがいる。そして、まずは、そのOshoつながりで、登場してきたのがこのケースXなのだった。Oshoのビジョンに支えられたエコビレッジというものは存在しないのか。

 思えば、かのOshoマルチバーシティはどうなったのだろう。かの女性大使は今、何をしておられるのであろうか。かつて20年ほど前、彼女とともに前エコビレッジ的なケースを模索したことがある。だが、その後、明確な活動の展開があったとは聞いていない。そもそも、ここにおけるケースXにOshoマルチバーシティを融合する可能性はないのか。

糸長 もう一つは「メインストリーム・アプローチ」ということです。エコビレッジの長い歴史からいうと、ヒッピーの流れがあります。社会からドロップ会うとした少数派がいくらがんばってもだめでした。まさに今、メインストリーム、正統で行こうよというものです。先ほどから疑問に上っている、法律や制度の問題などいろいろなものを含めて、もっと国民に広く「こう変えていきましょう」と訴えるべきです。p151

 ヒッピーの流れと言えば、確かに隣県にすでに40年近い農業コミューンがある。毎年夏にお祭りがおこなわれ、一週間くらいのキャンプインが発生する。実に息の長いネットワークだ。しかし、ほんとうに力を持ち得ているのか、と言えば、不明な点もある。外に何事かを発信しているともいえない。

 私におけるケースXの場合、まずは、そのOshoつながりの可能性をもう一度見てみる必要がある。そして、それが不可能と判断したら、ここで糸長のいう「メインストリーム・アプローチ」に切り替えていく必要があるだろう。

 だが、私の場合、「メインストリーム・アプローチ」でいく、と決定した場合、敢えて「エコビレッジ」という方法論を取ることがベストなのだろうか。なにもそんな苦労しなくとも、グータラ焼酎でも飲んで、日々読書を楽しみ、ブログで憂さを発散しているだけでいいのではないか(笑)、などという怠惰な自分が全面にでてくる。 

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2011/02/07

「2050年」から環境をデザインする 都市・建築・生活の再構築<2>

<1>よりつづく
【送料無料】「2050年」から環境をデザインする

「『2050年』から環境をデザインする」 都市・建築・生活の再構築<2>
日本建築家協会 2007/10 彰国社 単行本 279p

 面倒臭いので、先日から当ブログで語っている「知人が所有する10数ヘクタールの山林に対する個人的な勝手な想い」を、「エコビレッジ・プラン ケースX」と名付けておく。

 最初に知人に連れられてケースXに足を踏み入れて、さて、その後に、もう一度、別な友人とその地を訪れて、まずこの地でしなければならないことを3つを挙げよ、と言われたら、私は次の三点を指摘したいと思った。

1)住む場所、若い女性でも行ってみたい、住みたい、と思えるような夢のあるスペース。

2)今時、テレビやラジオは当たり前で、普通にインターネットを使いたい。

3)内部のルール作りの意味でも、対外的にも、NPO法人を立ち上げる必要があるのではないか。

 1)については、テントでのキャンピングや、トレーラー・コンテナの運びこみ、キャンピングカーログハウスの建設など、さまざまな方法があると思った。飲料水や電気、ガスなどの確保など、難しい課題はたくさんある。しかし、若い女性に来てもらうなら、まずはトイレの問題が絶対あると思った。

 数人の方がコンポストトイレをやりたいと随分検討しました。しかし、いろいろな問題があり、たとえばこれを入れるだけで百万円くらいかかります。また条例では水洗トイレの設置が義務付けられていて、コンポストトイレを入れても、もう1つ水洗トイレを余計に設置する必要があります。(中略)

 コンポストトイレの床下にはステンレス製の発酵槽があります。今富士山にある山小屋のトイレで使われているものと同じもので、おがくずに微生物が入っていて、その微生物で分解します。ほぼ24時間で分解できます。(後略)p142中林由行「エコビレッジ鶴川の試み」

 このコンポストトイレ、という奴は要チェックだな。住宅街にいれるのではなく、個人的な畑づくりの山林に入れる、という程度のものでいいはずだ。原理的なことがわかれば、格安でできるはずである。

 2)についても、実は要チェックである。いまどき、山でも海でも空でも、使いたい時は自由にインターネットを使いたい。いずれキチンとケースX周辺の環境を調べなくてはならないが、かなり気になる。

 当時はまだパソコンも有線LANでしたので、庭全体に有線LANを張り巡らせて、ノートパソコンを持ってくれば仕事ができる場をつくったのですが、非常に好評でした。今は木が大きくなりましたから、さらに木陰も豊かになって有効に使われています。p163三谷徹「小さな都市としての『庭』」

 10数ヘクタール全体に無線LANを飛ばす、ということは無理だとしても、ケースXの中に、公共Wi-Fiのようなスポットをいくつかつくることは可能であろう。もちろん、ケータイやスマートフォンなどによるアクセスも可能なはずである。(回線スピードをチェックする必要がある)

 実は3)についてもかなり関心がある。

 糸長 (前略)最近は、農地法の見直しを含めて、遊休農地に関してはNPO法人が管理することが可能となっています。理想としては、エコビレッジが、農地管理に関して1つのNPO法人化をして、その近くの遊休農地に関してはちゃんと振り分けをする、里山に関しても同様にやっていこうと考えています。p148「パネルデスカッション」

 なるほどやっぱりそうであったか。農地法はなかなか難しい問題を突きつけてくる。NPO法人設立は、そこに突破口をあける可能性もあるのだった。

 漠然とだが、一番最初にケースXにおいて問題視したテーマについて、この本一冊でいろいろ解決の糸口が見えてくる。

 鶴川は東京郊外の町田市にあり、都市と田園の中間的な位置にあります。そのため、都市的なエコビレッジに挑戦するには絶好の場所です。周辺は戸建てベースの宅地開発が進められているもの、まだ緑地もかなり残っています。近くに「武相荘」という記念館があり、そこは白洲次郎と正子の夫婦が戦中に畑仕事をするために居を構えたところです。p137中林由行「エコビレッジ鶴川の試み」

 きのう、なんとなく白洲次郎&正子の「武相荘(ぶあいそう)」のことを考えていたが、やっぱり、そういう繋がりがあったか。

<3>につづく

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「2050年」から環境をデザインする 都市・建築・生活の再構築<1>

【送料無料】「2050年」から環境をデザインする
「『2050年』から環境をデザインする」 都市・建築・生活の再構築<1>
日本建築家協会 2007/10 彰国社 単行本 279p
Vol.3 No.0247

 「エコビレッジ」をキーワードとして最寄りの図書館を検索すると、この本もでてくる。「世界のエコビレッジ 持続可能性の新しいフロンティア」「人工社会―エコビレッジを訪ね歩いて」 と、その冊数は多くないが、なかなかインパクトの強い本たちである。

 エコロジーについてもいろいろな意味があります。フランスの哲学者フェリックス・ガタリはエコロジーを三つに分けています。それは、自然生態系のエコロジー、ソーシャル・エコロジー、そしてスピリチュアル・エコロジーの三つです。このエコロジーという概念は21世紀を主導していく思想の1つだと思います。

 また、心理学者のケン・ウィルバーは、ニューエイジ運動のリーダー的存在だったのですが、彼は「統合的世界観」と言っています。それは、物性・感性・精神性というように、単に感じたり知っているということを超えて、禅的にいえば精神的なやすらぎも含めながら、ものをつくったり環境をつくるときの考え方です。p113糸長浩司「エコビレッジ 農を基盤に地域をつくりかえる」

 この本は2007年の段階で、日本建築家協会(JIA)の専門家たちが、2050年の地球社会を想定しながら、いまここで、どのようにしていけばそのようになるか、というアイディアを提案している。15人ほどの専門家たちが書いており、いわゆるエコビレッジそのものを書いているのは2人しかいないが、それでも、全体としてはすべて関連してくる内容だ。

