ウォールデン 森の生活
「ウォールデン 森の生活」
ヘンリー・D. ソロー (著), 今泉 吉晴 (翻訳) 2004/04 小学館 単行本: 435p
Vol.3 No.0310 ★★★★☆
1)なぜ私は「森の生活」のことを考えるようになったのだろう。必ずしもソローのように「森の生活」をしようと思ったわけではないけれど、心のどこかでは、そういう暮らしが一つの典型として、非常に分かりやすいものだ、という意識は結構長いことあったと思う。
2)人々にとっての大学生活の期間にあたる4年間、私は仲間たちと共同生活コミューン活動をした。それは、森林公園の近くだったり、林に囲まれた禅寺の裏手だったりしたので、考えようによっては、青春時代を「森の生活」で過ごした、と言えなくもない。
3)その期間だいぶ旅もしたのだが、自らの「場所」を失うということはなかった。漂白しつつ、定点観測すべき空間を手放すことはなかった。だからスナイダーが強調するような意味においての「再定住」は、とくに大きなポイントにはならないと感じる。
4)ソローやスナイダーのように先祖がヨーロッパから移住し、先住民を押しのけるかたちで「亀の島」に侵入してきたような形では、私の先祖は移動していなかった。むしろ、「定住」を超えて「土着」とでもいえるような生活形態を、分かっているだけでも400年ほど続けてきた。
5)私は、みずからの「場所」を失った人間ではない。しかし、それを誇らしく何時まで言えるかはわからない。少なくとも私の人生はそう言えると思う。しかしながら、私の子供やそのさらに子供の時代になれば、その心境も現実も違ったものになるに違いない。
6)というのも、私の前の世代まで(つまり親の世代まで)しっかりと根付いていた地域社会は、地方都市近郊の都市化の波に飲まれて、高度成長期以降、見事に寸断され機能を破壊されてしまったからだ。破壊されなくてはならないものもあった。民主主義を成長させない封建制度に近い不平等や、偏った迷信的信仰など、必ずしも、「昔はよかったぁ」訳でもない。
7)私たちの体を生かすのにどうしても必要な条件は、体の温かさを保つこと、つまり「動物の火」を燃やし続けることに集約されます。私たちが、食物、避難場所、衣服に加えて、夜着の一種でもある寝床を整えるのもそのためでしょう。p24「モグラの足跡」
8)まずは衣食住、というところだな。
9)私は自分で事件してみて、以上の四つの”暮らしに必要な物”のほかには、以下の若干の物を除いたほとんどすべての物が必要ないことを発見しました。つまり、ナイフ、斧、犂(すき)、手押し一輪車、その他のいくつかの道具類、勉強したいならランプ、紙といくらかの文房具、図書館などの本が読める環境です。これらすべて整えても、たいした費用はかかりません。p24「モグラの足跡」
10)たしかにそう思う。森の中に設営したハウス型のテントは、1×4材で補強し、ソローの時代とは多少は違うが、ほとんど基本的なものを揃えてしまったので、もう、生きて行こうとすれば、生きていける環境は整った。
11)ただし、別荘や週末隠遁という形なら、という制限がつく。ここまではほとんど誰でもできるし、費用も最小限しかかからない。
12)私は最初、来客用トイレ、ネット環境、NPO法人、の三つをプラスの必要物と感じた。私の場合は、ひとりで森に入ろうとしたわけではなくて、人々と触れたかったから、そのツールが必要だと思えたのだ。
13)私はあなたに、今、自分で住居を建てるつもりがおありなら、私よりもいっそう慎重にゆっくり事を運ぶようお勧めします。そうすれば、私よりさらに素晴らしい収穫を手に入れるに違いありません。たとえば、家のドア、窓、地下の貯蔵庫、屋根裏部屋は、人間の本性の何と関係しているかをよく見極め、私たちが普通に言われる世俗的な理由とは別の、もっと根源的な理由なしには作りません。p60「経済(建築学)」
14)ささやかな人生だった私の生涯にも一度、自宅をつくるチャンスが訪れ、しかもそれは阪神淡路大震災の翌年だったので、それこそ耐震性には気を使った。テーマは恐れ多くも「地球」だった。おかげで、今回の東日本大震災の被災状況としては最小限にとどめることができた。
15)さて、ぼくは何を考えていたのだっけ? よくは思い出せないが、こんなふうだったろうか。今、この世はこんな角度で展開しているってなことを考えていた。そしてたった今、ぼくは天国に---つまり瞑想の世界ってことだけど---向かうべきか、はたまた釣りに行くべきか、決断しようとしていた、と。もし、ぼくが今、瞑想を終えたら、これほどの好機はまたと訪れないって感じた。なにしろ、わが生涯で初めて本質を究める寸前だった。p288「動物の隣人たち」
16)ソローは30歳前後で森にハウスを作り、三省は40歳前後で屋久島に入った。まもなく還暦を迎えようとする私には、青年や家住期の責任世代が考えるような家づくりはもうできない。それはそれで私なりにやってしまったことだ。しかし、ソローが提示する、世界や自然や宇宙に対峙する時の姿勢は、大いに学ばれる必要がある。
17)本書は、訳者が「あとがき」で言っているように、他に5~6種ある「森の生活」の訳本の不備を補っている面もある決定版の自負のもとに出版されている。比較的新しい翻訳だけに親しみやすい。
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