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2011年3月の12件の記事

2011/03/11

「パーマカルチャー」 農的暮らしの永久デザイン ビル・モリソン<1>

パーマカルチャー―農的暮らしの永久デザイン
「パーマカルチャー」 農的暮らしの永久デザイン <1>
ビル・モリソン (著) , レニー・ミア スレイ (著), 田口 恒夫 (翻訳), 小祝 慶子 (翻訳) 1993/09 農山漁村文化協会 大型本: 203p
Vol.3 No.0285

 随所に福岡正信の「わら一本の革命」の引用が登場する。そのせいだろうか、どこか懐かしく、どこか親しみやすい。オーストラリア風にアレンジされているとはいうものの、その「哲学」はまさに福岡正信ゆずりの「自然農法」とも言えるだろう。その逆輸入されたとも思える「パーマカルチャー」は、世界各地にその影響力を及ぼし始めている。

 そういう目でみてみると、例えば某大手SNSには、この本をテーマとしたコミュニティがあり、5000人に及ぼうというメンバーを抱えているが、だが、新参者の私がみたかぎり、2004年にスタートしたこのコミュニティは必ずしも活発な議論が展開されているわけではない。

 あるいは、福岡著「わら一本の革命」にしても、「無--神の革命」にしても、私たちの世代も10代から影響を受けているにも関わらず、その「哲学」はおおいにもてはやされても、その「革命」が、生活の「実践」の場で生かされている現場というものは少ない。

 そのような視点で考える時、敢えてビル・モリソンによって再編集され、さらに新展開されている「自然農法」ライフスタイルに対して、謙虚に向かいあう必要は、おおいにあるのではないか、と思われる。ましてや、「実践」の場として、山の椒エコビレッジ、というフィールドを与えられている今、この本は、大きなバイブルとなり得る。

 最初はまずもっとも近いところから開発を始めるのが鉄則で、近くをしっかり把握できたらだんだん境界を広げていくようにする。初心者の場合、畑を母屋から離しすぎて、作物の収穫の能率も悪いし畑の手入れも行き届かないということになりやすい。時間をかければどんな土でも畑に適するようにつくることはできるものであるから、畑や果樹園は家の近くに置いたほうがよい。p16「効率的な活動エネルギー計画」

 山の椒は広い。4万坪ある。13haというと甲子園球場の10倍の広さ。とてもひとつふたつの家族では耕しつくせるものではないし、活用しつくせるものではない。すでに家庭菜園としてスタートしてから7年の時間が経過していたとしても、まだまだ余地はある。

 そのために、後から参加しようとする私のような立場では、あらたなる新天地を奥のほうに見つけようとするが、さて、それが本当に正しいのだろうか、と、この本を読みながら思う。むしろ、住居スペースは、集落として一部エリアに集中し、ライフラインを共用しながら、ビレッジ全体のデザインを考えていく必要があるのではないか、と思う。

 すべての資源は、それをどう利用するかによって、有利なものにも不利なものにもなる。海から始終吹きつけてくる風は不利にであるが、風力発電機を設け、畑を風除け柵の中か温室室にすれば、有利なものに変わる。

 不利なものを「問題」とみなし、その「問題を片づける」ために大量のエネルギー消費をともなう対策をとることもできるが、すべてを有望な資源と考えることもできる。どうしたらそれをうまく利用できるかをうまく利用できるかを考え出すのわれわれの仕事である。p35「すべて物事には両面がある」

 私はこの土地を秋から見はじめた。そして今、冬を見ている。この土地は標高平均400メートルという里山にある。しかも、なだらかな北斜面の雑木林なので、寝雪が多い。別荘地として開発された遺産として残された総延長2.5キロの整備されたアスファルト道路も、冬になれば雪に閉ざされる。

 もちろん、据え置きの除雪機やブルトーザーで除雪をすることもできるが、むしろ、この雪と共に共存すること、いや、むしろ、この雪を利用し、活用し、雪に生かされることを、最初の最初から考えつつこの地に入っていくことを学ぶべきなのではないか。

 「自分はこの土地に何をさせることができるか」と、「この土地から自分に何が与えられるか」という二つの問いの立て方がある。前者は、長期的結果を度外視した土地の摂取につながり、一方、後者は、人間の知性に導かれた永続的生態環境につながる。p39「用地の全体設計」

 このような心境になれるには、まずは、なんどもその土地に立ってみることであろう。概念としてはわかる。グーグルマップで地図もみることができる。一度行っただけでも、そのすごさはわかる。しかし、ひととおり見るだけでも一年、いやもっとかかるに違いない。

 地図は、観察がともなわれてはじめて役立つものである。たとえその地図が等高線や植生、浸食溝などが詳細に記入されてあったとしても、地図だけで設計しようなどとしてはいけない。p39「資源の確認」

 土地を知るということは、自分自身を知る、ということでもある。

 自分自身の持っている資源、財源、技術などについて考慮することも大切である。たとえば、あなたの技術や財産は、今からあなたがやりとげようとしている構想に十分応じうるものであるか。(中略)あなたのパーマカルチュアーシステムが供給するものに対する需要はあるか。現実的経営計画が立てられていたとしても、なんらかの事業上の変更を支えるのに、地域の回転資金の融資を利用できるのか。これらのことを考慮することも、大切である。p41「用地外の資源」

 確かに、農業機械士、危険物取扱とか、劇物毒物取扱、ボイラー関連資格など、いくつかの資格をとったことがあった。だが、そんなペーパーライセンスなど、大自然の前では吹き飛んでしまう。

 家屋をどこに置くかは、そこの気候によって異なるが、どの土地にあっても従うべき一定のルール、また、避けるべきことがいくつかある。

 そういうルールの一つに、次のことが上げられる。つまり、主要道路に近ければ近いほど、よいということだ。主要道路から家屋までの距離が長いとお金がかかり、維持するのが大変で、孤立した感じを受ける。p70「家屋の位置を決める」 

 山の椒エコビレッジは、交通量の多い県道に面している。その道に家屋を設置することもかのうであるし、そこから数百メートル、最深部では600メートルの玄関道を入ったところに家屋を置くこともできる。その目的によってさまざまなロケーションが考えられるが、ここでビル・モリソンは主要道路から「近ければ近いほどよい」と語っていることは記憶しておくべきだろう。もちろん「孤立」も大いに活用したいのだが。

 いったん通路や家屋の位置場所が決まったら、設計はより複雑な面に移り、建物の近辺とさらにそのまわりの場所に的を絞っていく。区域や区分、傾斜が大まかに検討されるのが、この時点だ。p71「優先順位の決定」

 ここまでくればかなりのものだ。しかし、ざっと考えて約40家族が関わることのできるキャパシティのある山の椒である。じっくり時間をかけて丁寧に土地との対話をつづけていきたい。

 この本においては、何を植えて、何を利用するか、ということについて細かにアドバイスが列記されている。そして、山の椒ですでにプロジェクトとしてスタートしているミツバチについても触れられている。

 ミツバチ

 畑でも果樹園でも、受粉係としてたいへん有用である。生産物としてはミツ、蜜ろうなどがあり、ニーズは水と花蜜が絶えまなく供給されることである。一年中ハチを自分のところに引き止めておくためには、完全な毎月のえさの供給を計画しなくてはいけない。しかし、花や花蜜の供給は天候しだいで年ごとにひどく違うので、時には砂糖水を与えたり、何マイルか先の花蜜の多い場所へ移動させたりする。p153「動物飼育システムと水産養殖」