 イタリアの哲学者であり政治家でもあるアントニオ・ネグリは、大衆ではなく知を持った群衆を「マルチチュード」と呼び、この知を持った人々が、地域の特異性を生かして、改めて協働性や共生を尊重し社会をつくることを主張しています。ソーシャル・エコロジーを単に哲学的な領域にとどめず、このように地域規模のグローバリゼーションの状況下において地域をどう考えるかは重要なテーマだと思います。p116糸長浩司「エコビレッジ 農を基盤に地域をつくりかえる」

 ガタリはともかくとして、ウィルバーネグリなど、当ブログでも散発的に読み進めてきたリストが、この辺でいきなり繋がったりするからドギっとする。こまかい装飾詞はともかくとして、建築家たちが、哲学や心理学との関連を強く意識していることに、我が意を得たりと納得する。

 「バイオりゼーション」という言葉があります。これは「バイオ(生命・生態)」と「リージョン(地域)」の合成語で、生命地域、生態地域という意味で、アメリカの詩人・哲学者のゲーリー・スナイダーが唱えています。

 彼の著書「惑星の未来を想像する者たちへ」(A Place in Space)の中で、「われわれが地球のある場所に居を構えるということは、そこに定住するということだが、今やらなければないけないのは、そこにもう一度再定住するということだ」と言います。地域のもつ力や生命系などを理解したうえで、改めて意識的に地球に再定住することが重要だと言うのです。

 パーマカルチャーやエコビレッジは、そういう意味でいうと、建築も社会も環境との調和において、総合的なデザインが必要だと思います。私としては、この総合的デザインとしてのパーマカルチャーに興味をもって、その理論と実用を追求するために仲間とNPO法人をつくり、いろいろな実践活動をしています。p117糸長浩司「エコビレッジ 農を基盤に地域をつくりかえる」

 おお、スナイダーまで出てきた。この「惑星の未来を想像する者たちへ」という本、近々読んでみよう。そう言えば、今から20年前に私も積極的に参加した「国際環境心理学シンポジウムスピリット・オブ・プレイス」を提唱したのは、日米の建築家たちだった。

 NPO法人の話題もでている。知人のかの地を考える時、新しい「集合性」を、NPOという形で集約し活性化していくことも、とても大事だと感じているところだった。

 パーマカルチャー・デザインとは、農のある持続的な暮らしをつくっていくためのデザインの方法論といえると思います。これは、永続の「パーマネント」、農業の「アグリカルチャー」、文化の「カルチャー」の合成語です。

 農業とは、先ほどのエコシステムでいうと、その循環系をつかさどる人間の営みです。それからDIYといった、自分たちの知恵と工夫で自分たちの暮らし環境をデザインしていくことが重要となります。

 このことは、「百姓のデザイン」といえます。なぜなら、百姓はものをつくるために、土壌の整備をはじめ、山の木をキリ、堆肥をつくるなど、総合的な仕事を行います。

 百姓のもともとの意味は「百の技」をもっていることですが、自らの生きる環境を自らつくることを率先してやってきました。これが、地域の資源や伝統的技術となり、現在議論されている適正技術・中間技術の視点ともつながっているのです。p117糸長浩司「エコビレッジ 農を基盤に地域をつくりかえる」

 このパーマカルチャーというキーワードもこれから要注目だな。

 スコットランドには「フィンドフォーン」という世界エコビレッジ大会を実施したエコビレッジがあり、スピリチュアル系でいやし系のエコビレッジとして有名です。p131糸長浩司「エコビレッジ 農を基盤に地域をつくりかえる」

 フィンドフォーンは、日本語で翻訳されている関係者たちの本は、あまりに「スピリチュアル系」すぎて、しかも「いやし系」過ぎるので、当ブログのシュミではない。だが、視点を変えて、再アプローチが必要になるかもしれない。そういえば、その地に最初に乗り込んだアイリーン・キャディたちは、かれこれ50年ほど前に、インスピレーションに引かれながら、おんぼろトレーラーバスで、貧しい土地に入り、そのバスを根城に定住を開始したのだった。

 アメリカにも、有名なエコビレッジがイサカにあります。ここは、有志がお金を集めて自前でつくったものです。コハウジングを核として構成され、計画では、三つのコハウジンググループをつくることになっていて、今は二つまでできています。

 コハウジング単位での暮らしがあり、敷地内には農場もあるエコビレッジです。農場は有機農産物をつくり、コミュニティに供給しています。p131糸長浩司「エコビレッジ 農を基盤に地域をつくりかえる」

 イサカについてはこれから調べてみようと思うが、ここから学ぶことは多そうだ。

イサカのエコビレッジ(EVI)の設計者たちにとって、最初から関心の中心は、中流階級の米国人が容易に複製できるということであった。すなわち「EVIの最終目標は、人間の居住環境を再設計することにほかならない。私たちは、持続可能な生活システムの実例を示す約500人の共同体システムをつくっている。それらのシステムは、それ自体が実践的であるだけでなく、他の人々にとっても複製が可能である」(EVI綱領)「世界のエコビレッジ 持続可能性の新しいフロンティア」p36

 エコビレッジにせよ、パーマカルチャーにせよ、地域の特異性に左右されるのは当然のこととして、それは他の地域にも移植可能な「再設計性」を保ったものであってほしい。

 この本、「日本のエコビレッジの展望」や「日本のエコキャンパスの試み」についても書いてあり、かなり興味深い。

<2>につづく

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2011/02/06

ガレージを愉しむ

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「ガレージスタイル―ガレージを愉しむ」
Motor magazine mook
2003/04 モーターマガジン社 大型本: 169p
Vol.3 No.0246 ★★★☆☆

 最近、わがガレージに、もう一台ロールスロイスが増えた。なかなかのお気に入り。先日、オークションで1円スタートした一台。時間ぎりぎりで入札し、121円で落札した。移送するのにゆうパックで700円がかかったが、実経費は1000円(一千万円ではない)で収まった。

 全長40センチ、高さ12センチ、幅10センチとは言え、総メタル。結構な重量があるし、なかなかの出来栄えだ。

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今日からはじめるガレージライフ

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「今日からはじめるガレージライフ」 
Neko mook―はじめてシリーズ (781) 2004/12 ネコ・パブリッシング 大型本: 113p
Vol.3 No.0245 ★★★☆☆

 エコビレッジに小さなログハウスを造って、畑仕事をしよう、なんて、イメージの中で意気込んでみても、実際に冬期間は閉鎖されるゴルフ場の隣の土地に通いつめて、何事かをなさそうとするのは相当むずかしそうだ。

 所詮は、自宅のガレージをログハウス風に改築して、猫の額よりさらに狭い自宅の花壇に、野菜の苗でも2~3本植えて、それでおしまいじゃぁないのか、お前のエコビレッジ夢想なんて・・・。まぁ、それはそれで、ホントウにそうかもしれない。

 でもまぁ、いいじゃないか、夢は夢。それに我が夢想のエコビレッジは、そこで学んで、自らの生活の場に持ち帰ることが目的だ。そこで学んで、自分の今の住まいがすこしでも「エコ」になれば・・・・、などと、意気消沈しながら、なぐさめてみる。

 思えば、白洲次郎も若くして政治や経済から身を引いたあとは、武相荘(ぶあいそう)と名づけた古農家で田舎暮らしをしながら、田舎道をポルシェで闊歩していたという。あれがエコかどうか知らないが、あれはあれで「カッコいい」のかもしれない。

 思えば、わがOshoもなんだかんだ言っても、オレゴンの片田舎にロールスロイスを並べて世界を挑発していたりしていたわけだから、まぁ、程度の違いはあれ、似たようなものではないか(などと、考えてみる)。

