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2011/06/23

びろう葉帽子の下で 山尾三省詩集

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「びろう葉帽子の下で」山尾三省詩集
山尾三省 1987/12 野草社/新泉社 単行本 362p
Vol.3 No.0322 ★★★☆☆

1)「詩人」山尾三省の「詩集」。

2)屋久島に「再定住」してからの10年間に書きためた詩の5分の1が収められているという。

3)私はこれまで ただ一緒にすんできたというだけで おまえに何ひとつしてやれなかった
黒皮ジャンパーも買ってやれなかったし
通学用の新しいバイクも買ってやれなかった
奨学金をもらった上で学費免除の手続きをさせ まるでただで高校をだした
その痛みがないわけではない 
p136「食パンの歌---太郎に---」より抜粋

4)この人は、なぜにこれほどまでに貧しかったのだろうか。

5)もうひとつの夢は、むろんこの地で百姓をすることであった。経済原理の支配するこの時代にあって、敢えて最下層の貧農を志すと同時に、自然の道理と共に呼吸する生活する新しい喜びの世界を、自分のものとして行きたいと願った。p348「あとがき」

6)この人は、「敢えて最下層の貧農を志」したのである。

7)私はなにも、ロールスロイスを93台持っていた存在の弟子であるから言うわけでもないが、息子に通学用バイクが買えないような生活を送りたいとは思わない。せめて自分はせいぜい、ベイシック・ハイブリットカー程度には乗りたいと思う。

8)私は、どのような理想があろうとも、、「敢えて最下層の貧農を志」したりはしない。「最下層の貧農」とは、なるべくしてなるものではなく、やっぱり三省は「敢えて」そうなったのだろう。

9)であるがゆえに、私は三省の「美学」には、一定程度の距離をおいて見つめているしかない。

10)三省たちが屋久島に移った1977年、私はインドへ一年間の旅をした。三省がこの詩集を出した1987年、私たち一家は、1歳と3歳の子供をつれて、インドで4ヵ月滞在した。三省たちが73年に家族5人でインドへ旅立った、ということが頭にあったから、自分たちの家族もできたのだと思う。

11)この本は「あとがき」で一旦閉じられたあと、7ページ程の追記がある。当時のつれあいである順子さんが突然亡くなったのだった。

12)「わたしの ただひとりの妻 順子」p338と、詩は語りかける。妻を亡くした直後であれば、近い将来再婚するばかりか、あらたに3人の子をもうけることなど、想像できなかったにせよ、「詩人」の「美学」には、十分気をつけていなくてはならない。

13)詩の中には、相手があって捧げられたものもあり、スワミ・アーナンド・ヴィラーゴへ、とか、キコリとサチコさんへ、などと知人の名前を見つけたりする。


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