« 狭い道―子供達に与える詩 <2> 山尾三省 | トップページ | 銀河系の断片 山尾三省 堀越 哲朗/編集 »

2011/06/21

ジョーがくれた石―真実とのめぐり合い 山尾 三省

Photo
「ジョーがくれた石」 真実とのめぐり合い
山尾 三省 (著) 1984/12) 地湧社 単行本: 219p
Vol.3 No.0314★★★☆☆

1)1977年の段階で、すでに部族はすでに過去のもの」とソーカツしている三省ではあるが、1984年になっても、語ることとなると、ついつい「部族」のことになってしまう。けれども僕の中には部族の歌は依然として残っていた」のだからやむを得ないにせよ、釈然としないものが残る。

2)これまで見てきた三省関連の本の中の登場人物たちは、ニックネームを補完するような形で実名が記されることが多い。妻や子ども達、あるいは交友の深い友人など、その来歴や言動にともなって実名が語られることに、どれだけの必然性があり、どれだけの合理性があるのだろうか。

3)一般に公表されている「公人」であれば別であるが、両親が自殺してしまって、今や施設に入るか養子になるか、という瀬戸際にあるほんの数歳の子供たちにとって、両親の名ばかりか、自分の名前や年齢まで、自分が読みもしないような本のなかに描かれてしまう、というのはいかがなものであろうか。

4)それが私小説のようなもので、ストーリーや人物像がボカシて書いてあり、名前も当然、別なものであってみれば、それはそれで許される範囲だとは思う。だが、ジャーナリズムでもなく、記録でもなく、ほとんどノンフィクションとして書かれる「エッセイ」の中で、仮に実名を記すことを許され、大変誠実な書き手として信頼されていたとしても、一定程度の視点からだけ書かれるのは、本人たちにしてみれば、どんな気持ちがするのだろう。

5)この本においては、たとえば日本山で出家したマモがM、ナシがW、などと表記されており、サカキナナオでさえNと表記されている。思えば70年代までのミニコミや80年初頭の野草社あたりまではマイナーな友だち感覚で実名記録も悪くはなかったが、この本においては、やや一般化した「地湧社」からの出版となっている。

6)この表記は、なぜこうなったのか。多分、出版社側の編集出版上の判断から。そうせざるを得なかったのではないか、と、遅れてきた一読者としては読む。その出版社の判断は、正しかったのではないか、と思う。

7)しかし、サカキナナオがNと表記されたのでは面白くない。ナナオはナナオでいいはずである。なにも、山里勝己「場所を生きる」に書かれているような、数ページに渡る来歴などは要らないのだが、公的な場で詩を読むような詩人であり、詩集を出しているような存在であれば、あえてNなどと、ぼかす必要はないだろう。

8)この本もまた、長い間、私の手元に保管されている一冊だが、その記録性から言って貴重なデータが様々ある。三省の手によってこそ残された情景というものや、この本に寄らなければならないストーリーも沢山ある。

9)であるがゆえに、はて、と私は考え込む。

10)まず、これだけの「部族」に関わる情報が「必要」とされるのであれば、少なくとも一元的に三省ソースの情報ばかりでは片手落ちになるだろう。同じ事象、同じ出来事に関して、もうすこし別の角度から書かれた(表現された)記録が必要となるのではないか。登場人物たちはそれぞれに個性豊かである。その人たち側からの「反論」も必要となるのではないだろうか。

11)ここまで思って、山田塊也(ポン)の「アイ・アム・ヒッピー」(1990)を引っ張り出してきた。ポンはあまり得手ではないが、三省を相対化する意味では、ナナオとともに、絶対に欠かせない存在である。

12)10数年前、僕達は自分達を「部族」という名で呼び、身心ともにひとつの運動に立っていた。p24

13)すでに、とうの昔に終わっているという「運動」のことを、なぜ三省は繰り返し繰り返し表現したのだろう。そもそも「部族」はきわめてマイナーな、突出した「運動」であった。だから一般に正しい姿を知られることなく、多くの曲解や中傷も多かった(はず)。60~70年代の現象を、ようやく一般的な表現の場を「与えられた」三省が、いまいちど、過去を振り返り、ソーカツしている、ということはあり得るだろう。