 多少は車好きな人間ならガレージは欲しくなる。わが家にもビルトインの、ほんにギチギチの狭いガレージがついている。中に駐車すると、ドアも満足に開けられないほどだ。ホントはもうすこし大きなガレージに、もっとカッコイイ車を収めたかったのだが、なかなか人生は、思ったとおりにはならない。

 まぁ、せめて我がギチギチガレージを、すこしはログハウス風に改造して、その中で、わがロールスロイスでも修理しようか。もっとも、こちらのロールスロイスは8分の1スケールのプラモデルだが。

 当ブログ、本来、「意識を意識する」というカテゴリであったはずなのだが、いつのまにか、それに対峙する形で、「エコビレッジ」という概念に取り付かれ始まった。そもそも、「2001年宇宙の旅」のコンピュータHALに意識が宿るかどうか、というテーマもあったが、意識を意識する、ということは、ホントウはないのである。

 意識を意識する、と言った場合、その「身体性」として、なぜか突如、我がリアリティの中に、「エコビレッジ」という概念が乱入してきた。それは当然、「生命体ガイア」へとリンクしていくわけだが、上へ上と羽ばたこうとするウィングに対する、下へ下へと根づこうとするルーツの反作用によるものであろう。このルーツ&ウィングの旅、このまますこし眺めていてみよう。

 ボンと置くだけで完成、3万円からできる、コンテナガレージ! p35

 なるほど、かの地を耕している知人は、中古コンテナを運びいれて住居スペースにしていたが、このような使い方は結構オーソドックスに認知されているのだな。そう言えば、今日ロードサイトを走っていたら、ある店で、FRPのキャンピングカーを店舗として使っていた。ああ、みんな、結構イメージの中で、いろいろなこと楽しんでいるんじゃないかな。いままで何気なく通り過ぎていた店なのに、なんだか、いとおしくなった。

 この本、昨日読んだ「今日からはじめるキャンピングカー」と同じシリーズの姉妹本。

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2011/02/05

ログハウス大全 プランニングブック

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「ログハウス大全」プランニングブック―実例&プラン500例
ウッディライフ編集部 (編集) 2000/12 山と溪谷社 大型本: 305p 
Vol.3 No.0244 ★★★★☆

 こちらもエコビレッジにログハウス、と言った場合の建築物としてはあまりにかけ離れたプランがほとんどだ。「世界のエコビレッジ」のイサカ憲章には、「中流階級の米国人が容易に複製できる」プランという触れ込みがあったが、これの米国人のところを地球人としたとしても、やはり容易に「複製」できるようなプランであってほしい。

 そう言った意味では、これは永住型どころか複数世代型であり、店舗や高級建築のようになってしまっている。もっと「格安でできるログハウス獲得術」的な、「Do It Yourself」的な現実性がほしい。

 ただこの本、建物自体以外の記事がなかなか充実している。「薪ストーブ完全教書」p222などは、なるほどかなり詳しい。居住の最初は石油ストーブなどを使うとしても、長期滞在型で、しかも冬季間もとなれば、当然、森の中においては、薪ストーブが正しい選択となろう。

 いろいろなデザインもあり、価格もまちまちだ。実際の購入価格はどうなるかわからないが、下手すりゃ、ログハウス本体より高いものにさえなってしまう。ここは機能優先で、しかも丈夫なものがほしい。

 「建具・建材の選び方」p243も必読。丸太を組んだだけでは住めない。窓もドアも必要だ。せっかくの丸太小屋。その雰囲気を壊さず、なお機能的なものとなると、こちらも結構な知識が必要となる。このような周辺資材も十分予算に加えておかないと、プランがプランのまま夢と消えていくだろう。

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格安でできるログハウス獲得術

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「格安でできるログハウス獲得術」
 新・ウッディライフ選書 2000/04  単行本 128p
Vol.3 No.0243

 格安でできる、とは名ばかりで、出て来るのは坪単価50万とか60万とかのログハウス。ありゃぁ、これじゃぁセカンドハウスどころか、ファーストハウスより高価じゃぁ、あ~りぁせんか。全然安くない。何千万円かけてログハウスなど作りたくない。せいぜい、坪単価10万で、10坪くらいありゃぁ十分なんじゃ~・・。

 と、諦めかけた時、出てきましたよ、坪37万。まぁまぁこれくらいなら現実的な話だよなぁ。と思ったら、なんと、やっぱり坪11万というログハウスも出てきた。やった~、やっぱりできるんだなぁ。え、え、え・・・・なんと、坪8万というログハウスも!!!

 4.2坪で92万円などと言われれば、なんとかかなり現実的。最後の最後は3.7坪で総額20万円というのがでてきた。やったー・・・・   ここまでくれば、ログハウスは我が友じゃ。下手な中古のキャンピングカーを購入して据え付けるより、はるかに安い。

 坪9万円 総額100万円 総床面積 10.6坪「丸太材はたったの5万円。夫婦で間伐材の山小屋建築。次は自宅用ログに挑戦。」
 武藤さんの手造りポリシー
1)安い間伐材を使えば、かなりコストダウンになる
2)間伐材は何本積んでも高くならず根気が必要
3)夫婦で力を合わせればどんなものでもできる
 p66

 なるほどね、これはかなり現実的。実際に間伐材なら結構手にはいるんだよなぁ。ただ2)間伐材は何本積んでも高くならず根気が必要、というところはアンダーラインだな。

 総額92万円 総床面積4.2坪 「子供のころからの夢を実現させたログハウスは30代の記念の金字塔」
 渡辺さんのポリシー
1)週末だけの作業を乗り切るには、根気しかない
2)丸太はタダでもらえるなら、自分で伐りに行く
3)加工が難しかったら、簡単なものを選ぶ
 p71

 こちらもやっぱり「根気」か。太文字で書いておこう。自分で伐りに行く、なんてところも覚えておかなくてはならない。

 総額20万円 延床面積3.7坪 「なんと総額でたったの20万円。破格の古電柱を活用し、家族総出で仕上げた家
1)探しに探して格安な古電柱を使用する
2)知人を頼ってなるべく安い材を手に入れる
3)親戚や家族にも協力してもらうようにする 
p77

 なるほど、古電柱の活用は他でも見たことがあるぞ。近くの素敵な喫茶店がこの方式だった。全体はログハウスではなかったが、床とか壁がこの古電柱でできていた。それに、3)親戚や家族にも協力してもらうようにする、というところも見習わなくちゃ。

 本当にログハウスを作るなら、この本は役に立ちそう。第三章の「どうすれば安く造れる?」も参考になりそう。「セルフビルド派がそろえたい 道具&レンタル機材」も必読。そう言えば、大きなログハウスを作る前に、ガーデニングとか物置、ガレージなどにこのログハウス技術を活用できるかもなぁ・・・

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ログハウス入門 ログハウスに暮らすために知っておきたいこと

【送料無料】ログハウス入門
「ログハウス入門」 ログハウスに暮らすために知っておきたいこと
『夢の丸太小屋に暮らす』編集部 2004/03 地球丸 全集・双書 193p
Vol.3 No.0242 ★★★☆☆

 ログハウスを作ってます、と年賀状に書いてきたのは何年前のことだったのだろう。多分4~5年前のことだったに違いない。山菜採りをしています、と書いてあったようにも思うし、野菜づくりをしています、と書いてあった年もあったような気もする。

 すこし羨ましい気もしたが、年に一度のこと、すっかりそのまま忘れていた。その知人の地に立って見れば、山菜採りも、野菜作りも、蜂蜜づくりも本当だったし、ティピーテントも、家づくりも本当だったけれど、ログハウスづくりは、あまり進んでいないようだった。

 実際にその土地に生えている木を伐採し、ログハウス用に準備しておいてはあるが、なかなかその機が訪れなかったらしい。結構な経費がかかることと、一人では作れないこと。専門家の手を借りる必要があるのだ。そんなことを考えているうちに、伐採した材木がすこし腐り始めたようだとも言う。

