狭い道―子供達に与える詩 <2> 山尾三省
「狭い道」―子供達に与える詩 <2>
山尾 三省 (著) 1982/06野草社 単行本 278p
1) 山尾三省関連リスト
1975 『約束の窓』(詩画集/高橋正明・画)
1978 『やさしいかくめい1リアリティ』(ムック/草思社)
1981 『聖老人』(めるくまーる社)
1982 『狭い道 - 子供達に与える詩』(野草社)
1982 『ラームプラサード--母神(カーリー)賛歌』(共訳/屋久の子文庫)
1982 『ラマナ・マハリシの教え 私は誰か』 (山尾三省・翻訳/めるくまーる)
1983 『野の道 - 宮沢賢治随想』(野草社)
1984 『ジョーがくれた石』(地勇社)
1985 『縄文杉の木陰にて』(新宿書房)
1986 『ガイアと里―地球と人間のゆくえ』(プラブッタと対談/地湧社)
1987 『びろう葉帽子の下で』(野草社)
1988 『自己への旅』(聖文社)
1990 『回帰する月々の記』(新宿書房)
1990 『アイ・アム・ヒッピー』(山田塊也 /第三書館)
1991 『新月』(くだかけ社)
1991 『島の日々』(野草社)
1991 『桃の道』(六興出版)
1992 『コヨーテ老人とともに : アメリカインディアンの旅物語』(ジェイム・デ・アングロ/ 山尾三省・翻訳)
1994 『縄文杉の木蔭にて』―屋久島通信 「増補新版」(新宿書房)
1995 『屋久島のウパニシャッド』(筑摩書房)
1995 『ぼくらの智慧の果てるまで』(宮内勝典との対談集/筑摩書房)
1995 『森の家から』(草光舎)
1995 『水が流れている』(NTT出版)
1996 『深いことばの山河』(日本教文社)
1996 『三光鳥』(くだかけ社)
1997 『一切経山』(溪声社)
1998 『法華経の森を歩く』(水書房)
1998 『聖なる地球のつどいかな』 (ゲイリー・スナイダーとの対談集/山と渓谷社)
1999 『ここで暮らす楽しみ』(山と渓谷社)
2000 『「屋久島の森」のメッセージ ゆっくりと人生を愉しむ7つの鍵 』(大和出版)
2000 『アニミズムという希望―講演録・琉球大学の五日間』(野草社)
2000 『カミを詠んだ一茶の俳句』(地湧社)
2000 『親和力』(くだかけ社)
2001 『日月燈明如来の贈りもの ― 仏教再生のために』(水書坊)
2001 『森羅万象の中へ その断片の自覚として』(山と渓谷社)
2001 『瑠璃の森に棲む鳥について』(立松和平と共著/文芸社)
2001 『水晶の森に立つ樹について』(立松和平と共著/文芸社)
2001 『リグ・ヴェーダの智慧』(野草社)
2002 『南の光のなかで』 (野草社)
2002 『祈り』(山尾三省詩集/野草社)
2003 『原郷への道』(野草社)
2005 『観音経の森を歩く』(野草社)
2007 『静寂の瞬間(とき)―ラマナ・マハルシとともに』(バーラティ ミルチャンダニ (編集), 共訳/ナチュラルスピリット)
2008 『春夏秋冬いのちを語る』(堂園晴彦との対談/南方新社)
2009 『銀河系の断片』(堀越哲朗編/幻戯書房)
2009 『山の時間海の時間』(山尾春美と共著/無明舎)
2012『インド巡礼日記』(三省ライブラリー1/野草社)
2012『ネパール巡礼日記』(三省ライブラリー2/野草社)
2)三省には、順子さんとの間に、太郎、次郎、良磨(ラーマ)、道人がおり、ナシとビーナの子、踊我(ヨガ)と裸我(ラーガ)、そして春美さんとの間に、海彦、すみれ、閑(かん)、という子供たちがいたことが、少しづつ分かってきた。
3)僕達は、自分の足でこの道を歩くことによって、この道を楽しく平和に歩くことによって、狭い道として歩くのみならず、ひとつの道として歩かなければならないと思っている。p277「あとがき」
4)この前、道をすこし広げた。もともと狭い道ではあるが、人が歩くには十分な広さがあった。だが、そこに車を入れたかった。県道から250m程は立派に開かれているが、そこからの750m程は、道の両側から小枝が伸びていて、車にキズをつけないでは入れない。
5)作業そのものはなかなか楽しいものである。やればやったなりのことがある。ナタを使い、刈り払い機を使った。でもチェーンソーまでは揃えることをしなかった。
6)僕ひとりが山の中でチェンソウを使わずに頑張ったところで、世界の大勢に何の変化もないことをつくずく知らされるが、逆に言えば僕ひとりからしか世界が始まらないこともまた、明らかなことである。p146「木を伐ること」
7)私もやっぱり、あの山の中で、数キロ四方にわたって2サイクルエンジン音を響きわたらせて、効率を図ることは、好みではない。
8)場は自然であり、自然環境であると共に、意識としての場でもある。p137「場について」
9)三省が言う「場」は、スナイダーがいうところの「場所=プレイス」と繋がるようでもあり、似て非なるものでもあるような気がする。
10)マーケット・プレイスもまた「プレイス」なのである。そこんとこ、痛烈に感じ始めた今日だった。
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コメント
三省はいいね。私たち同世代の表現者であり、挑発者であり、活動家であり、瞑想家であり、記録者であった。悲の道のひと。多くの人を道連れにした。
投稿: Bhavesh | 2018/08/21 16:03
渡邊踊我さん
ご指摘ありがとうございます。さっそく訂正しておきました。
渡邊踊我さんは、この中にでてくる踊我さんご本人とお察ししました。
どうぞお幸せでありますように。
投稿: Bhavesh | 2015/03/11 19:14
2)三省には、順子さんとの間に、太郎、次郎、良磨(ラーマ)、道人がおり、ナシとビーナの子、踊我(ヨガ)と裸我(ラーガ)、そして春美さんとの間に、海彦、閑(かい)、すみれ、という子供たちがいたことが、少しづつ分かってきた。
閑の読みは「かん」であり、海彦、閑、すみれの三人を年齢順に並べるなら海彦、すみれ、閑の順です。
ご参考まで。
投稿: 渡邊踊我 | 2015/03/11 17:29