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2011/06/17

人の子イエス カリール・ジブラーン <1>

人の子イエス
「人の子イエス」 <1>
カリール・ジブラーン (著), 小森 健太朗 (翻訳) 2011/5 単行本 320p
Vol.3 No.0307 ★★★★★

1)当ブログは、年に2回、夏至(6月21日頃) と冬至(12月22日頃)を境に二期に分け、その期間に読んだ新刊本のベスト10を発表している。

2)その事に気がついて、最近になってチェックしてみたら、この半期に読んだ新刊本(10 /12~11/06に刊行された本)は実に15冊ほどしかなかった。少し、期間を以前まで膨らませても、せいぜい5冊増える程度である。

3)それには理由があった。3月11日に、にわかに東日本大震災が起こり、読書どころではなくなったのだ。まず、余震の凄さに、落ち着いて本など読んでいられない。僅かにつながったメディアやネットを通じて情報を収集し、自らの身の振り方を考えるのが精いっぱいだった。

4)自宅の書庫も見事に倒壊し、散乱した書棚をいつまでもそのままにしておくこともできずに、少しづつ片づけた。ようやく整理したかな、と思った時、4月7日の大きな余震でまた崩れた。もう、諦めて、ただただ棚に押し込んである本も沢山ある。

5)図書館ネットワークも完全に壊滅した。私の気ままな読書ライフを、潤沢に支えてくれていた地域図書館は、全て閉鎖に追い込まれた。いまだに完全復旧していない。その中でも、ようやく、この数週間、外からリクエストして、取り寄せてくれた本を、窓口で受け取るシステムが復活した。

6)地域の書店も全滅した。いまだに復旧していないばかりか、廃店に追い込まれてしまった書店もある。ふだんはあまり意識していなかったが、いかに書店に依存したライフスタイルであったか、しみじみと我が身を振り返ったのだった。

7)そんなわけで、3月11日以降、2カ月半あまりに渡って、我読書ブログも停滞せざるを得なかった。

8)しかしながら、いつかは終わってしまう筈のブログであり、読書の次のテーマを求めていた自分としては、こういう形で読書やブログが終わってしまうのもいいのではないか、と思っていた。

9)だが、そうもならない。読書には読書の必然性があり、ブログにはブログの必然性があったのである。読書の次のテーマに「森の生活」を置いたとして、結局、私は森の生活で、またもや「読書」をはじめてしまったのである。

10)ブログの次は、スマートフォンでツイッターだ、とばかり、新しいものに飛びついていた時だっただけに、震災後の近況を告知するのにはツイッターは役に立った。しかし、その140行という制約と、リアルタイム性が、良くも悪くも足かせとなった。

11)次第に余震も落ち着いてみれば、SNSもツイッターも悪いものではないが、一番落ち着いて書けるのは自分の今までのブログであることを再認識した。だから、結局、読書ブログとして、新たなるカテゴリを立て、また少しづつ本をよみ、ブログにメモを残す日々となってきた。このほんの数週間のことであるが。

12)そんな中、ようやく、待望の「新刊」と言えるものを読む機会が来た。カリール・ジブラーン。その代表作とされる「預言者」の邦訳は、当ブログがこれまで読んだだけでも10冊以上になる。翻訳は、小森健太朗Oshoも多くジブラーンについて語っている。当ブログとしては、従来の方向性の延長線上にある一冊にようやくもどり着いた、と言える。

13)そんな思いで、いきなり飛び付いたこの本であるが、3分の1ほど読んで、ふと、本を閉じた。まてまて、慌てるな。この本、とても読みやすい。以前から翻訳者からの情報もあり、期待どうりのできである。一気にこのまま読み切ってしまいたい。

14)だが、その気持ちの裏には、なんとか、今年の「上半期の新刊本ベスト10」にアップしたい、という気持ちが強くあることが、自分でも異常なことに思われてきた。ベスト10入りすることは間違いないだろう。しかし、読書の動機としては、すこし邪道すぎる。

15)ニコス・カザンザキス「キリスト最後のこころみ」や、荒井献「トマスによる福音書」、Osho「愛の錬金術」などとともに、当ブログなりに、このカリール・ジブラン「人の子イエス」を読んでみたいのである。

16)場合によっては、山浦玄嗣「『人の子、イエス』―ケセン語訳聖書から見えてきたもの 続々・ふるさとのイエス」とも関連しながら読み進めたいのである。山浦は、今回の東日本大震災で大被害を受けた宮城県気仙沼市において医業を開業している医師であるが、カトリックに籍を置く作家でもある。

17)その年の春のある日、イエスはエルサレムの市場に立って、大勢の群衆に向かって天の王国を説いた。
 またイエスは、天の王国を希求する者たちに罠を張り巡らし、陥穽に落とそうとする律法学者たちとパリサイ人たちを避難した。イエスは彼らを否定した。
 律法学者やパリサイ人を用語する者たちが群衆の中に大勢いて、イエスとその説教に耳を傾けていた私たちをも捕え拘束しようとした。
 しかしイエスは彼らの追求をかわしてそこから離れ、エルサレム市の北門の方へ歩んで行った。
 イエスは私たちに語った。「わが時いまだ来らず。いまだ語られざることどもわが裡に数多あれど、我天に召さるるより以前に為さるるべき数多の行為有り」 
p1

つづく  

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