 ログハウス。それはそれなりに夢がある。私の最初のログハウスのイメージは、1980年代初めにNHKでアルビン・トフラーが出た「第三の波」の中でのことだった。エレクトロニック・コテッジの紹介で、ひとりのアメリカ青年が紹介されていた。

 彼は若いヒッピー風のプログラマ。森深く、小さなログハウスを生活の場としてソフト・プログラムを作っている。それが完成すると、バンダナを巻いた彼は、マウンテンバイクにバックパッキングで森の中にある湖まで下りる。

 そこには彼専用の水上飛行機があり、自転車から水上飛行機に乗り換え、そこから湖面を走って、アメリカの摩天楼へと飛ぶのである。彼のプログラムは高価で買い取られ、彼の質素な森の生活は実は、かなりリッチな経済力に支えられている、というようなストーリーだったはずだ。

 NHKアーカイブスにあるはずなので、そのうちまた見てみたいと思うが、今考えてみれば、なかなかトンチンカンなところは確かにある。まず、当時のパソコンはそれほど高機能ではなかった。そして出来たプログラムもせいぜい5インチフロッピーに入れる程度のものだったはずだ。だから決してそれほど大きなソフトではなかった。

 そして、万が一そのソフトが出来上がったとしても、いまならインターネットで瞬時に送信できるから、何も湖面に水上飛行機をキープしておく必要もないだろう。もっとも、森の中のログハウスに、どれだけの良質な回線が引かれているかどうかは大事な注目点ではあるが、それでもやっぱり30年の進歩は大きい。

 ひるがえって、現在の21世紀の自分の生活を考えると、森の中に住んでもいなければ、ぜんぜん高収入ではないが、すでにエレクトロニック・コテッジは完成していると言える。生産者=消費者のコンシューマースタイル、つまり職住一致は、もう10年以上前から当たり前のこととなっている。

 駅から何分かのところのごくごく小さなマイホームにいて、パソコン一台相手にさまざまな作業を繰り返し、時には、ごくごくベーシックなハイブリット車に乗って町場に行く。ごくごく基本的な手数料が月にいくらか口座に振り込まれ、我が生活はそれなりに続いている。

 このサイクルの中にログハウスが入ってくる余地も、必然性もない。町の中の高層ビルと、郊外の森の中のログハウス、という組み合わせは、なかなかカッコイイようにも思うが、このデフレの日本においてはあまり効率のよいライフスタイルとは言えない。

 近くの温泉街から、数キロ離れた先に、いわゆる芸術家たちが集まっている集落がある。その一角に、ログハウスで作ったコーヒーショップがある。もともと公務員だった人が何年もかけて、コツコツ作ったもので、なかなか見事なものだ。ログハウスが何棟もある。小さな物置風なものから、大きな住まい風なものまで。あんな風に作れたらいいな、と思う。

 この本、ログハウス「入門」とはいうものの、あまりに本格的過ぎる。そしてログハウス重視で、ログハウスメーカーの回し者ではないか、と思う。たぶんそのとおりだろう。自分の中のログハウスのイメージは森の中にある。町の中になかにある、あまりに贅沢なログハウスは、町の中を意味なくはしる四輪駆動車と同じように見えて、全然エコじゃない。

 もっとシンプルで、簡単なログハウスは作れないのだろうか。

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キャンピングカーで悠々セカンドライフ

【送料無料】キャンピングカーで悠々セカンドライフ
「キャンピングカーで悠々セカンドライフ」
藤正巌 2008/07 文藝春秋 単行本 213p
Vol.3 No.0241 ★★★☆☆

 なんだか言い得て妙なタイトルだ。タイトルとしてはこれはこれでいいのだろう。しかし、当ブログの流れは、敢えて言うなら「キャンピングカーで悠々エコビレッジ」なのだ。あるいは、「エコビレッジで悠々セカンドライフ」なのだ。このタイトルに「エコビレッジ」を絡ませたい。

 キャンピングカーというなら、すでに20年以上前から何年も、私たち家族は疑似体験している。当時まだ流行したばかりだった大きめのワンボックスカーであちこち子供達をつれてキャンプしたものだ。サンルーフもムーンルーフもあったので、星空など、天窓を満開にして眺めることができた。

 テレビも、ビデオも、ついていたし、冷蔵庫もついていた。カーテンもついていたので、夜、フラットシートにして安心して寝ることもできた。後ろの座席を対面式にするとちょうど食卓のようになり、キチンとしたテーブルもついていた。

 屋根の上に大型のルーフキャリアもあったので、4人家族の大きな荷物もいっぱい詰めた。折りたたみ自転車や、バーべキューセットも積めたし、家族ばかりか、友人達を何人も乗せて、けっこう長距離ドライブは何度も楽しんだのであった。だから、キャンピングカーとまでは言わなかったけれど、その楽しさは十分わかる。

 しかし、だ。当ブログの現在の流れは、「エコビレッジ」である。それに「セカンドライフ」というのも、いまいち気にくわない。バーチャルリアリティ・ゲームでのセカンドライフもいまいち人気が盛り上がらないが、別にサラリーマンじゃない自営業者の多いわが友人たちにとっては、60歳とか65歳などの区切りは、別に人生の中の大きな区切りではない。

 むしろ、エコビレッジにおける「クリーン・コミュニティ」の面に関心のある当ブログとしては、必ずしもセカンドライフを強調するメリットがない。むしろ全年齢的なアプローチが必要なのだ。テント暮らしやキャンピングカーのメリットは十分わかるのだが、そこから次のステップが見えてこないと、エコビレッジのイメージにはたどりつかない。

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今日からはじめるキャンピングカー

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「今日からはじめるキャンピングカー」NEKO MOOK 936 はじめてシリーズ 032
ネコ・パブリッシング 2006/05 ムック 130P 29cm
Vol.3 No.0240 ★★★☆☆

 まずは、かの地を「エコビレッジ」のひとつの候補地と考える。数万坪とは言え、その利用方法はまだ未知数。とにかく、その場所に行かなくてはならないし、その場所にて暮らす方法をイメージしなくてはならない。

 知人は、街中にあるビルのオーナーではあるし、すでに別に自宅もあるし、仕事もすでに次世代に譲って悠々自適の生活である。商店街にあるビル暮らしであってみれば、バランスをとるように、田舎に一人だけの田畑を持ち、気ままに耕す、というのも、それはそれでひとつのライフスタイルであろう。

 一時間かけて町から出かけて、農作業に汗を流し、また一時間かけて、夕方帰ってくる、というスタイルになんの矛盾もないだろう。しかし、そこが「エコビレッジ」だとするなら、そういうわけにはいかない。そこに少なくとも一定期間居住する可能性を模索するところから始めなくてはならない。

 準備するすべきものはいろいろある。とにかく、食、と、住、だろう。となると、あの雑木林に持ち込むべきものは、まずはテントやシュラフなどのキャンピングセットであろうか。そう言えば、わが物置には、もう長年使っていない、ハウス型の大きなテントがある。ランタンや、調理セットもいろいろ揃ってはいる。

 一晩、あるいは数日だったら、しかも、夏場であるならば、キャンピングセットでも特に問題はないだろう。そこに居住し、持って行った食料でなんとか数日は過ごすことができるだろう。しかし、もうすこし長期に、もっと大人数で、しかも冬場も過ごせる空間を作るとなるとただ事ではない。

 知人は、廃車した保冷車の大きなコンテナを移築し、中を改造して居住空間を確保している。それは見事なアイディアであるし、もうそれはそれで十分であると、男の私なら思う。しかし、彼に言わせれば、そのコンテナは女性には不人気であるという。

 なるほどね、人里離れた雑木林に行って、古いトラックのコンテナ暮らしでは夢が半減するのかも知れない。ここは女性にも納得してもらえる住空間を作らなければならない。となると、テント暮らしの次に浮かぶのがキャンピングカーである。