 ここに書かれているのはセイヨウミツバチのことであるので、生態に違いのあると言われるニホンミツバチについては、別途、研究される必要がある。

 ここ10年くらいの間に、グローバルビレッジコミュニティーが徐々に発展してきた。それは、これまでに展開されてきた思考や価値観、技術の中でももっとも注目すべき変革である。この本は、耕す速度を早めることを意図しているのではなく、むしろ土地と生活に対しての、新しい、多様なアプローチに関する哲学を促進すること、そうして耕すことをを時代遅れなことにすることを意図している。

 人類の抱える問題に対して、私自身にはパーマカルチャーや適切な技術を取り入れた小さな責任あるコミュニティー形成以外に、何も(政治的、経済的)解決法は見出せない。中央集権的権力が続けられる日もあとわずかであろうし、社会の再組織化は、たとえときには痛みをともうなうこともあるとしても、避けることのできない過程であると信じている。p180「パーマカルチャーコミュニティー」

 エコビレッジにおけるパーマカルチャーを学ぶことは、人間とし地球につながり、そして宇宙へとつながる意識へと、一体化していく過程でもあろう。

<2>へつづく

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2011/03/10

「シェルター」 ロイド カーン <1>

Photo

「シェルター」<1>
ロイド カーン (著), 玉井 一匡 2001/10 ワールドフォトプレス 大型本: 175p
Vol.3 No.0284 ★★★★☆

F

 山の椒エコビレッジにおけるFスポット。将来的に多くの人々が集まれるようなドームやホールのような建物が予定されている。三方が開け、遠く蔵王連峰が見える。今後集まってくる人々の希望を取り入れた設計になるだろう。

 してみると、個人宅よりは大きなものになるが、はてさて、エコビレッジにふさわしいホールとはなんだろうか。この本に書かれているものはピラミッドや寺院や城のようなものではない。環境とともに存在する集会場、あるいは瞑想ホール。

 また、別なEスポットの方にはようやくテントを持ちこんで、ロケーションを確認し始まったところなので、ひとつひとつその地を味わいながら、想いをめぐらしていくことにしよう。

<2>につづく

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2011/03/09

「ニホンミツバチの飼育法と生態」吉田忠晴<1>

【送料無料】ニホンミツバチの飼育法と生態
「ニホンミツバチの飼育法と生態」 <1>
吉田忠晴 2000/01 玉川大学出版部 単行本 135p
Vol.3 No.0283 ★★★☆☆

 この本は、その出版元からも推測されるように、玉川大学の研究者たちによって編集されており、その研究は、自らの大学内で飼育しているニホンミツバチの観察がもとになっている。そもそも、セイヨウミツバチは生産的な養蜂を目的として明治以後輸入されたものであり、ニホンミツバチはセイヨウミツバチによって駆逐されてしまった、という印象もあるらしい。

 しかしながら、両者には、生態に異なるところが多く、時間、空間を異にしながら共存しており、ニホンミツバチは絶滅危惧種にはなっていないという。そういえば、私も昨年、とあるところでニホンミツバチと遭遇した。いや、私にはそれがそうなのかどうかすら判断しかねる。ただ、いつもはセイヨウミツバチを見慣れているイチゴ農家の人が、そう判断したのだから、かなり信憑性はある。

 ニホンミツバチを飼うには、すでに養蜂をしている人から譲ってもらうか、実際に野性のものを見つけるしかない。だが、私なら、あの場所にまだきっと生息しているに違いない、と察しをつけ、そのうち下見に行ってみようと思う。そして、もしまだ生息しているのなら、自然の状態と、山の椒の生態と、どのように違うか、比較観察してみるのも面白いと思う。

 服装をととのえる

 ニホンミツバチの性質は、一般に温和で刺針行動の頻度も低いため、セイヨウミツバチの内見時に必要な燻煙器は使用しなくてよい。ニホンミツバチの場合は燻煙するとかえって蜂群全体が煙に対して敏感に反応して大騒ぎとなる。顔を刺されないようにつばの広い帽子の上から面布をかぶり、長袖、長ズボン姿が望ましい。

 蜜不足の時などは攻撃的になることがあるため、そのような場合にはゴム手袋などで手を保護するとよい。もし刺されたときは、刺針基部に付いている毒嚢部が収縮を繰り返し蜂毒が送り込まれているため、刺針を速やかに取り除くことが必要である。

 残った刺針を指先で抜こうとすると、毒嚢部をつぶした状態になり、いっそう蜂毒が入ることになるためよくない。刺されたところを着ているものに強くこするようにして刺針を抜く。体質によってはかなり腫れ上がる人がいるが、2、3日で腫れが引く場合が多い。

 しかし刺された後にじんましんが出たり、呼吸困難になったりする人は、蜂毒に対するアレルギーをもっているため、ミツバチの飼育は避けたほうがよいと思われる。p48「ニホンミツバチの飼育法と採蜜」

 私はハチの類に刺されたことがないので、ハチは怖くない。だが、わが家の小さな庭にも毎年ハチ類が営巣するので、たまに除去するような時は、かなり慎重にゆっくりと作業をすることにしている。ハチさん、お友達になりましょう、という雰囲気でいると、たまに偵察隊が飛んできたりするが、簡単な威嚇で立ち去っていく。

 だが、ハチを実際に飼っている人の話を聞いたり、本を読んだりすると、まず刺されたことのない人はいないようだ。1回目、2回目、3回目となると免疫もできるようだが、その間隔があいていると、免疫もなくなっているようでもある。いずれにせよ、大自然に向かい合う時は、真剣勝負の心構えが必要だ。

 簡単にミツバチと言われ、しかもセイヨウとトウヨウと分けられているが、細くはいくつにも分けられているようだ。

セイヨウミツバチ

クロバチ

イタリアン

カーニオラン

コーカシアン

トウヨウミツバチ

オオミツバチ

コミツバチ

ヒマラヤオオミツバチ

クロコミツバチ

サバミツバチ

クロオミツバチ

キナバルヤマミツバチ

本州型ニホンミツバチ

対馬型ニホンミツバチ

中国亜種(セラーナ・セラーナ)

インド亜種(セラーナ・インディカ)

ヒマラヤ亜種(セラーナ・ヒマラヤ) p91「世界のミツバチ」より要約

 セイヨウミツバチを飼育するには、養蜂振興法により都道府県知事に届けを出さなければならないようだが、趣味で養蜂する場合、しかもニホンミツバチを飼育する場合は提出の義務は不要とされている。

<2>につづく

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2011/03/08

「ミツバチ」―飼育・生産の実際と蜜源植物 (新特産シリーズ) 角田公次<1>

ミツバチ―飼育・生産の実際と蜜源植物 (新特産シリーズ) 
「ミツバチ」 飼育・生産の実際と蜜源植物 (新特産シリーズ) <1>
角田 公次 (著) 1997/03 農山漁村文化協会  単行本 173p
Vol.3 No.0282 ★★★☆☆

 「ニホンミツバチが日本の農業を救う」においては、ニホンミツバチとセイヨウミツバチが峻別されていたばかりか、トウヨウミツバチなども紹介されていたが、こちらの本においては、「ミツバチ」という表現以外は使われていない。こちらのほうが一般向けの本のように思う。ここで言われているミツバチは、大多数の養蜂家が扱っているセイヨウミツバチのことであろう。

