雪姫 遠野おしらさま迷宮
「雪姫」 遠野おしらさま迷宮
寮 美千子 (著) 2010/09 兼六館出版 単行本 285p
Vol.3 No.0304 ★★★★★
1)被災地情報としてツイッターでつぶやいていたところ、著者にフォローしてもらい、リツートしてもらっていた。図書館ネットワークが復活したら、とりあえずお礼も兼ねて、寮美千子追っかけをやろうと思っていた。本書は「父は空 母は大地―インディアンからの手紙」、「言葉ふる森」につぐ、第3弾。
2)これがなかなか面白かった。ちょうどスナイダー→山尾三省→宮沢賢治と流れつつある当ブログにおいて、この小説は、岩手県遠野市の風土を背景としているのが、ちょうどタイミングとして良かったのだろう。
3)ソローよりはスナイダーのほうが同時代人だけに感情移入しやすいし、三省はさらに日本人であるという意味では、引き寄せて考えやすい。しかし、いまいち納得できなかったのは、「東北」という血を持っている我が性が、どうしても、他の地の話しにはすこしブレがあると感じてしまうからだろう。
4)それに比すると、小説ではあるが、熊谷達也の「邂逅の森」は面白かった。「場所」の思想とするなら、同じ市内に住む、同じ年代の、前職は私と同業であった熊谷の書きだすストーリーにはぞくぞくするものを感じた。もちろんそれは作家のなす技でもあるが、一読者として読む場合、より感情移入できる作品に出会えたほうが幸せである。
5)寮三千子は確か東京生まれで現在奈良県在住ということなので、東北にはそれほど縁がないと思われるが、その舞台となっている遠野は、まさに東北神話の源泉みたいに見られている地域でもあり、どこか東北人としてのこちらの琴線に触れられている想いがした。
6)「宮沢賢治は、地元が地元が誇る作家ですからね、地元にいれば、自然と詳しくなります。賢治は、岩手県をイーハトブとかイーハトーヴォと呼んだりしていたんですよ」
「イーハトーヴォ?」
「自分でそう名づけたんですね。エスペラントとはちょっと違いますけどね、その影響でしょう。岩手は、旧仮名遣いだと『イハテ』になるです。イーハというのは、きっとそこからきているのでしょう」p87「フォルクローロ」
7)そう言えば、小学校以来の畏友・石川裕人(劇作家)が10代の時に立ち上げた劇団名が「座敷童子(ざしきわらし)」だった。私はその情宣を手伝い、ポスターやチケット、チラシを作ったりしたのだった。一緒に黒テントや状況劇場、夜行館などを見に行った高校生時代が懐かしい。だが、私は、芝居のほうには進まなかった。
8)あのあたりから私の小説嫌いが始まっていたのだろう。現実は小説より奇なり、とは誰の言葉か知らないが、それは本当だと思っていた。しかし今にして思えば、現実は現実として、それを表現しようとした場合、小説という形態でこそ表わすことができる場合が多いのだ、ということが、最近になって、ようやく分かってきた気がする。
9)「おらハなっす、生まれづき目が悪がったもんで、小さい頃、イタコの家さ養女さ出されだのす。イタコのおばあさんハ、あつこつ口寄せなどすながら旅すて回ったもんだのす。おらハ小さい頃がらずっと、それさ、ついて歩ぎますた。年頃さなるど、おらもイタコをするようになりますた。祭文などもたくさん覚えております。子どもの頃があら厳すく仕込まれますたがら。」p153「マヨヒガ」
10)今時、このようなネイティブの言葉を使っている人たちがいるのかどうか定かではない。隣県とは言え、私が育った田舎ともまた違った言葉使いだ。それに遠野にイタコという文化があったのかどうかも定かではない。イタコは恐山ではなかったのか。
11)もし私にその辺の詳しい知識があったならば、この小説の構造全体が崩れてしまうのかもしれない。だが、よくもわるくも遠野やイタコに対する深い知識はない。それがゆえに、小説から得るストーリーのほうが優先して、どんどん惹きつけられた。
12)これは、熊に対する知識がないために、「邂逅の森」にすっかりはまったのと同じような構図だ。
13)イタコのおばあさんといっしょに訪れるどの家にも、どの家にも、暗い秘密があったのす。秘密のね家など、ねのす。秘密ハ秘密である限り、暗ぐわだがまって、その場所さ閉ずこめられているのす。痛みも苦しみもそのまんまで。んだがら、知ってもらうべど、おらさ、話すかけてくるのす。そうやって救われるべとするのす。p231「ファターロ」