 幸い、近くのバイパス沿道にキャンピングカー専門の自動車屋がある。しかも新車から中古まで、あらゆるタイプのキャンピングカーが所せましと何十台も並んでいる。一台一台眺めながら、なかなかそそられるものがあるが、新車はともかく中古でも、ちょっといいなぁ、と思えるものは数百万する。

 それに、その空間に入ってキャンピングのイメージをふくらませても、あの土地の数万坪という膨大な広さに比較すると、なんと小さなことかと、そのバランスの悪さにがっかりする。キャンピングカーは、固定して使うものではなく、行きたいところに行く、そしてそこで一晩過ごす、というイメージで作られているようだ。

 アメリカなどではトレーラーハウスと言って、キャンピングカーよりもっと大きなトラックサイズの住居型自動車があり、ホントウにそれで生活している人々がいるようだが、それは、日本では流通していないし、そもそも、決してリッチなライフスタイルではないようだ。場合によってはホームレスの段ボールハウスに比較されたりする。

 なにはともあれ、こんな本を借りてきてパラパラめくってみる。ひとくちにキャンピングカーと言ってもいろいろある。軽自動車から大型のモノ、牽引するタイプのものや和室タイプのものさえあるのだ。

 軽自動車はお手軽のようでもあり、ちょっとセコイ感じもする。自走型は、そもそも自走する期間を考えると、その自動車部分がもったいないのではないか、と思う。ここは、たまたま牽引免許も持っていることだし、私なら牽引型を選ぶことになるだろう。

 しかもアメリカからの輸入タイプではなくて、日本サイズに作られているFRP型のものがよさそうだ。これなら、マイカーで引っ張って行き、そこに居住空間として設置して、帰りは、車だけで帰宅する、ということもできる。

 だがしかし、かの地は、熊もイノシシもでるという未開の地である。山菜採りの人々も出入りするというし、時には人並みに心霊スポットとして怖い想いをするかもしれないのである。盗賊やいたずらな人々が出入りして車上荒らしに会うかもしれない。

 ここはやはり、知人のように頑丈なスチール製の窓のない大型コンテナが一番適しているのかなぁ、と思うと、結局振り出しに戻るになってしまう。

 それにそれに、キャンピングカーって、エコ、なんだろうか。すくなくとも持続可能なライフスタイルとはあまり言えない感じがする。週末のリゾート感覚であり、そこからのイメージはアウトライフなレジャーだけであり、なにか真摯なものがいまいち見えてこない。

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光のアカシャ・フィールド 超スピリチュアル次元の探求 よしもとばなな/ゲリー・ボーネル

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「光のアカシャ・フィールド」 超スピリチュアル次元の探求
よしもとばななXゲリー・ボーネル 2009/07 徳間書店 単行本 313p
Vol.3 No.0239 ★★★☆☆

 えっと、ゲリー・ボーネルって誰だっけかな。知っているような、知らないような。いつの間にか彼の本を読んでいたかも知れない、と、自分のブログをググッて見ても、後ろのプロフィールを見ても、思い当たらない。

ボーネル 僕に会うと、ほとんどの人が銀行家か保険の仕事をしていると思うんですよ。p282

 なるほどな、確かに同業者にこのような人がいそうな感じがする。

 よしもとばなな・・・? についても知っているようなぁ、と自分に問いかけてみても、う~ん、結局よくわかっていない。吉本隆明の子供だってことは知っているが、そもそも吉本隆明についてだって、結局はよくわかっていないんじゃぁないかな。

ばなな 初めて会ったとき、9対1ぐらいの割合で男だと言われました。p149

 これはボーネルがばななを評した言葉であるが、これには賛成できる。この風貌というかオーラというか、これが、彼女の作家であることを支えている気がする。田辺聖子、森村桂、あるいは内館牧子や林真理子にさえ繋がる、何かがある。でも、ばななが彼女たちを超えているとすれば、ばななの作品が海外でも広く翻訳されている、ということかな。

 しかしながら、この本のタイトルはちょっと大げさだな。そもそもボーネルの本のタイトルが、このような言葉使いになっていたからだろう。この本の著者は、よしもとばななXゲリー・ボーネルとなっている。ばななの方が前だ。

ばなな そんなことを本に書いたら大変なことになっちゃう。(笑) 爆破されちゃう。でも、徳間書店は大丈夫だ。大体いつもそんなことばっかりやっているから。p051

 そうだねぇ。この本も徳間書店の本だ。徳間書店とくれば、こちらもネクタイをゆるめて、眉に唾をつけて読む本、というイメージが強い。

ボーネル アカシックレコードに入る・・・・、それは人間の意識に入るという意味になります。地球の意識体というものが存在します。地球の意識体を通して真実に到達することもできます。p39

 いわんとすることは分かるが、地球自体が意識を持つ、ということはないだろう。地球上に生きる人間たちの集合超意識が、より宇宙意識に近づく、ということはあるだろうが。

 ばなながボーネルの本の推薦文を書いたあたりが二人の出会いのようだが、なるほど不思議な本だ。肩肘はっていないが、おかしなことを、結構まともに読ませてしまう。この「おかしなこと」を表現できないでいる人たちがたくさんいて、彼女や彼が、原寸大で自分を代弁してくれているような気になるのだろう。

 この対談、中に通訳が入っているはずなのに、本ではタイムラグがないので、ばななの問いかけに即答しているようなボーネルがいる。だが、ここはここ、徳間書店の本だからね、ネクタイをゆるめて、眉に唾して読むのがいいでしょう。

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2011/02/04

人工社会―エコビレッジを訪ね歩いて

Photo
「人工社会」―エコビレッジを訪ね歩いて
リック・タナカ (著) 2006/03 幻冬舎 単行本: 254p 
Vol.3 No.0238 ★★★★☆

 自嘲的な風来坊を気取る著者であってみれば、これは浮草暮しの放談かなと思ったが、読みとおして見れば、どうしてどうして、なかなか読みごたえのあるオーストラリアにおけるエコビレッジについてのレポートである。人工的社会、という言葉は、別に翻訳本ではないので著者本人の言葉であろうが、エコビレッジとは多少ニュアンスの違った使い方をしている。

 最近では、人工の共同体社会を表わすのに、「インテンショナル・コミュニティ(意図的に作られた社会)という言葉が盛んに使われる。一昔前までは、共同体といえばコミューンという単語が使われたが、70年代のヒッピーのイメージが強かったり、その流れでチャールズ・マンソンやジム・ジョーンズのイメージがあったり、どちらかというとあまり好ましくない印象がある。パリ・コミューンだとか、コミュニズム(共産主義)など、政治的な色彩も強く、歴史の手垢もついている。だから、最近ではインテンショナル・コミュニティという単語が好まれるようになった。p21「ユートピアを訪ねて」

 思えば、我が青春は、そして人生の前半部の20年間は、不可知なるコミューンの探訪であった、と言えるかもしれない。70年代初半、十代の時以来、デモで知り合った友人たちと「共同体」を作り、交流のある共同体とのネットワークづくりに専念した。そのレポートを自分たちのミニコミ雑誌に連載したりした。

 その後、インドに渡り、Oshoのインド内のグジャラート州への移転にも期待したが、結局アメリカのコミューンにも数度足を運んだ。その後、日本国内におけるOsho共同体の可能性を探ったが、90年代からの、我が後半人生においては、むしろ、一般社会への参加が多くなった。

 80年代中盤から、自殺防止の電話相談カウンセラーのボランティアを皮切りに、さまざまなボランティアに参加した。たまたま町内会の班長の当番が回ってきたのがきっかけになって、地域の青年部を組織したりした。

 子供達の成長とともに、小学校の父親の会の立ち上げに参加したり、中学校・高校ではPTA役員を積極的に引き受けることになった。担当校の部活動が大活躍し、その活動とともに、社会とのつながりが深まったこともあった。

