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2011/06/18

季刊 DEAD 1972年 吉祥寺

Dead2
季刊 「DEAD 」
名前のない新聞 浜田光 1973年早春 ガリ版ミニコミ誌
Vol.3 No.0309 ★★★★★

1)山尾三省を追っかけようとすれば、私の場合は、まず、この「DEAD」に降りてこなければならない。残念ながら、現在手元には2号しかないが、1972年秋に「創刊号」が出版され、そこに三省の「部族宣言」が収録されていた(はず)。

2)72年夏、当時私は18歳、ヒッチハイクで日本一周していた。小学校からの友人が、当時、東京キッドブラザーズの東由多加らとともに、鳥取県の山中に「さくらんぼユートピア」なる共同体を建設しようとしていた。彼を訪ねて、その山に入ったのだった。

3)その時、私は初めて「名前のない新聞」を読んだ。東京から誰かが持ってきていたのだろう。ガリ版で作られたわら半紙のミニコミ紙で、強烈な印象だった。旅から帰って自分たちの共同体でミニコミを作る際、大いに影響を受けたし、さっそくあぱっちに連絡を取ったのだった。

4)その秋に、東京吉祥寺から「DEAD」誌が創刊された。おおえまさのり、末永蒼生、片桐ユズル、といった執筆陣の中に、山尾三省の名前があり、「部族宣言」が含まれていた(はず)。この短くも凛々しいマニュフェストは、「聖老人」(1981)に収蔵されている。初出は1967/12「部族」(エメラルド色のそよ風族)第1号。

5)僕らは宣言しよう。この国家社会という殻の内にぼくらは、いまひとつの、国家とはまったく異なった相を支えとした社会を形作りつつある、と。統治するあるいは統治されるいかなる個人も機関もない、いや「統治」という言葉すら何の用もなさない社会、土から生まれ土の上に何を建てるわけでもなく、ただ土と共に在り、土に帰ってゆく社会、魂の呼吸そのものである愛と自由と知恵によるひとりひとりの結びつきが支えている社会---ぼくらは部族社会と呼ぶ。聖老人」p125より

6)その後、東京のカウンターカルチャーは様々な支流から合流して「ほびっと村」ができ、その中にできた「プラサード書店」から「聖老人」は出版された。発売元はめるくまーる社。

7)この間、実に10数年が経過している。激動の60年代、70年代、そして思春期や青年期における10年という時間の幅は大きい。1975年においては「星の遊行群」という日本の当時のカウンターカルチャーの大連合(?)のもとに日本列島縦断キャラバンが行われた。その際に同名のミニコミ誌が作られることになり、当時21歳だった私の文章が障害となり、部族(当時CCC)とトラブルが起きたことがあったが、それはまた別な機会に譲ろう。

8)何はともあれ、21世紀の今日、語り部・山尾三省の名前や作品が残ったとするなら、20世紀後半の日本のカウンターカルチャーの記録が見事に保存されていたということになる。当時のことは、記憶も定かでなくなり、知る人も少なくなっているので、何れは天界のアカシックレコードに静かにしまわれてしまうだけになるかも知れないw。

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