14)こういう言葉使いが本当にあるのか、一般的なのか、よく知らないが、「邂逅の森」においても、秋田のマタギの世界を表わすのに、似たような言葉が使われていた。小説においては効果的であると思うし、これが現代のNHK言語オンリーでは、表現され得ない部分もあったに違いない。
15)作者も、東北にそれほど縁があるとは思えないのに、よくまぁ、ここまで書いたなと思う。当然、取材旅行などはしただろうが、それでも、誰か地域考証してあげなければ、なかなかこうはいかないだろうと思う。たとえば、私は関西弁で小説などは絶対に書けない。
16)遠野。隣県なのに実は行ったこともない。先日、東日本大震災の被災地を巡った時に、釜石あたりで「遠野」の標識をみた。あ、ここから行けば遠野に行くのだと、まさに、ひとつの迷宮の入り口を見つけたような気分だった。次回、機会があれば、遠野にぜひ行ってみよう。
17)この小説は、作者における最新作である。作者の東北への思いがひしひしと伝わってくる。そんなところからも、この小説が、小説でありながら、どこか読み手の私の琴線にふれたのだろう。
18)私が育ったのは南部曲がり屋ではないが、東北の農家であることには変わりはない。馬もいたし、雪も降った。おしらさまはいなかったけど、家神様はいた。開かずの部屋に近いような納戸もあった。
19)親近感と言えば、スナイダーのような詩より、はるかにここに書かれている世界に共鳴している自分がいることを発見して驚く。
20)小説は小説である。「邂逅の森」もそうであったが、中ごろから、これは小説なのだ、だから、こういう展開になるんだと、すこし邪心を挟みながら、読み進めた。しかし、その直前、不思議なことがあった。ほんと久しぶりにデジャブがあったのだ。
21)2~3日前に見た夢でもあるようだし、ずっと前に現実にあったことだったかもしれない。なにかのきっかけがあった。私の中のなにかが開いた。だが、それもつかの間、それは消えてしまった。だけど、この小説は、確実に、私の中の何かに、何かをしてしまった。
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コメント
寮さん
書込みありがとうございます。
図書館のリストを見て、びっくりしました。たくさんのご本があるんですね。
時間を取りながら、ランダムに、読ませていただきます。
ますますのご健筆を期待しています。
投稿: Bhavesh | 2011/06/16 18:45
「追っかけ」感謝。うれしいです。
『雪姫 遠野おしらさま迷宮』
http://amzn.to/yuki-tom
作中の遠野言葉は、遠野のおばあさんたちに取材した時の印象を元に書き、遠野出身で遠野言葉のパンフレットを作っていらっしゃる阿部恒幸さんに監修していただきました。
阿部さんは集団就職で東京へ。その後ずっと首都圏で暮らしていらっしゃいますが、遠野への望郷の念強く、定年後は遠野言葉の冊子やHPを作られています。
http://www.geocities.jp/irishp2006/11toono1/nikkityou.html
この方の遠野言葉は、半世紀前におばあさんたちが話していた日常会話です。遠野から離れていたため、かえってタイムカプセルのように温存された響きです。「紅絵」さんの話し言葉に、ぴったりで、阿部さんに巡り会えたことを僥倖に思いました。
というのも、遠野取材で阿部さんの冊子を入手、帰りがけ、千葉の実家に立ち寄ったときにメールしてみると、なんと実家の一駅隣の町に阿部さんがいらっしゃることが判明。すぐにお目にかかることができたのです。偶然とはいえ、なにか見えないものに後押ししてもらっている気がしました。
ほかにも、不思議な偶然があり、その顛末は、先日出版された次の本に収録されています。
木瀬公二著
「100年目の『遠野物語』119のはなし」
http://www.bk1.jp/product/03359430
岩手は祖母の祖先の出身地であり(南部藩の関係者でした)敬愛する宮澤賢治の故郷。盛岡や花巻にひと月も逗留し続けたこともあり、遠野にも何度も。わたしにとっても思い入れの深い土地です。
またよろしくお願いします!
投稿: 寮美千子 | 2011/06/16 14:27