 その後、教育委員会の外部委員や、職業団体の理事などを引き受けたが、河原清掃や、交通安全の呼び掛け、地域の見回り活動など、地味目のボランティアがほとんどであった。地味ではあるが、自らの住んでいる地域への積極的参加、という意味では、なかなか有意義な20年間だったと言える。

 エコビレッジという言葉もすっかり日本語で認知されるようになったが、生態の理に適い(エコロジカル)持続可能(サステナブル)な集落だと考えられている。水やエネルギーなどの自給、食料の自給を目指し、自発的に節約を心掛けるライフスタイル、地産地消を目ざす集落だ。あからさまな宗教や政治的信条ではなく、環境への関心や消費を抑えた価値観が集落の絆になっている場合が多い。p123「パーマカルチャーとエコビレッジ」

 人生の前半と、後半(あるいは中盤)における「共同体」の意味は、我が人生においては、おのずと違っていた。自分が参加すべき社会には自分なりに、自分でできる範囲で参加してきたつもりだ。

 さて、自分探しも終わり、子ども育ても終わり、しまい支度の初老になって、再び言われるところの「共同体」の意味が変わりつつある。ヒッピーコミューン探訪も面白かったし、地域共同体への参加も面白かった。しかし、ニュートラルな踊り場に差し掛かった現在、いまひとたび、「エコビレッジ」というキーワードでその「共同」性を見直してみる必要もあるように思う。

 パーマカルチャーの始祖のビル・モリソンは、人工社会にはあまり乗り気ではないようで、それよりも既存社会の改装の方が大切だと考えているようだ。それが70年代の終わり、自らの経験に基づくものなのか、それとも今いる場所で、とにかく手を付けられるところからやり始めることが大切だという意味なのか分からないが、モリソンは人工社会を夢想することには否定的だ。意図的にコミュニティを作らなくても、その目的は達成できる。むしろ簡単だ、と。p216「共同体の行方」

 実際にそうだ。現在の私のライフスタイルなら、自分なりに納得のいく結果になっているわけだし、あえて「人工社会」を作ってまで何事かをしなくてはならないのか、という疑問符はつく。畑仕事をしたいのなら、容易に畑を借りることはできるし、田舎暮らしをしたいのであれば、敢えて大きなリスクを背負わなくても、できる環境にある。そのこと自体に大きな意味付けをしなくても、外側に大きく叫ばなくても、できる段階に来ているのだ。

 しかしまた、ひとつのエコビレッジを作る可能性が見えてきて、それに関わろうとする複数の知人友人たちが存在していることを考えると、新たなる共同性、新たなる集合性に賭けてみる、という可能性があるのではないか、とも思われる。

 あの土地、広さで言わば甲子園の10倍ほどの広さだ。すでに知人が所有しているわけだし、似たような夢を持つ同年輩の人々も複数いる。問題がないわけじゃない。北斜面の土地だし、心霊スポットのようなウッソウとした森も気にかかる。近寄ってみれば、人間関係も再構築しなければならないだろう。

 昔ながらのつながりのある社会を求め、気の合う連中を募り、「まっさらな」土地へ移るのも確かにひとつの方法かも知れない。しかし、そうでない方法もたくさんある。既存の塀や垣根をとっぱらってしまえばいいだけなのかも知れない。

 現在暮らす場所を理想の社会に近付けてしまえばいい。その方が手っ取り早いのかも知れない。一番悪いのは、共同体社会を理想化してしまい、そこに行くまで何もしないことであり、そいう状況にないことを言い訳にしてしまうことだろう。p221「共同体の行方」

 著者も結局は、町に戻り、パートナーとの暮らしに戻る。私自身も、結局は、現在の個の暮らしが一番最適だから、こうなっているに違いない。私自身は、このライフスタイルに今後、時間の経過とともに手を加えたステップを踏んでいけば、まぁ、この人生はこれはこれでよかった、ということになるのではないだろうか。

 環境負荷を少なくしたい、そう思いながら、何をしたらいいのか分からない、どこから手を付けたらいいのか分からない、実際、そういう人が多いのだけれど、そういう関心を行動に移す手助けをしてやること、それがクール・コミュニティの目的だ。何でもそうだけど、最初の一歩がなかなか難しいんだ。環境にいい暮らしをしたい、そう思っている人たちの最初の一歩を助けてやる、行動を阻んでいるものを取り除いてやり、やり始めることに手を貸すこと、それがクール・コミュニティの目的だ。p231「共同体の行方」

 ここでいわれているところのクール・コミュニティこそ、かの土地の在り方かもしれない。私自身とてなにも終わっているわけじゃない。その場で学べることがあるかも知れない。そこで学んで、自らのライフスタイルの基本となる場に戻って実行することも可能だろう。

 この本、「世界のエコビレッジ」とは違った角度から、より細かいディティールで、現在の地球人たちの姿を照らしだす。

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世界のエコビレッジ <1>持続可能性の新しいフロンティア

【送料無料】世界のエコビレッジ
「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア
ジョナサン・ドーソン/緒方俊雄他 日本経済評論社 2010/09 単行本 145p
Vol.3 No.0237 ★★★★☆

 某所に数万坪の土地がある。地目は山林。地方中核都市から車で一時間、温泉街を抱える山岳のふもとの公道に直かに接している。隣接するゴルフ場よりは狭いが、ハーフコースなら十分作れそうな広さだ。

 この土地は当初別荘地として開発されたが、高度成長期の波に乗れず忘れられた土地となっていた。中に建設された総延長数キロに及ぶアスファルト道路と配管も空しく埋もれてしまっていたわけだ。

 その土地を利用しようと10年ほど前から開墾を始めた人がいる。道に積った土砂を払いアスファルトの面を出し、平地には畑地を作った。保冷車などのコンテナを運びこんで簡易宿泊所や倉庫として使っている。

 建築機械や農業機械も中古で安価なものを購入、水道施設の稼働可能性や、自然水の湧水も確認した。一家族分の農作物を収穫したり、数人程度の別荘ごっこなら、十分賄えるキャパシティである。

 この土地に、周囲の人々も関わって、より大きな夢のプロジェクトを立ち上げることができないか、という話が仲間うちで話題になった。私も呼ばれて行ってみたことがある。実に刺激的なスペースではある。

 あの広さはとてもとても個人で格闘できるような広さではない。私が畑しごとをするなら、ほんの小さな庭仕事で十分だと思う。でも、もしあそこに何人かの気のあう仲間たちが集い、さまざまな夢を語ることができたら楽しいだろうな、と思う。

 あの土地を開発するには、まず何が必要だろうか、と思った。とりあえず思ったのは3つ。まず、循環型トイレを含め、滞在するための居住施設。ふたつ目は、すでに配線されている電気に追加するところのインターネット機器。最後は、形だけでも最初からNPOなどの法人格を持ったほうが楽だろう、ということだった。

 その後、いろいろなイメージを膨らませてみたところ、期せずして数人の口からでた言葉が「エコビレッジ」という単語。どこかで聞いたことがありそうでもあるし、初めて考えるような単語でもある。だが、生態系に即した村、というイメージは、互いの夢をかきたてる。

 エコビレッジは、目的共同体のなかでも、最も革新的で最も可能性のある形態である。しかも、私は、世界に広まる環境保護運動の先頭に立って2つの深遠な真実を統合させると信じている。その1つは、人間生活は小規模で協力的・健康的な共同体においてこそ最善の状態にあるということ、もう1つは、人間性を追求する唯一の持続可能な経路は伝統的な共同体生活の復活と向上にしかないということである。--米国ハノーバー大学教授(哲学)ロバート・J・ローゼンタール p9

 エコビレッジという単語はすでに世界的に使われている。GEN(グローバル・エコビレッジ・ネットワーク)などという組織がすでに立ち上がり活動しているようでもある。その概念は必ずしも一致していないが、各地でその胎動が見られる。