 「飼育・生産の実際と蜜源植物」とサブタイトルがついているだけあって、詩情にさそわれて読むような本でもないし、教養として読むような本でもない。実際に養蜂をしてみようと言う場合にすぐに役立つような具体的な知識が満載されている。

 特に、ミツバチがミツを集めるべく飛び交う、自然界の花々、その花々をつける植物についても多く触れられている。漫然と山間や大自然を楽しむのではなく、ミツバチの身になって、歩いてみれば、どこにどんな植物が生息しているのか、もっともっと敏感に感じるようになるに違いない。山の椒におけるニホンミツバチ・プロジェクトの、今後の展開も、この自然の植生と無関係であるはずがない。

 また、病気や天敵などについても触れられている。

 クマ クマはわが国最大の野性動物で、大きなものはツキノワグマでも150キロもあり、北海道のヒグマは200キロもあるという。クマにとってミツバチはなんといっても最大の御馳走であるから、みつけたら最後箱はメチャメチャにこわされ、ハチも蜜も蜂の子もすべて食べられてしまう。

 ふつうにミツバチを飼っている平野部ではクマは問題にならないが、夏の蜜源を求めて山間部に転飼した場合に被害にあうことが多い。最近山間部でも開発がすすんでクマの住む環境が変化しており、天候の悪い年など山の木の実が不作だったりすると、里に出てトウモロコシなどを食害する。たまたまミツバチを見つけて食べると、あまりにうまいので、それからはミツバチだけを探して歩くと言われている。

 クマの害を防ぐには、電気牧柵などをはりめぐらしてクマが近づけないようにしたり、被害を受けたら有害獣駆除の許可をもらう。そして、その土地の甲種の狩猟免許を持っている人に依頼してクマを捕獲してもらう。最近ではクマを殺さないようにと、自然保護団体の人たちの声が大きいので林業事務所なども許可に慎重になっている。

 一晩のうちにミツバチを10群もやられれば1群5万円としても50万円の被害になるし、トウモロコシを、それも明日あたりから出荷しようと思っていたものを10アールも食害されると、なんともやり切れないものがある。残念ながらクマと人間の双方が、安心して住めるようにならないのが現実である。p110「安全確実な蜂蜜生産のために」

 「田園生活の教科書 辛口のカントリーライフ入門書」においては、「狩猟」について詳しい記述が載っている。生ぬるい自然保護的感覚では割り切れない現実がそこにある。私自身がクマを射とめるために狩猟を学ぶ、なんてことはまずはないとは思うが、すぐそこにこのような生態系の現実がある、ということは忘れてはならない。

 無人の蜂場でクマに襲われたとき、蜂場近くの人から電話をもらったら、夜でも朝でもただちに現場に行き、残った巣箱を移動しなければならない。このときはヘッドランプとラジオを用意していく。ヘッドランプであれば両手が自由に使えるので便利だし、ラジオはクマから身を守るためによい。

 クマの害を受け、夜間に蜂群を引き上げに行く場合、近くにクマが潜んでいる場合が多いから必ずラジオのボリュームを最高にして背中に背負ってゆく。ラジオの大きい声とヘッドランプの光があればクマは逃げてゆく。p123「クマの襲撃」

 昨秋、まだ冬眠前のクマが生息しているかもしれない時期には、たまたま持っていたスマートフォンのワンセグのボリュームを最大限にして、山の椒をウォーキングした。おかげて1時間ほどでバッテリーがあらかた上がってしまったが、効果があったのか、クマ君とは遭遇しなかった。なるほど、山歩きには、ラジオやクマよけの鈴は必需品だな。

<2>につづく

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2011/03/07

「ニホンミツバチが日本の農業を救う」久志冨士男<1>

【送料無料】ニホンミツバチが日本の農業を救う
「ニホンミツバチが日本の農業を救う」 <1>
久志冨士男 2009/06 高文研 単行本 189p
Vol.3 No.0281 ★★★★☆

 山の椒エコビレッジでは、すでに数年前から「養蜂」が始まっている。しかもニホンミツバチによる養蜂だ。この本によれば、なるほど、蜂蜜にはこれほどいろいろなことがあったのか、とまったくのシロートの私には目から鱗の状態である。

 養蜂業はセイヨウミツバチによるものがほとんどで、その習性から、さまざまな問題が指摘されている。その点を補う存在としてニホンミツバチが注目され始まっているようだ。特に山の椒は、放置地として、農薬や乱開発から守られてきた地であり、そこにある自然界が提供する花々の密は、特別な味わいがあると想像できる。

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 春を待つ山の椒エコビレッジ。手前に見えるのが、自然界の動物たちから、ニホンミツバチを守る太陽発電装置だ。

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 太陽光発電で駆動する電柵装置。発電された電力はバッテリーに蓄えられ、熊などの不届きモノが蜂蜜を狙って侵入すると、電気ショックを与えて、けん制する。仕組みは簡単だが、効果は抜群。

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 ニホンミツバチ用の重箱式巣箱。ビレッジ内には沢山の装置が設置されており、今後の増産に向けて研究が続けられている。

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 冬期間も、こまめに管理する。寒い間はニホンミツバチたちの活動も鈍るので、砂糖水などの餌を補給する必要がある。

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 雪の中に死滅するハチ。このところ温暖な日が続いたので、春が来たと思って飛び出した働き蜂の中には、寿命尽きて、雪の中に墜落してしまうものも出て来る。


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 かなり濃密なニホンミツバチの蜂蜜。セイヨウミツバチとは比べ物にならない程の美味と言われる。このボトル一本で、多分*万円するかも。

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 かなり濃密な味がする。蜂蜜をどのように味わうのが本当なのか知らないが、一匙食させていただけば、なるほど、これがニホンミツバチの蜂蜜なのか、と驚く。糖度が80以上ないと発酵してしまうというので、純度の高いものは保管にも工夫がされている。

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 こちらは、たしか花粉玉とか言ったかな。蜂蜜たちの体についた花粉が沢山たまったもの。こちらもなにかの薬効があるはずだ。

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 ミツバチたちの活躍する春は、もうすぐそこまで来ている。山の花々も、今や遅しと、日差しが明るくなるのを待っている。

<2>につづく

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2011/03/06

「小屋の力」 マイクロ・アーキテクチャー 仙波喜代子/今井今朝春<1>

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「小屋の力」 マイクロ・アーキテクチャー
ワールド・ムック仙波喜代子/今井今朝春 2001/05 ワールドフォトプレス ムック 475p
Vol.3 No.0280 ★★★★☆ 

 なんどか山の椒エコビレッジに足を運んでみれば、その地の魅力が少しづつ高まり、その中でも特に自分に適したスペースがどこなのか分かってくる。そして、その中で、自分は一体なにをしたいのか、が明らかになってくる。

 このところ、道具として自分が揃えたのは、帽子、ナタ、長くつ、軍手、そして車のチェーンだった。帽子はいくつも持っているが、山にふさわしい帽子は、これからもいろいろ工夫する必要がありそうだ。ナタは両刃をそろえたが、ホームセンターや園芸店には両刃のナタがそろっていない。とにかく、これも使い始めてみれば、だんだんわかってくるだろう。