14)しかし、片や現象であり、片や表現であってみれば、過去の現象を、あとから表現することにおいて、そこに「美化」や「歪曲」が混入してくる可能性は十二分にある。

15)吉福 (山尾)三省は、気骨のある男ですから、彼の語っている根っこのところには嘘は全然ないんです。ただ、詩人ですから、言葉が紡がれていくときに、彼の操作が入るんです。ぼくなんかは、「またぁ」っていう感じがすることもあるけれど(笑)。「楽園瞑想」 (2001)吉福伸逸p126

16)私は吉福ほど皮肉屋ではないので、より三省寄りに物事を考えたいとは思うのだが、どうも、ここで三省は「部族」を振り返りすぎる。そして、自らに引き寄せ、自らの立脚点にしてしまおうとする姿勢が見えすぎる。

17)「部族」という場は、ひとりひとりの人間が本当に自由であることを願ってつくりだされた場であった。自由でありたいと願うことは、若者の特権であると同時に万人の願いでもある。なぜならすべての人々は、多かれ少なかれ自分はなにものかに不当に束縛されていると感じ、その束縛が解かれることを望んでいるからである。自由は、あらゆる人によって望まれるけれども、それに到達する道は長く険しい。p100「東大寺三月道の裏木戸の石」

18)とするならば、ここであえて「部族」という名前を出してくるほどでもない。ここにおいては、若者の誰でもが、自らが理想としたグループや運動、ヒーローや実験などの名前を「 」の中に入れてみればいい。当然のことだが、全ての道は「長くて険しい」ということになり、「部族」を特筆する意味が薄れてくる。

19)僕が家族と共に屋久島に移り住んできた頃、僕の中から「部族」という言葉はほぼ消えてしまっていたが、東京の国分寺市の外れのぼろアパートを借りきって「エメラルド色のそよ風族」と称して共同生活をしていた頃には、僕達はひとつの紙箱を持っていた。p129「一湊川の二十畳岩」

20)この本1984年に書かれている。村上春樹が書くところの「1Q84」の下地となったであろう1984年である。

21)空間的な情報は、核兵器の存在や各地の戦争やアフリカの飢餓というような脅威としての情報ばかりではなく、西ドイツに緑の党というエコロジカルな政党が生まれたこととか、フランスに同じ「部族」と名乗る小集団が生まれて華々しく活動していることとか、インドの導師(グル)であるシュリー・ラジニーシがアメリカのオレゴン州に移って、大きな宗教的コミューンを建設中であるとかの、歓迎できる情報をも与えてくれる。p182「つつじのそばの石」

22)当時のOshoやサニヤシンたちの活動については、他書に譲ろう。とくに「OSHO:アメリカへの道」を併読することは役に立つだろう。

23)この本は、この時代にこのような事があった、というふりかえりには役に立つ。そしてその時、三省の場で、三省はこのようなことと出会い、こんな風に考えていたのだ、ということ知るには役にたつ。しかし、副題にある「真実とのめぐり合い」というタイトルはいかがなものか。のちに改訂版がでる段階では「12の旅の物語」と改められている。

24)この本でも、抜き書きしたいところは山ほどあれど、今回は先をいそごう。

25)ヒマラヤの霊とは何であるか、しっかり感じとどけようと心を決めたのである。するとその時、不意に、オンマニペメフーン オンマニペメフーン オンマニペメフーンという、三度の低い祈りのつぶやきが、傍らで眠っている見知らぬ旅人の口から洩れたのだった。それはすぐに寝言であることが知られたが、寝言にしてはそれはあまりにも真実の言葉であった。p98「ポカラの鉦叩き石」

     オンフーン

|

« 狭い道―子供達に与える詩 <2> 山尾三省 | トップページ | 銀河系の断片 山尾三省 堀越 哲朗/編集 »

38)森の生活」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ジョーがくれた石―真実とのめぐり合い 山尾 三省:

« 狭い道―子供達に与える詩 <2> 山尾三省 | トップページ | 銀河系の断片 山尾三省 堀越 哲朗/編集 »