 人類の健全な発展を支え、限りない未来にうまくつながる方法を採用することによって、人間の活動が自然界に害を及ぼすことなく溶け込んでいるヒューマンスケールの、生活のための機能が十分に備わった集落である。p12(ギルマン夫妻によるエコビレッジの定義)

 エコビレッジの5つの事例として、アジア、アフリカ、欧州、中南米、北米から1事例づつ紹介されている。

オーロビル(インド)

ムバムおよびフン(セネガル)

ズィーベン・リンデン(欧州)

イサカ・エコビレッジ(EVI:アメリカ)

エコオビラ(ブラジル)

 有名なオーロビルは、インドの哲人オーロビンドやそのマザーによって作られたコミューンだ。苦節数十年のあと、近年ではバランスのとれた可能性のある共同体として各種のメディアで取り上げられることが多くなった。私も1978年に訪問したことがある。

 アメリカのイサカの名前は、地域通貨でも有名だが、そのイサカと同じものかどうか、私にはよくわからない。しかし、ここにおける理念には目を見張るものがある。

 イサカのエコビレッジ(EVI)の設計者たちにとって、最初から関心の中心は、中流階級の米国人が容易に複製できるということであった。すなわち「EVIの最終目標は、人間の居住環境を再設計することにほかならない。私たちは、持続可能な生活システムの実例を示す約500人の共同体システムをつくっている。それらのシステムは、それ自体が実践的であるだけでなく、他の人々にとっても複製が可能である」(EVI綱領)p36

 この他、フィンドフォーンも紹介されている。

 地球に優しく、環境効率性に優れた技術、統合された資源循環の組み合わせがもたらす恩恵は、スコットランドのフィンドフォーン財団が手掛けるエコロジカル・フットプリントに関する数々の研究によってうまく例証されている。この共同体の住民総数は約400人であり、彼らのほとんどの食糧は、地域密着型有機農業計画によって供給されている。この共同体は、最終的には風力や太陽光などの再生可能エネルギーの充電収支がプラスになっており、トレーラーハウス型住宅からエネルギー効率のきわめて高い住宅への長期的転換を行っている。p57

 フィンドホーンについては、一応、読書ブログとして一連の日本語訳のリストを作って読んでみたが、個人的にはあまり波長が合わなかった。翻訳や紹介のされかたが幼稚なのか、すくなくともこの本で紹介されているような、歯ごたえが感じられなかった。 

 この本においてはエコビレッジの可能性も、問題や、限界性についても触れられている。巻末には参考資料として様々なリストがついているので、今後エコビレッジについて想いをめぐらそうとするなら、貴重な資料集となるだろう。

 当ブログもいつまでも読書ブログという個人シュミに留まっているのではなく、具体的な仲間と具体的な動きに参加することもよいことだと考えている。具体的に上がったスペースと、具体的に繋がりのある友人や仲間たち。彼らとどのような共同性を持ち得るのか未知数だが、あのスペースと「エコビレッジ」というキーワードを摺り合わせていけば、何事かのホログラムが立ち上がるかも知れない。

<2>につづく

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2011/02/03

あの世の会いたい人に会える本

【送料無料】あの世の会いたい人に会える本
「あの世の会いたい人に会える本」 誰でもヘミシンク3
まるの日圭 2010/05 ハート出版 単行本 233p
Vol.3 No.0236 採点不能

 なにはともあれ、ヘミシンクをキーワードで検索すると、もよりの図書館では新刊順だとこの本が一番上に来る。この人の他の本もあるのだろうが、この一冊しか入っていない。まずは借りてみたものの、個別的な無意識層のトリップについては、刷り込みや憑り付きを避けるため、ほとんど目を通さないことにしている。すると、この本は、ほとんど読むところがなくなった。

 ヘミシンク関連リスト

「究極の旅―体外離脱者モンロー氏の最後の冒険」 ロバート A. モンロー 1995/07 日本教文社

「『臨死体験』を超える死後体験」米国モンロー研究所のヘミシンク技術が、死後の世界探訪を可能にした!坂本政道 2003/04 ハート出版

「死後探索1 未知への旅立ち」 ブルース・モーエン 2005/12 ハート出版

「あの世の会いたい人に会える本」 誰でもヘミシンク3 まるの日圭 2010/05 ハート出版

 なにはともあれ、この4人の方々は他にも何冊か本を出している。日本においてはこれらの人々の本をめくっていけば、だいたいのヘミシンクの全体像はうすぼんやりと見えてくるだろう。しかし、この「トリップ」においては、本を読んだだけではどうにもならない。むしろ、本を読むことによって「害」がありそうな気さえする。

 最初っから、素直にジャンプしてこの「トリップ」に入ってしまえば、それなりに自分流の体験ができるのだろうが、少なくとも私は、物事にジャンプする時、予備知識なしには実行しないことにしている。よっぽどの出会いがあれば別だろうが、すくなくとも、今は遠慮しておきたい。

 20年ほど前に、90歳近くで亡くなった祖父と話したいと行って、母親が恐山のイタコに会いに行こうと言いだしたことがある。個人的には別にイタコと話したいと思ったことはないが、一度観光気分で家族みんなでドライブ旅行で行くのも悪くない、と旅館まで予約した。

 ところが、当日になって、うちの奥さんが原因不明の高熱がでて、結局、その旅行はキャンセルになってしまったのだった。原因不明と言えば、やや恐ろしげだが、その同じ日に、別々の地方に住んでいる私の友人の奥さんたち二人にも同じような現象が起きていた。つまり、その日はあまりに暑い夏の日で、それぞれに暑気あたりでもしたのだろう、という結論であった。

 その後、数年して、私たち家族は恐山に車で観光ドライブしたこともあるが、ついぞイタコさんとは面会しておりませぬ。母親もその後、イタコに会いたいと言ったことはない。

 インドを旅していた時、すでに亡くなった父親が夢に現れたことがある。予期していなかったことなので、びっくりしたが、短い伝言を残して立ち去っていった。メッセージそのものは至ってシンプルなものであったが、極めて説得力のある、リアリティに富んだものだった。もちろん、いまでも忘れてはいない。

 なにはともあれ、ヘミシンクについては、少し距離をおいておこうと思う。この辺は、私の場合、あまりに興味本位に立ち入ってもいいことが少しもない。必然性があるなら、いずれ、キチンと遭遇することになるだろう。

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ガイアの法則 

【送料無料】ガイアの法則
「ガイアの法則」 
千賀一生 2010/01 徳間書店 単行本 317p
Vol.3 No.0235 ★★★★☆

 表紙にも書いてあるようなサブタイトルや帯の推薦文などが邪魔になって、なかなかこの手の本には手が伸びない。いわゆる陰謀論モノは、20年ほど前に盛んに読んだことがある。その時期に流通していた本のことなら少しわかる。だが、当ブログで再読してメモしておく気にはならない。

 この本もまた、それらに連なる一連のルーツはあるのだろうか・・・。さすがに21世紀であり、いろいろ脚色されたり、時代背景を採り入れ新しい味付けがされている。雑多な挟雑物は濾過されている。

 「本書はファンタジーであり、すべてフィクションです」と巻末に書いてある。言われずとも、この手の本はほとんどフィクションと言っていい。科学と芸術と意識の融合、という紹介もあるが、はて、その深みいかほどのものだろうか。

 16分の一の原理から、360度を16分して、経度上の22.5度に、何事かの意味を見い出す。そして、東経135.0度の明石や淡路島に、何事かの新時代の焦点を見い出そうとする。

 チャネリング風に書かれた存在と、主人公とおぼしき立場との対話ということになっている。後半部分には「意識」についての語りの部分も多々ある。かなり興味深いのだが、ファンタジーである限り、それを覚醒した超意識としてとらえることはできない。