 軍手や防寒用の手袋はこれは必需品。そして、いままでは全然アウトドア派でもないし、普段は平地ばかり走っている自分は、この20年ほど、ほとんど使っていないタイヤチェーンだが、山の椒においては、極めて有効だということがわかった。そもそも最初から4WDをそろえておけばよかったのだが、まぁ、ここはタイヤチェーンでも大丈夫だ。

 そして、だんだんと明らかになって来たことは、いくつかの大きなプロジェクトがある。ということだ。

1)パーマカルチャーにつながる家庭菜園としての農業プロジェクト

2)エコビレッジにつながる家づくり。コハウジング作りプロジェクト

3)ミツバチプロジェクト

4)ひとりひとりの個人スペース作りプロジェクト

5)NPOのためのネットワーク作りプロジェクト

6)全体の連絡係としてのネット関連プロジェクト

7)その他(それぞれ細かいことがいくつかある)

 1)の農業プロジェクト、3)のミツバチプロジェクトはすでに進んでおり、担当者もおり、今後は規模を拡大していくことが肝要となる。5)のネットワーク作りや、6)のネット関連はこれからの作業だが、かなずしも山の椒にいなければできない、ということではない。

 今回、山の椒を訪ねて、強烈に思ったことは、2)コハウジング・プロジェクトと4)個人スペース・プロジェクトを今後早急に推進しなければならないな、ということ。そして、私がやりたいことは、まずはここなのだ。

 コハウジングを建てるスペースはほぼ決定した。そして、私自身が自分のスペースとして欲しい場所も決定した。あとは実際に実行するだけだ。コハウジングと個人スペースは同時推進させなければならないが、規模的に考えて、あるいは目的から考えても、個人スペースのほうが簡単で、手軽に作れるに決まっている。

 だから、コハウジング・プロジェクトに関わりながらも、自分が自分としてやらなければならないのは、個人スペースの確保だ。場所は決定した。あとはそこにどのように自らのスペースを確保していくかだ。

1)足で歩いていって、座って、弁当でも食べる。

2)道を整備して、車で行って昼寝する。あるいは一晩泊る。

3)暖かくなったら、車で、大型テントを張って、数日滞在してみる。

4)春から夏、遅くとも秋までに、冬を越せる小屋を建てる。

5)長期滞在できるログハウスやツリーハウスを作る。

6)クオリティを高め、永住の地とする。

7)付属の建物を建て増す

 このレベルで考えれば、実際にはまだ1)しかできていないのだが、3)レベルまでは問題なく推進する。5)や6)は、次なるステップとしてある。7)もまた、未来のことだ。つまり、現実の問題として、4)の暖かいうちに、冬を越せる「小屋」を建てる、ということが当面の課題となる。

1)水や電気、ガスや通信はどうなるのか。

2)資材は何を使うのか。

3)どの程度の規模にするのか。

4)経費をどれだけ見積もることができるのか。

5)どれだけの日程を組むことができるのか。

6)デザインは環境にマッチしているか。

7)みんなに羨ましがられるようなライフスタイルになるのか。

 1)まず、ガスはプロパンを使えばいいし、薪や焚き木は、山にたくさんある。通信は、光ファイバーまで手が伸びなくても、3Gでなんとかなりそうだ。水は湧水もあるし、タンクを使えば問題ない。電気はこれからの課題だが、電柱も来ているし、他の水力や風力の活用を、最初から全面格闘してみる必要もあるかもしれない。

 2)資材だが、手っ取り早いのは、中古のキャンピングトレーナーでも持ち込めばすぐに空間はできる。しかし、それだけの予算があるのなら、すでに山の椒にある部材を使いながら、小屋を作ったほうが絶対面白いに決まっているのだ。

 3)まずは、私たち二人が暮らせることが最低基準だ。二人が数日滞在して、食事をし、睡眠をとり、温泉などに外出し、また、友人カップルがふた組ほど同時に遊びに来る、という想定だと、キッチンやベットの他に、広いフリースペースも必要となるだろう。また、まったく一人になれる個室も必要となるだろうし、本当は仕事もしたいので、事務室も必要だ。

 4)経費は限りなくゼロにしたい。すでにあるものの活用だ。ガラス窓や屋根材などは、できるだけ安価に入手できる方法を考えよう。それでもやっぱり釘や道具、家具類も必要になるだろう。基本は自分の普段のこづかい程度で賄えるようにしよう。なに、飲み会や、余計なツマミ類に使っている雑費を節約すればいいことだ。まずは負担にならない程度からスタートしよう。

 5)日程はどうするかだ。どうしても10月辺りまでは完成したい。となると、4~9月のウィークエンドの各一日を使ったとして24日。途中で忙しくなったり、風邪でもひいてできなかったとして、まずは20日間でできる計画をたてなくてはならない。それに、コハウジングへの共同作業もでてくるだろう。できれば、もっと短縮して、10日間でできる個人スペース作りを考える必要がある。

第1日)まず大枠のデザインを考え、基礎となる部分に丸太を置く。そのためには電動のこぎりなどの道具が必要となる。また、部材の存在も確認しなくてはならない。

第2日)基本となる柱、屋根の骨組みの大枠をつくる。梯子やロープ類が必要となる。あるいは助っ人が必要となるだろう。釘や細かい部品が必要となろう。

第3日)屋根を完成させる。屋根材を何にするか、屋根裏に入れる断熱材の確保も必要となる。また、概観として、すこしはオシャレな雰囲気が必要だろう。

第4日)基本となる外壁を埋める。この段階では、中古のサッシ類やドア類を調達しておかなくてはならない。ここはすこし出費がかさむだろう。

第5日)窓を作る。ドアをはめる。換気扇や台所、ライフラインの取り付け箇所のチェック。天窓や、収納を考える。

第6日)内装に取り掛かる。断熱材、床材、あるいは照明器具などを考える必要がある。

第7日)電気を使うならプロを頼む必要がある。あるいは太陽光や風力発電にしても、ここは大きく予算がかさみそうだ。その他、ライフラインのチェックと見直し。

第8日)台所セット、ベッドセット、居間セットなどの選定、持ちこみ。

第9日)全体的なペンキ塗りや、隙間埋め。周囲の弊や玄関まわり、階段など。エクステリアも考えて、周囲の片づけ。

第10日)仲間たちを呼んで、完成祝い。

 まずは、今日考えた、山の椒エコビレッジにおける、自分スペースづくりプロジェクトの基本デザインではある。

<2>につづく

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2011/03/05

里山ビジネス 玉村豊男

【送料無料】里山ビジネス
「里山ビジネス」
玉村豊男 2008/06 集英社 新書 185p
Vol.3 No.0279 ★★★★☆

 そもそも「山の椒エコビレッジ」の立ち上げに加わろうと思ったのは、1月に街中であった、友人の誕生日を兼ねた、手作りワインの試飲会がきっかけだった。いままで複数の別々の友人だったと思っていた人々が、実は裏で、手作りワイン・ネットワークでつながっていたのだ。

 この十年来の私はひたすら焼酎文化なので、ことさらワインを好む人種ではないし、最近は酒量も減って、かかりつけの医師からは血圧や体調を理由に節酒を進められている身となれば、まぁ、あえてこれからワイン・ネットワークに果敢に挑戦、というわけにはいかない。

 玉村豊男という人、テレビでみたことがあるが、マスコミ人が山中にワイナリーをつくって、あるいは取材して、どうすんだろう、なんて勝手に思ってしまったが、実体は逆だったようだ。つまり、かなり無謀な計画によるワイナリーが成功したがゆえに、マスコミにも登場するようになり、こんな本が出版されるようになったのだ。

