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2011/02/04

人工社会―エコビレッジを訪ね歩いて

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「人工社会」―エコビレッジを訪ね歩いて
リック・タナカ (著) 2006/03 幻冬舎 単行本: 254p 
Vol.3 No.0238 ★★★★☆

 自嘲的な風来坊を気取る著者であってみれば、これは浮草暮しの放談かなと思ったが、読みとおして見れば、どうしてどうして、なかなか読みごたえのあるオーストラリアにおけるエコビレッジについてのレポートである。人工的社会、という言葉は、別に翻訳本ではないので著者本人の言葉であろうが、エコビレッジとは多少ニュアンスの違った使い方をしている。

 最近では、人工の共同体社会を表わすのに、「インテンショナル・コミュニティ(意図的に作られた社会)という言葉が盛んに使われる。一昔前までは、共同体といえばコミューンという単語が使われたが、70年代のヒッピーのイメージが強かったり、その流れでチャールズ・マンソンやジム・ジョーンズのイメージがあったり、どちらかというとあまり好ましくない印象がある。パリ・コミューンだとか、コミュニズム(共産主義)など、政治的な色彩も強く、歴史の手垢もついている。だから、最近ではインテンショナル・コミュニティという単語が好まれるようになった。p21「ユートピアを訪ねて」

 思えば、我が青春は、そして人生の前半部の20年間は、不可知なるコミューンの探訪であった、と言えるかもしれない。70年代初半、十代の時以来、デモで知り合った友人たちと「共同体」を作り、交流のある共同体とのネットワークづくりに専念した。そのレポートを自分たちのミニコミ雑誌に連載したりした。

 その後、インドに渡り、Oshoのインド内のグジャラート州への移転にも期待したが、結局アメリカのコミューンにも数度足を運んだ。その後、日本国内におけるOsho共同体の可能性を探ったが、90年代からの、我が後半人生においては、むしろ、一般社会への参加が多くなった。

 80年代中盤から、自殺防止の電話相談カウンセラーのボランティアを皮切りに、さまざまなボランティアに参加した。たまたま町内会の班長の当番が回ってきたのがきっかけになって、地域の青年部を組織したりした。

 子供達の成長とともに、小学校の父親の会の立ち上げに参加したり、中学校・高校ではPTA役員を積極的に引き受けることになった。担当校の部活動が大活躍し、その活動とともに、社会とのつながりが深まったこともあった。

 その後、教育委員会の外部委員や、職業団体の理事などを引き受けたが、河原清掃や、交通安全の呼び掛け、地域の見回り活動など、地味目のボランティアがほとんどであった。地味ではあるが、自らの住んでいる地域への積極的参加、という意味では、なかなか有意義な20年間だったと言える。

 エコビレッジという言葉もすっかり日本語で認知されるようになったが、生態の理に適い(エコロジカル)持続可能(サステナブル)な集落だと考えられている。水やエネルギーなどの自給、食料の自給を目指し、自発的に節約を心掛けるライフスタイル、地産地消を目ざす集落だ。あからさまな宗教や政治的信条ではなく、環境への関心や消費を抑えた価値観が集落の絆になっている場合が多い。p123「パーマカルチャーとエコビレッジ」

 人生の前半と、後半(あるいは中盤)における「共同体」の意味は、我が人生においては、おのずと違っていた。自分が参加すべき社会には自分なりに、自分でできる範囲で参加してきたつもりだ。

 さて、自分探しも終わり、子ども育ても終わり、しまい支度の初老になって、再び言われるところの「共同体」の意味が変わりつつある。ヒッピーコミューン探訪も面白かったし、地域共同体への参加も面白かった。しかし、ニュートラルな踊り場に差し掛かった現在、いまひとたび、「エコビレッジ」というキーワードでその「共同」性を見直してみる必要もあるように思う。

 パーマカルチャーの始祖のビル・モリソンは、人工社会にはあまり乗り気ではないようで、それよりも既存社会の改装の方が大切だと考えているようだ。それが70年代の終わり、自らの経験に基づくものなのか、それとも今いる場所で、とにかく手を付けられるところからやり始めることが大切だという意味なのか分からないが、モリソンは人工社会を夢想することには否定的だ。意図的にコミュニティを作らなくても、その目的は達成できる。むしろ簡単だ、と。p216「共同体の行方」

 実際にそうだ。現在の私のライフスタイルなら、自分なりに納得のいく結果になっているわけだし、あえて「人工社会」を作ってまで何事かをしなくてはならないのか、という疑問符はつく。畑仕事をしたいのなら、容易に畑を借りることはできるし、田舎暮らしをしたいのであれば、敢えて大きなリスクを背負わなくても、できる環境にある。そのこと自体に大きな意味付けをしなくても、外側に大きく叫ばなくても、できる段階に来ているのだ。

 しかしまた、ひとつのエコビレッジを作る可能性が見えてきて、それに関わろうとする複数の知人友人たちが存在していることを考えると、新たなる共同性、新たなる集合性に賭けてみる、という可能性があるのではないか、とも思われる。

 あの土地、広さで言わば甲子園の10倍ほどの広さだ。すでに知人が所有しているわけだし、似たような夢を持つ同年輩の人々も複数いる。問題がないわけじゃない。北斜面の土地だし、心霊スポットのようなウッソウとした森も気にかかる。近寄ってみれば、人間関係も再構築しなければならないだろう。

 昔ながらのつながりのある社会を求め、気の合う連中を募り、「まっさらな」土地へ移るのも確かにひとつの方法かも知れない。しかし、そうでない方法もたくさんある。既存の塀や垣根をとっぱらってしまえばいいだけなのかも知れない。

 現在暮らす場所を理想の社会に近付けてしまえばいい。その方が手っ取り早いのかも知れない。一番悪いのは、共同体社会を理想化してしまい、そこに行くまで何もしないことであり、そいう状況にないことを言い訳にしてしまうことだろう。p221「共同体の行方」

 著者も結局は、町に戻り、パートナーとの暮らしに戻る。私自身も、結局は、現在の個の暮らしが一番最適だから、こうなっているに違いない。私自身は、このライフスタイルに今後、時間の経過とともに手を加えたステップを踏んでいけば、まぁ、この人生はこれはこれでよかった、ということになるのではないだろうか。

 環境負荷を少なくしたい、そう思いながら、何をしたらいいのか分からない、どこから手を付けたらいいのか分からない、実際、そういう人が多いのだけれど、そういう関心を行動に移す手助けをしてやること、それがクール・コミュニティの目的だ。何でもそうだけど、最初の一歩がなかなか難しいんだ。環境にいい暮らしをしたい、そう思っている人たちの最初の一歩を助けてやる、行動を阻んでいるものを取り除いてやり、やり始めることに手を貸すこと、それがクール・コミュニティの目的だ。p231「共同体の行方」

 ここでいわれているところのクール・コミュニティこそ、かの土地の在り方かもしれない。私自身とてなにも終わっているわけじゃない。その場で学べることがあるかも知れない。そこで学んで、自らのライフスタイルの基本となる場に戻って実行することも可能だろう。

 この本、「世界のエコビレッジ」とは違った角度から、より細かいディティールで、現在の地球人たちの姿を照らしだす。

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