里山ビジネス 玉村豊男
「里山ビジネス」
玉村豊男 2008/06 集英社 新書 185p
Vol.3 No.0279 ★★★★☆
そもそも「山の椒エコビレッジ」の立ち上げに加わろうと思ったのは、1月に街中であった、友人の誕生日を兼ねた、手作りワインの試飲会がきっかけだった。いままで複数の別々の友人だったと思っていた人々が、実は裏で、手作りワイン・ネットワークでつながっていたのだ。
この十年来の私はひたすら焼酎文化なので、ことさらワインを好む人種ではないし、最近は酒量も減って、かかりつけの医師からは血圧や体調を理由に節酒を進められている身となれば、まぁ、あえてこれからワイン・ネットワークに果敢に挑戦、というわけにはいかない。
玉村豊男という人、テレビでみたことがあるが、マスコミ人が山中にワイナリーをつくって、あるいは取材して、どうすんだろう、なんて勝手に思ってしまったが、実体は逆だったようだ。つまり、かなり無謀な計画によるワイナリーが成功したがゆえに、マスコミにも登場するようになり、こんな本が出版されるようになったのだ。
私も自分で起業するための参考にしようと、国内の小さなインディーズワイナリーをいくつも訪ね歩きましたが、どのオーナーも、個性の強い、異常な情熱に満ちた、こういってはなんだが奇人変人ばかり・・・・・でした。ワイナリーの起業はどう見ても個人の手には余る大事業なので、奇人変人でなければ立ち向かえないでしょう。私がそういうと、彼らは異口同音に、玉村さんも相当な変人ですよ、というのでした。p63「ワイナリーを起業する」
「個性の強い、異常な情熱に満ちた、奇人変人たち」。なんだかそう言われて、周囲を見まわすと、たしかになぁ~、この概念にあてはまる人々がいるんだわ、自分のまわりに。しかもキーパーソンとなる人こそ、ズバリこのタイプだったりする。
いままでだったら、やんわりと迂回してきた遭遇だったのだが、「メタコンシャス 意識を意識する」カテゴリにはいったとたんに、この手の「逃げ」をしなくなってしまったのだった。だからこそ生まれてきた今回の「場」であっただろうし、結局は、もともとはいずれはこの地へと向かうプロセスであったのだ、と、やや諦め加減になる。
いやいや、周囲ばかりではなく、Bhavesh、キミも相当な☆☆☆ですよ、といわれそうだが、う~ん、なるほど、そうかもしれない。いままで締めてきたタガがどこかで外れて、一枚一枚の板がはじけ飛び始まっているのかもな。
私は海外旅行をする人に、名所旧所もいいけれど、泊ってホテルの半径500メートル以内をまず歩いたらどうですか、と勧めます。
自分がその町で暮らすつもりで、あ、ここに美容院がある、あそこにスーパーがある。買い物を済ませたら角のカフェでコーヒーを飲んで、隣の花屋さんで花を買って帰ろうか・・・・・そこで生活するシーンを想像することほど、誰にでもできる街の楽しみかたはありません。p110「里山のビジネスモデル」
私はワイナリーを創ろうと思っているわけでもなく、本当は、家庭菜園をしようと思っているわけでもない。何を一番やりたいのか、といわれれば、それはエコビレッジをやりたいのだ、ということになろう。いや、むしろ、語感としてはコミューンだろう。ただ手垢のついた古いラベルにこだわり続けるつもりはないし、新しい概念に新しい息吹を吹き込むことも楽しそうなことだ。
つまり、13ha(4万坪)という限られたスペースに、もし人々が集って生活するなら、どんなモデルが出来上がるのだろう、という想像が楽しいのだ。私は30年ほど前に、今の駅裏の小さな新興団地に引っ越してきて、アパート住まいから中古一軒家に移り、子どもたちの成長で必要に迫られて小さなマイホームをこしらえた。その過程で、この街のでき方も眺めてきた。
一番最初には、道ができる。以前からあった農家がだんだん縮小していき、集合住宅ができる。そこにまず雑貨屋とか地元の小さなスーパーができる。そして、あちこちの個人住宅の一角に床屋さんができるのだ。床屋さんは一番起業しやすい地域ビジネスだと、私には思える。
その次はもちろん美容院もできるし、歯医者ができる。もともとあった地域の工務店も活況を示し始める。診療所ができ、幼稚園ができ、学校ができる。そのころには、さまざまな全国チェーンの飲食店ができ始める。最近はコンビニがあっちこっちにモグラ叩きのように現れては消えていくが、こうなるころには、街も爛熟期に入っていると言える。
最近は、幼稚園がひとつ消え、葬祭センターがひとつできた。意欲的なホームセンターがカルチャーセンターを併設したが、数年してそこを縮小し、スポーツジムになった。わずか30年だが、されど30年だ。街のでき方、街の成熟、街の衰退が、目に見える。
たとえば、周囲の自然と折り合いをつけながらつつましく営む、日本人の生活の原点ともいえる里山の暮らし。そのひとつの現代的なかたちを、生きたミュージアムとして示すこと。p111「里山のビジネスモデル」
エコビレッジには、不動産会社が乱開発した通勤型のベッドタウンじゃぁない、人間が生活するモデルがあるはずである。
里山における暮らしの場合は、森との境界線を探り、相手のテリトリーを侵さないように注意しつつ自分のテリトリーを守るために畑の最前線を耕す、という毎日の労働そのものが、生活の質を高めながらも生活を拡大しないで持続する方法を、具体的に教えてくれています。きっと、里山苦足の知恵に学べば、それほどの覚悟も諦観も必要としない、なにかうまい方法が見つかるに違いありません。p146「拡大しないで持続する」
里山であったり、田園であったり、野性であったり、エコビレッジであったりするが、いずれ、拡大し、成長し、増殖しない生命力なんてない。そしてまた、縮小し、衰退し、生滅しない生命もない、ことも事実なのだ。
高度成長期を経て、爛熟したバブル期を経た日本経済は、すでに20年の長きに渡って衰退しつづけている。衰退し続けているからこそ、「持続」という言葉が新鮮に思えるのだが、実際は衰退の中にあって「持続」するのは、「拡大」しているのと同じことだ。
衰退は衰退として直視する以外にない。それが命であるかぎり、やがて消滅し、死滅するだろう。しかし、その死滅のなかから、再生があることもまた知らなくてはならない。持続、持続、と流行語を乱発しても、本当のことにはならない。
里山ビジネスの究極の目標は、小さな農業をやりながら、小さな観光の対象として、小さな独立王国をつくることです。
そこで働く全員がフリーランスとして独立できるような技量をもつ、マルチな職人集団として、たがいに連帯することで成立するひとつの世界・・・・・。p177「グローバル化は怖くない」
一冊の文庫本、マスコミに登場する有名人の成功モデル、それだけの結語としてなら、これでもいいだろう。しかし、具体例としての個々人の境遇はさまざまだ。この中に、子どもが成長するスペースはあるだろうか。老いたる要介護の高齢者たちはどう組み込まれるだろう。街で破綻した家のない人々。現場に復帰できない、長患いの人々。想いを深く、広くしていけば、結局は結論、結語なんてない、ということに気づかざるを得ない。
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