 私も自分で起業するための参考にしようと、国内の小さなインディーズワイナリーをいくつも訪ね歩きましたが、どのオーナーも、個性の強い、異常な情熱に満ちた、こういってはなんだが奇人変人ばかり・・・・・でした。ワイナリーの起業はどう見ても個人の手には余る大事業なので、奇人変人でなければ立ち向かえないでしょう。私がそういうと、彼らは異口同音に、玉村さんも相当な変人ですよ、というのでした。p63「ワイナリーを起業する」

 「個性の強い、異常な情熱に満ちた、奇人変人たち」。なんだかそう言われて、周囲を見まわすと、たしかになぁ~、この概念にあてはまる人々がいるんだわ、自分のまわりに。しかもキーパーソンとなる人こそ、ズバリこのタイプだったりする。

 いままでだったら、やんわりと迂回してきた遭遇だったのだが、「メタコンシャス 意識を意識する」カテゴリにはいったとたんに、この手の「逃げ」をしなくなってしまったのだった。だからこそ生まれてきた今回の「場」であっただろうし、結局は、もともとはいずれはこの地へと向かうプロセスであったのだ、と、やや諦め加減になる。

 いやいや、周囲ばかりではなく、Bhavesh、キミも相当な☆☆☆ですよ、といわれそうだが、う~ん、なるほど、そうかもしれない。いままで締めてきたタガがどこかで外れて、一枚一枚の板がはじけ飛び始まっているのかもな。

 私は海外旅行をする人に、名所旧所もいいけれど、泊ってホテルの半径500メートル以内をまず歩いたらどうですか、と勧めます。
 自分がその町で暮らすつもりで、あ、ここに美容院がある、あそこにスーパーがある。買い物を済ませたら角のカフェでコーヒーを飲んで、隣の花屋さんで花を買って帰ろうか・・・・・そこで生活するシーンを想像することほど、誰にでもできる街の楽しみかたはありません。
p110「里山のビジネスモデル」

 私はワイナリーを創ろうと思っているわけでもなく、本当は、家庭菜園をしようと思っているわけでもない。何を一番やりたいのか、といわれれば、それはエコビレッジをやりたいのだ、ということになろう。いや、むしろ、語感としてはコミューンだろう。ただ手垢のついた古いラベルにこだわり続けるつもりはないし、新しい概念に新しい息吹を吹き込むことも楽しそうなことだ。

 つまり、13ha(4万坪)という限られたスペースに、もし人々が集って生活するなら、どんなモデルが出来上がるのだろう、という想像が楽しいのだ。私は30年ほど前に、今の駅裏の小さな新興団地に引っ越してきて、アパート住まいから中古一軒家に移り、子どもたちの成長で必要に迫られて小さなマイホームをこしらえた。その過程で、この街のでき方も眺めてきた。

 一番最初には、道ができる。以前からあった農家がだんだん縮小していき、集合住宅ができる。そこにまず雑貨屋とか地元の小さなスーパーができる。そして、あちこちの個人住宅の一角に床屋さんができるのだ。床屋さんは一番起業しやすい地域ビジネスだと、私には思える。

 その次はもちろん美容院もできるし、歯医者ができる。もともとあった地域の工務店も活況を示し始める。診療所ができ、幼稚園ができ、学校ができる。そのころには、さまざまな全国チェーンの飲食店ができ始める。最近はコンビニがあっちこっちにモグラ叩きのように現れては消えていくが、こうなるころには、街も爛熟期に入っていると言える。

 最近は、幼稚園がひとつ消え、葬祭センターがひとつできた。意欲的なホームセンターがカルチャーセンターを併設したが、数年してそこを縮小し、スポーツジムになった。わずか30年だが、されど30年だ。街のでき方、街の成熟、街の衰退が、目に見える。

 たとえば、周囲の自然と折り合いをつけながらつつましく営む、日本人の生活の原点ともいえる里山の暮らし。そのひとつの現代的なかたちを、生きたミュージアムとして示すこと。p111「里山のビジネスモデル」

 エコビレッジには、不動産会社が乱開発した通勤型のベッドタウンじゃぁない、人間が生活するモデルがあるはずである。

 里山における暮らしの場合は、森との境界線を探り、相手のテリトリーを侵さないように注意しつつ自分のテリトリーを守るために畑の最前線を耕す、という毎日の労働そのものが、生活の質を高めながらも生活を拡大しないで持続する方法を、具体的に教えてくれています。きっと、里山苦足の知恵に学べば、それほどの覚悟も諦観も必要としない、なにかうまい方法が見つかるに違いありません。p146「拡大しないで持続する」

 里山であったり、田園であったり、野性であったり、エコビレッジであったりするが、いずれ、拡大し、成長し、増殖しない生命力なんてない。そしてまた、縮小し、衰退し、生滅しない生命もない、ことも事実なのだ。

 高度成長期を経て、爛熟したバブル期を経た日本経済は、すでに20年の長きに渡って衰退しつづけている。衰退し続けているからこそ、「持続」という言葉が新鮮に思えるのだが、実際は衰退の中にあって「持続」するのは、「拡大」しているのと同じことだ。

 衰退は衰退として直視する以外にない。それが命であるかぎり、やがて消滅し、死滅するだろう。しかし、その死滅のなかから、再生があることもまた知らなくてはならない。持続、持続、と流行語を乱発しても、本当のことにはならない。

 里山ビジネスの究極の目標は、小さな農業をやりながら、小さな観光の対象として、小さな独立王国をつくることです。
 そこで働く全員がフリーランスとして独立できるような技量をもつ、マルチな職人集団として、たがいに連帯することで成立するひとつの世界・・・・・。
p177「グローバル化は怖くない」

 一冊の文庫本、マスコミに登場する有名人の成功モデル、それだけの結語としてなら、これでもいいだろう。しかし、具体例としての個々人の境遇はさまざまだ。この中に、子どもが成長するスペースはあるだろうか。老いたる要介護の高齢者たちはどう組み込まれるだろう。街で破綻した家のない人々。現場に復帰できない、長患いの人々。想いを深く、広くしていけば、結局は結論、結語なんてない、ということに気づかざるを得ない。

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2011/03/04

田園生活の教科書 辛口のカントリーライフ入門書

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「田園生活の教科書」 辛口のカントリーライフ入門書
斉藤令介 2001/04 集英社 単行本 269p
Vol.3 No.0278 ★★★★☆

 私が生まれ育った地は、町名にも「田」がついており、地区名にも「田」がついており、大字の中にも「田」がついているような、まるで田んぼのなかの田んぼ、といった名前である。地名多しと言えど、これほど「田」が重なることも、そう多くはあるまい。そう、私は田園生活の中で、生まれ育ったといえる。

 しかるに、著者が挑戦しているライフスタイルは、決して「田園生活」とは言えない。むしろ、私から見れば、「原野」に近い。その証拠にこの本には「田」については何もでてこない。そして、「生活」というわりには、家族や奥さんについても何もでてこない。これはむしろ「開拓」や「冒険」と言っていい。「原野開拓の教科書」あたりのネーミングがふさわしい一冊である。

 私がそう思ったのは、この本は目的志向的には「図解 田舎暮らし 目からウロコのさんぶん図解」とほぼ同等の内容なのに、特徴的に「狩猟」について、充実した内容が書いてあったことが、ひとつの大きな理由である。