 本書の意図としては、集合超意識や、宇宙超意識へのアプローチが目的としてはあるだろうが、このまま不用意に読んでしまえば、いらぬ集合「無」意識に巻き込まれてしまいそうだ。この東経135.0度とやらの神秘性に衝撃を受けて行動しているという、人々もあるらしい。

 著者には同じく徳間書店からの「タオ・コード」という前著がある。

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2011/02/02

フラワー・オブ・ライフ(第2巻) 古代神聖幾何学の秘密

前よりつづく

【送料無料】フラワー・オブ・ライフ(第2巻)
「フラワー・オブ・ライフ第2巻」 古代神聖幾何学の秘密
ドランヴァロ・メルキゼデク/紫上はとる 2005/08 ナチュラルスピリット・パブリッシング80 単行本 p343,

 図書館からいくらでも借りれることをいいことに、あちこち蚕食してきた当ブログではあるが、後ろを振り返ると、再読、精読が必要と思われる本はたくさんある。その中にあって、当ブログとして「アガルタ探検隊」と称した書籍の一群に対しては、ほとんどなにもできていない、と言っていい。

 最近は、「集合無意識」の闇には、「集合超意識」の光を持ちこむ、との「解決策」を講じようとはしているのだが、はてさて、その進行はいかがなものか。あの一群からいくつかの流れをピックアップしてみようかな、と思わないこともない。

 「超シャンバラ」「空洞地球」「地下存在との対話」 のダイアン・ロビンス・シリーズも興味はあるのだが、あまりにトンデモ性に富んでいるので、読書ブログとしてメモすることはなかなか難しい。他の読者の感想などを拾い読みしてみると、この感想は、まぁ私ひとりだけでもなさそうだ。とにかく、「まとも」に反応するのがむずかしい。

 「レムリアの真実」のシリーズも気になる。「レムリアの叡智」も手元にありながら、まだメモしていない。「新しいレムリア」は当ブログ未読である。この辺から手をつけようかな、と思って、ちょっとググったら、なんと著者であるオレリア・ルイーズ・ジョーンズは2009年7月12日に亡くなっていたようだ。優れたチャネラーは、肉体を離れた場合、自らが向こうからメッセージを送ってくる、ということはないのだろうか。

 そして、もし三本柱として再読しようとするなら、このドランヴァロ・メルキゼデクの古代神聖幾何学シリーズも気になるところだ。レムリア・カテゴリの中で再読したい本としてメモしてはいるが、なかなかそのチャンスは訪れない。面白いのだが、こまかいディティールでひっかかってしまう。

 そんなわけで、第一巻、第二巻、パラパラとめくっていたら、こんな一節があった。

 1999年の秋、私はユカタンでエドガー・ミッチェル博士と話す機会がありました。どちらもマヤ会議で講演をたのまれたのです。(中略)
 ミッチェル博士は、いまやNASAは相対性理論と量子力学を超える、科学史上最大のルネッサンス期を迎えていると言いました。

 これまで、それらの理論は互いにかみ合わず、常に例外があったのです。アインシュタイン博士はすべての力をまとめて1つの数式に表わせるような統一場理論を探し求めていました。その時代から、科学界はこの理論的聖杯を探し続けてきたのです。

 現在、ミッチェル博士によれば、NASAはその答えを見つけているといいます。彼いわく、(1999年9月の時点で)NASAはわずかこの5年間だけで、人類が過去6000年間に得たのと同じ分量の物理学世界に関する事実を入手したのだそうです。さらにこの6カ月間では、過去5年間と同量の事実を得ているというのです!

 これは間違いなく幾何級数的進歩です。ミッチェル博士は、わずか100年前には月に行くことすら絶対不可能と見られていたのだからと熱心に語りました。

 NASAはついに統一場理論の突きとめたのです。彼らはそこに大いなる合意が誕生したのを感じています。つまるところ「現実(リアリティ)」とはホログラフィックなものであり、ホログラム像の中ではどんなイメージの断片からも、その是対像を再現することができ、この現実(リアリティ)のあらゆる物理的断片に宇宙全体のイメージが内包されていることがわかったのです。したがって、あなたの爪のひとかけらの中にも、はるか彼方の星の原型(パターン)が見い出されうるのです。

 さらに興味深いことには、その逆もまた真なのです。爪のひとかけらは、それが見いだされた場所だけではなく、宇宙のいたるところに見つけることができます。現実とは、それまで考えられていたようなものではなかったのです。

 インドの人々は私たちの現実を「マーヤー」と呼びました。それは「幻影」を意味します。その通り、現実はまさにホログラムで、ただの光にすぎなかったのです!第二巻p323「知識の急増」

 まさにエドガー・ミッチェルこそ「月面上の思索」の著者であり、当ブログが現在ひっかかっている大きな一冊と言える。両者が話したのは1999年、メルキゼデクのこちらの原書がでたのが2000年。それに比して、ミッチェルの本の原書「THE WAY OF THE EXPLORER」がでたのは2007年。情報がより新しく、さらに磨きがかかっている。とくに後半などは、極めて興味深いが、私の理解力では、飛ばし飛ばし読みしながら、咀嚼して、時間をかけないと消化できない。

 この古代神聖幾何学シリーズも一旦視野に入れながら、ミッチェル的視点をしっかり把握したあとに、さらにまたメルキゼデクを再読すれば、ことの真贋がより明確になるのではないか、と思う。 

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2011/02/01

宇宙飛行士が撮った「母なる地球」

宇宙飛行士が撮った母なる地球
宇宙飛行士が撮った「母なる地球」 
野口 聡一 (著), 宇宙航空研究開発機構(JAXA) 2010/12 中央公論新社 単行本: 120p
Vol.3 No.0234 ★★★★★

 クラーク&キューブリックの「2001年 宇宙の旅」や、立花隆の「宇宙からの帰還」、エドガー・ミッチェルの「月面上の思索」、などを読んだあとに、身近にこのような本があると、実に宇宙の旅が、21世紀においてはごくごく当たり前になってきているのだな、と実感する。

 この本は、2009年12月21日から2010年6月1日までに野口聡一宇宙飛行士が国際宇宙ステーションに滞在した際に、インターネットのツイッターを通じて送り続けたという画像が中心になった写真集である。

 いままでも、宇宙から見た地球の画集というのはいくつか見てきたが、実際に宇宙飛行士が撮影して、しかも、同時にツイッターで配信されていた、ということだから、ようやく2010年後半になってツイッターを登録した私は、完全にその同時性を失ったことになる。

 しかしながら、この本はその宇宙滞在のちょうど1年後に発行されており、同時代人としては、その感動を十分共有することができる。流れ上、どうしても、立花隆からエドガー・ミッチェル、そして2001年宇宙の旅に見られるような、意識の進化、などに興味を持ってしまうが、この本は、いたって冷静に、かつ多弁に、地球人としての視点を語りかける。

 詳しくは知らないが、この人はアメリカのスペースシャトルにも搭乗し、ロシアのソユーズ宇宙船にも乗り、宇宙においては両国や日本をはじめ他の国家も参加した国際宇宙ステーションに長期に渡って滞在したということだから、思えば、これは実に大変な現実なのだ、とあらためて驚いた。

 以前、当ブログに「テラ・フォーミング 宇宙コロニーの実現」というDVDについてメモしておいた。たまたまの空き時間に訪問した天文台のあと、図書館でこのDVDを見つけて借りてきたのだ。冷やかし半分のメモだったのだが、この記事に対するアクセスは、当時かなり多かった。何でこんなに、と思うほど、人々の関心は高い。

 彼のツイッターは、Astro_Soichiで今でもみることができるようだ。地球上においては、さまざまな紛争が起きている。見るに堪えない、と、ついつい目を伏せがちになってしまう。そういう時代背景がありながら、なお、宇宙に対する冒険心や、地球人としての自覚が、次第次第に、多くの人々に共有されつづけているのだ、とあらためて実感した。

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