 私のもっとも好きなのが狩猟である。このために私の人生はまわり、田園生活を始めたのも狩猟と魚釣りのためだった。どうしてそんなに狩猟が好きなのかとよく聞かれるが、「それがすべてなのだ」と答えるよりほかにない。

 人間は歌をうたって満足する人、料理に生き甲斐を感じる人、文章を書かずにはいられない人、山に登ることで心が打ち震える人といろいろだが・・・・・。私は之に入り獲物を求めている時が私なのである。

 大自然は多様性という人類や地球を守るシステムを作り出した。この多様性の大切さを知らない環境保護論者たちが、狩猟者を攻撃しているが、ナンセンスな話である。人類が支えてきた大事な要因の一部が、狩猟だったんは厳然たる事実だ。地球上の生物のほとんどが狩猟によって生き延びているのも事実だ。

 だが狩猟者は喧嘩を好まない。日本にいる18万人の狩猟者は、狩猟をしているから、男としての欲望、狩猟欲や攻撃性が満たされている。欲求不満などないのだ。むしろ狩猟の代償行為を行っている人々が、欲求不満から狩猟を攻撃するのだろう。

 野鳥をみるだけの人々、動物を見るだけの人々。彼らは野山に分け入り、獲物を求める狩猟行為をしながら、永久に射止められな、教育や宗教的思想によって抑圧された人々なのだろう。それが多くの人々が驚く暴動まで起こす、一部の動物保護団体の攻撃性の要因と私は考える。p103「田園生活の楽しみ 狩猟」

 狩猟をする人々を私は知っている。秋の収穫物に群がるスズメたちに散弾銃を打ち込むひと、網をかぶせる人、害獣にさえなるイノシシを駆除する人、釣りをする人、熊祭りをするアイヌの人々、ウィークエンドに山間に入り、猟犬と共に獲物を追いかけるレジャー派の人々など。クジラを取る会社に勤めていた友人もいるし、農閑期に野バトを追いかけて、いつもおいしい鳥肉を届けてくれた親戚のじいちゃんもいた。

 しかし、私にはどうもついていけない。生家の敷地内には100坪ほどの池が二つあって、近所の子供達の釣り堀になっていたのに、私と言えば、どうも釣りが苦手だった。ミミズやゴカイという餌が嫌いだったせいもあるが、どうも生ものを追いかける気力がない。

 別にベジタリアンではないが、過剰に生物を追いかける生活を素晴らしいとは思わない。クジラを取る会社に勤めていた友人も、鯨肉解体作業をしていたが、家族からは「テッポウさんにはなるな」と言われていたらしい。

 モリを打ち込む「テッポウさん」は、他の人たちより倍の収入を得るという。しかし、友人が言うには、テッポウさんたちの生活は決して理想的ではないという。なにかかにかの障害があるらしい。べつに因果応報を考えるわけではないが、好んで生物を殺し続ける立場には、私ならなりたくない。

 むしろ、私の狩猟欲は、素敵な女性を追いかけたり、営業職で、有力な顧客をターゲットとしてマーケティングし続けるところで、満足しているのではないだろうか。ライフル銃を持って原野を走り回らなくても、別に私は、他の人々に対して攻撃的になっているとは思わない。

 田園生活をしている人で、犬を飼っていない人はいるのだろうか。私にとって犬は仲間でありパートナーと思っている。p216「犬の飼い方」

 子供時代は、犬のいない生活は考えられなかった。猫もいた。牛も、ニワトリも、ブタも、馬も、ヤギもいた。成長して生家を離れ、町で暮らし始めてから、子どもたちのためにと、柴犬を13年ほど飼った。だけど、数年前に老衰で死んでからは、次の犬を求めようとは思っていない。

 散歩が一緒にできるとか、癒されるとか、いろいろあるらしいが、私は私一人で散歩したほうが楽だ。癒しの相手を動物に求めようという嗜好性も薄い。山の椒エコビレッジという具体的な「場」を与えられ、なるほど、犬がいるとサマになるな、とは思う。だけど、その時は、義弟のところからでも、元気のいい雑種犬を借りてこようと思う。今のところはそれで十分だ。

 その他、この本は確かに「辛口」ではあるが、タメになることがたくさん書いてある。一読に値する。経験者は語るである。しかし、通常のヒューマンサイズなら、ここまで突出しなくても、十分人間らしく生きていける。この本は決して「田園生活の教科書」ではない。そういう意味では逸脱している。

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図解 田舎暮らし 目からウロコのさんぶん図解

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「図解 田舎暮らし」 目からウロコのさんぶん図解
田園生活推進斑・編 2005/06 第三文明社 単行本 96p
Vol.3 No.0277 ★★★★☆

 ハハハ、ここまでサバけていれば、実にリラックスして話しができる。そもそも、エコビレッジとかパーマカルチャーなんていうより、日本は古来(爆)からの「田舎暮らし」という、立派なネーミングがあ~るじゃないか。これでいいじゃん。

 ところがである。ネーミングの馴染みよさに反して、実際に「田舎暮らし」に成功している人は少ない。また、田舎暮らしという言葉のイメージから湧いてくるポジティブなエネルギーを、心から謳歌している人も実は、それほど多くないのだ。いや、絶対的小数だ。

 ペンションだけは絶対に鬼門 素人が手を出していけない、あの商売 p26

 たしかになぁ。気持ちのいいペンションには泊まったことは何度かあるけれど、見ているほど楽な商売ではない。

 妻を説得する 妻に田舎移住を同意してもらうコツと禁句 p28

 この辺は是非伝授していただきたい。切実な問題だ。「いいぞ、田舎はぁ」という価値観の押し付けは禁句。コツは「もっと広いキッチンが欲しくないか?」と誘うことだとか。わが家の奥さんは、そもそも田舎育ちだから、寒い家は苦手と来ているし、今のキッチンで十分だ、と来た。なかなか難儀な問題ではある。

 自動車選び 軽トラでカントリーロードをGO! GO! p56

 同じく田舎育ちの吾輩も、中学生時代から、敷地内を軽トラで走り回っていたほうだから、いまさらなぁ、軽トラもなぁ、と思う。便利さは分かるがね。

 田舎の服装術 オシャレは足元から。ただし長靴 p76

 これは確かにそう思う。先日、園芸店に行って、山菜スパイクという長靴を買った。きりっと長くて、上が閉じている。カラーもカラフル。底には、山地ですべらないように、堅い樹脂製のスパイクが長く何本もついている。これは活躍しそうだな。

 田舎暮らしで必要&欲しくなる道具カタログ p60

 こちらも大事です。大体のものは揃っているのだが、最近買ったのは、両刃のナタ。片刃なら結構あるのだが、近くのホームセンターや園芸店には、そもそもナタの種類がそろっていない。普段からあちこち覗いておく必要があるな。

 むしむし天国 虫とのゲリラ戦に勝利する p80

 これもまぁ、覚悟はしているのだが、どこまで耐えることができるか。まずは、慣れることが大切だろう。かゆくて眠れないのはいやだなぁ。虫の音で眠れないのもいやだぞ。

 新参者の心得 田舎社会は行事がいっぱい! p86

 山の椒エコビレッジは、人里離れた山林なので、農村に入っていくわけじゃぁない。おかげで、当地の行事参加からは逃れることができそうだが、NPOとしてのエコビレッジを目ざすわけだから、いろんな人が来るだろうなぁ。「森の生活」のソローのように、田舎一人暮らしをするわけではないので、人間関係はつきもの。今から恐ろしがっていては、なにもできない。

 見た目ほど楽ではない ログハウスは「手間を楽しむ家」と心得よう p44

 ログ材はごろごろ転がっているが、実際にログハウスを作るのは、熟慮を要する。イメージ作りで、多少のモニュメントは必要であろうが、ログハウスにこだわりすぎるのもどうかと思う。

 本当に必要な設備 金食い虫のウッドデッキより物置、物置だ! p50

 これは同意。すこしづつ道具がそろえば、すぐにでも現地に物置が必要になるのだ。それに、物置なら、住まいほど面倒なく作れるはずだ。まずはここから取り組まなくてはならないだろうな。

 この本、サバけていてなかなか面白い。サバけ過ぎて、ここから先に行けなくなる人が多数であろう。かく言う私とて、多数派の一員である。まぁ、それでもこれでも、今回はすこしは前に行くかもなぁ・・・・。 

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2011/03/03

パーマカルチャーしよう! <1> 愉しく心地よい暮らしのつくり方

【送料無料】パーマカルチャーしよう!
「パーマカルチャーしよう!」 <1>愉しく心地よい暮らしのつくり方
安曇野パーマカルチャー塾/糸長浩司 2006/09 自然食通信社 単行本 147p
Vol.3 No.0276 ★★★★★

 パーマカルチャーは、ひとつの重要なキーワードになりつつある、ということは分かった。そして、その本質的な部分は、必ずしも、特別なことでもない、ということもわかった。

 パーマカルチャー。どこか新鮮な響きを持つこの言葉は、パーマネント(持続的・永久の)、アグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)を合わせた言葉です。1970年代、タスマニア大学で教鞭をとっていたビル・モリソンとデビッド・ホルムグレンによって体系化された実践的な学問で、発祥の地オーストラリアでは学校教育にも取り入れられています。生態系が持つ生産力を最大限に活用し、多種多様な要素を有効に配置すること。生態系を成す一因として(持続可能な)環境を自らつくり出していくことが重視されています。p3

 関係書を読み進めていくと、このフレーズは何回となく出て来る。なかなか魅力的な食いつきであり、どこか新鮮で、どこか魅惑的でもある。しかしながら、よくよく考えてみれば、この本に展開されているような「実践」とは、つまりは昭和30年代あたりまでは、ごく普通に身の回りで行われていた生活スタイルのことなのではないだろうか、と思う。

 農業があるが、決してモノカルチャーではなかった。コメ作りは確かに中心ではあったが、菜の花畑があり、麦畑があり、レンコンを作っているところもあれば、ヨシが茂る湿地帯もあった。屋敷林があり、曲がりくねった砂利道が、どこまでも続いていた。

 意識的に、あの時代まで遡ってみようという取り組みはそれなりに面白いが、時間軸は決して過去には遡らない。車を使い、電話で話し、インターネットで世界とつながる、というライフスタイルは、もはや人間生活には欠かせないものになっている。

 この本、たくさんのカラー写真が続いて、実に美しく、分かりやすく、やさしい本だ。そして、この本のなかには、イサカも紹介されており、地域通貨イサカアワーについて紹介されているように、経済についての取り組みも多く書かれている。

 日本のネットワークもたくさん紹介されており、なんだ、こんなにいっぱいあるなら、もう「できあがっている」ところに参加したほうが、早いんじゃぁないか、なんて思ってしまう。いやいや、これからだ、自分は自分でやろう、とは思うが、ここで敢えて「パーマカルチャー」を錦の御旗として、唯一のシンボルにするのは、すこし面映ゆいなぁ、と思う。

 そして、まぁ、あえていうなら、いわゆるゲイリー・スナイダーでいうところの「野性」がすこし欠けている。そして、スナイダーで言うならZENという言葉に込められている「スピリチュアリティ」への手掛かりが、すこし薄まっている感じがする。

 多くの人の共感を得ようとすれば、広く浅くになってしまうし、深い世界へと進み過ぎると、暗く、狭い道へと歩んでしまうこともあり得る。妙に明るく作られているこの本、自然食通信社の本だからなのだろうか。

 山の椒エコビレッジ、という具体的「場」を与えられた現在、さまざまな情報は、取捨選択され、よりリアリティのあるものから次第に像として結実していくことだろう。どれほど魅惑的なものと思えても、薄っぺらな流れになってしまっては、ついには根なし草としていつかは流れて消えてしまう運命だ。ここはじっくり、ゆっくり腰を据えていこう。

 この本もまた、繰り返し再読を重ねていくことによって、持っている意味が違ってくるだろう。

<2>につづく

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2011/03/02

「野性の実践」 ゲーリー スナイダー <1>

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「野性の実践」 シリーズ・ナチュラリストの本棚 <1>
ゲーリー スナイダー (著) Gary Snyder (原著), 重松 宗育 (翻訳), 原 成吉 (翻訳) 1994/08 東京書籍 単行本: 270p
Vol.3 No.0275 

 この本は、ゲーリー・スナイダーの日記なのだろうか、歴史書なのだろうか、旅行記やエコロジーの教科書なのだろうか。はたまた、ZENの解説書、なのであろうか。多分それらすべての総合であり、またそれ以上のものであろう。20世紀のアメリカに現れた大きな知性、スピリチュアルな存在、地球に投げかける、大いなる愛のメッセージ。そして実践の数々。

 この本、英語で1990年に出版され、その後、この東京書籍からナチュラリストの本棚の一冊として出た後、2000年に山と渓谷社から新版がでたようだ。新版のほうはスナイダーの写真が表紙になっているだけに、やたらとイメージが強烈過ぎる。図書館にも両方入っていたが、先日途中まで読みかけたものが新版で、今回は旧版を手にしたわけだが、私には、むしろこちらのほうがライトな感覚で楽だった。

 場所の中心は家であり、家の中心は炉や炉辺である。炉辺は、子供時代のおっかなびっくりの探究が始まる場所であり、老人になって戻ってくる場所でもある。p41「『場所』に生きる」

 ふと気付いてみると、この本のタイトルは、「野性の実践」となっている。日本語表記には、野性と野「生」があるようだ。英語タイトルは「The Practice of the Wild」。特段に野性と野生の使い分けがされているようではないが、原野に生きる、という意味よりは、人間自らの、内なる「野」性にこそ、未来を切り開く永続可能な命がある、と彼は強調するのだ。

 「自然を愛する」とか「ガイア(大地の女神)との調和」を望むだけでは不十分だ。我々と自然界の関係は、ある具体的な「場所」から始まる。だからその関係は情報と経験に基づいたものではなくてはならない。例えば、「真の人間」は、その土地の植物に慣れ親しみ精通している。

 これは、かつてヨーロッパ、アジア、アフリカの誰もが知っていて当たり前の知識であった。現代のアメリカ人の多くは、「植物を知らない」という事実にすら気づいていないのが現状だ。そのkとが疎外の尺度になる。植物相について多少の知識があればこんな会話を楽しむことができる。
 「アラスカとメキシコが出会うのはどこだい」
 p58

 具体的な「場所」として、56才と7ヵ月の私は「山の椒エコビレッジ」に立った。初めていく土地でもあったし、他人に連れられて偶然のように行った土地であってみれば、そこの植物相などについては、ほとんど何も知らない。そこを通り過ぎるのか、そこが終いの住処にさえなる可能性があるのかさえ、気づいていない。

 だが、その土地は、私の中の「野性」をプロボークする。私の中の「場所」が息を吹き返した。

 これからの地域適正型コミュニティを維持するには、雑多な作付けによる永続的な家庭菜園型農業がきわめて有効であるという。このことは、「野性」が土地の生産力の源であることを改めて教えてくれる。これまでにも「その土地が良いのは、そこに野性が生きているからだ」と言われてきた。p126「良き土地、野性の土地、神聖な土地」

 パーマカルチャーを実践するエコビレッジをつくろう。NPOを作って、みんなで関わろう。「先進的」で「批判的」なムーブメントを起こそう、というのが、現在の私がいるワイルド・フィールドである。

 野性の中での生活とは、ただ、日向でイチゴを食べることではない。私は、「ディープ・エコロジー」を想う。それは、自然界の潜在的側面---動物の糞の中にある砕かれた骨のかたまり、雪の中にある鳥の羽、満たされることのない食欲の話など---に行きつく。野性の生態系は、ある深い意味で批評を超えたものだ。しかし同時に、非合理的で、かび臭く、荒々しく、寄生的でもある。p152「青山は常に歩く」

 人々とともに、なにかをしよう、行動しようとすれば、合意も必要になるし、言葉として表現される必要もある。しかしながら、自らの内から突きあげてくる「野性」は、本当は言葉やひとつふたつの行動では表現しきれるものではないのだ。

 私は、敬意をもってこうした老木を見上げる。彼らは、中国の名声不朽の人々にそっくりだ。寒山、拾得みたいな人物で、それだけ長く生きたからには、奇人であることも許されるのだ。林間の詩人であり、画家であり、笑いこけ、ぼろぼろの服をまとい、恐れ知らずの存在なのだ。老木を見ていると、私は、老年を待ちわびるような気になる。p190「極西の原生林」

 今、手元に自由になる100万円があったら、欲しい物は二つある。一つは、近くのお寺に墓地を求めること。終いの住処は墓地であろう。決して無縁仏になることを厭いはしないが、子や孫に恵まれた今生であってみれば、彼ら子孫が自らのルーツを求めた時、ひとつの助けにはなろう。私の墓標は私のためではなく、彼らのためにある。

 もうひとつ、欲しいものがあるとすれば、オンボロの中古キャンピングカーと、それを引っ張る金具のキットだ。わが家のベーシック・ハイブリッド車にそれをつないで、林間へと移動するだろう。そこはしばしのわが住まいとなる。リュックにナタ一本を偲ばせて山にはいり、洞窟を探したり、木々を倒して一人分の住まいを作るには、私の中から遠く「野性」は失われてしまっている。

 道元は「正法眼蔵」で言う、「自我を探求するのは、自我を忘れるためである」と。「自我を忘れたとき、万物と一体となるのだ」と。ここでいう「万物」とは、現象世界のすべての存在のkとである。心が開かれたとき、我々の中に「万法」が満ちてくるのだ。p205「道を離れて道を行く」

 当ブログにおけるこのカテゴリは「メタコンシャス 意識を意識する」というネーミングだった。スタート地点においては、科学や芸術を離れ、いよいよ意識の意識たる部分へと突き進むはずだった。

 しかるにどうであろうか、私は、意識の意識たる部分へ突き進んでいけばいくほど、エコビレッジという具体的な場を与えられ、大いなるガイアへと繋がり、さらなる「万法」と導かれようとしているかのようである。 

<2>につづく

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2011/03/01

「パーマカルチャー菜園入門」 自然のしくみをいかす家庭菜園 設楽清和<1>

【送料無料】パーマカルチャー菜園入門
「パーマカルチャー菜園入門」 自然のしくみをいかす家庭菜園<1>
設楽清和 2010/08 家の光協会 単行本 159p
Vol.3 No.0274 ★★★★★

 パーマカルチャーなんてハイカラな言葉で言われるとよそよそしいが、どこかで知っていたような内容である。それでもやっぱり、こうして整理されると、なるほど、とあらためて思うことが多い。

3つの心構え

1)地球に対する配慮
 微生物、植物、動物といった生物、そして、土、水、空気といった生命を支えるすべてに対して心を配ります。そして、より豊かで持続可能な地球を築いていくために行動します。

2)人間に対する配慮
 人間が地球に与えるインパクトの大きさを自覚し、環境を保全しながら人間の基本的要求を満たします。

3)余剰物の共有
 自らの基本的要求を満たしたら、次は他者が同じ目的を達成できるように余り物や情報を差し延べます。
p016

 ポイントを押さえてもらうと、偏りをチェックすることもできるし、忘れていたことを補完することもできる。

10のキーワード

1)多様性 多様な植物が助け合うギルドをつくる

2)エッジ効果 資源が集まるエッジを増やし生産性を高める

3)多機能性 1つの要素が3つ以上の機能を果たす

4)重要機能のバックアップ 重要な機能は複数の方法で確保

5)小規模集約システム 時間と空間を余すところなく使いきる

6)効率的なエネルギープランニング 動植物や建物などを適切なエリアに配置

7)生物資源の活用 生物資源を用いて省エネ&作業軽減

8)つながりのよい配置 各々の要素が関係し合いながら働くために

9)エネルギー循環 エネルギーを蓄え、循環させる

10)自然遷移の加速 生態系の成長の流れを速めて安定した収穫を p016

 なるほどなるほど。実際に、自分の中にイメージが湧いてくる。

菜園デザインの基本 

0エリア 活動の中心となる家。保存庫や、道具小屋など。

第1エリア 家の周り。最もよく管理されて使われるエリア。物干し場、スパイラル菜園をはじめとする家庭菜園、苗床、温室、薪などの燃料置き場、コンポストなど。

第2エリア 世話が必要な動植物のエリア。果樹園、風よけの木、生け垣、つる棚、家畜小屋(ニワトリ、ウサギ他)など。

第3エリア 剪定やマルチのいらない果樹、肉用家畜(ウシ、ブタ他)、主作物の畑、風よけの木。

第4エリア ほとんど管理の必要のない半野生のエリア。牧場、木の実、木材及び燃料用の樹木。

第5エリア 自然のまま野生のエリア。基本的人間の生活エリア(0~第1エリア)から最も離れたところに設定するのが合理的ですが、野生動物が移動するコリドール(回廊)として、あるいは風などを避けるために生活エリアに一部設けることもあります。p028

 もちろん、これらの概念は暫定的なもので、実際にはその土地や関わる人々によって、大きく変わってくる。

 そうそう、この本にはミツバチについても記されている。山の椒エコビレッジではすでにミツバチの活用が始まっている。

 ミツバチの利用

 一般的にはハードルが高いと思われがちなミツバチの飼育も、小さな庭があれば可能です。ミツバチは、果物の受粉の媒介をし、ハチミツは食用に、巣から採れるミツロウはキャンドルや天然ワックスの材料になります。
 ミツバチは、「多機能性」をもつコンパニオンアニマルの一種であり、「生物資源の活用」につながります。
p100

 この本、他に、「身近にある野草を様々に活用する、魔女講座」とか、「し尿を堆肥に変える、コンポストトイレ」とか、「自分野菜をつくる、種採り」など、ひとつひとつが興味深い記事で埋まっている。山の椒エコビレッジ・メンバー必読の書か。

<2>につづく

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