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2011/06/19

「聖老人」 百姓・詩人・信仰者として 山尾三省<1>

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「聖老人」 百姓・詩人・信仰者として<1>
山尾三省 1981/11プラサード書店/めるくまーる社 箱入り単行本 p387
Vol.3 No.0311 ★★★★★

1)この本を★5つにするか、レインボー評価にするか悩む。私の人生の中の10冊、その中の一冊に数えてもおかしくない一冊でもあり、当ブログにおけるベスト10入りもほぼ間違いはない。その本の成り立ちや影響の受け具合から考えてみて、レインボー評価は当然なのであるが、後から道を歩くものとして、三省に意見がないわけではないので、あえて★5とする。

2)この本は、のちに新訂版が他社からでたりしているが、私の持っているものは、ほびっと村の3階にあった「プラサード書店」の店主キコリから手渡しで購入したものだから、私にとっては、後の新訂版とは、持っている意味が違ってくる。

3)キコリは今どうしているのか定かではないが、73~75年当時は、盛んに互いに連絡を取っていた東京練馬の都市コミューン「蘇生」のメンバーだった。彼が大学内でのキャンプインからコミューン活動に移り、やがてミルキーウェイに住むようになった経緯の中で、プラサード書店もできたし、三省の処女本もできたのだった。

4)この本に収容されている「太郎に与える詩」などは、インド行く前の77年前半には知っていたので、76年に掲載された「思想の科学」などで読んでいたのだろう。

5)13歳になった太郎
やがてはっきりと私のものではなくなっていくお前に
父親の私は一つの歌を与える
この歌はやがてお前の人生を指し示す秘密の力となるだろう。
p260「太郎に与える詩」

6)22歳の私はこの詩を読んで泣いた。私の父親は私が8歳になって3日目で亡くなった。しかもそれ以前は6年に渡る療養生活をしていたので、直接には父親の愛というものを知ることはなかった。賢治と同じ病気だった父が私に具体的に残したものは、同室のベットの人に作らせた小さな小物入れひとつである。

7)長じて、私も父親となった。上の子が13歳になった時、私はPTAの役員に推薦された。これも縁と引き受けたものの、その後10年以上に渡って教育関連のボランティアをしたのだから、私なりに進んでその仕事を楽しんだのだと思う。そしてそれは、三省のような詩人ならぬ私の、私なりの「13歳になった」我が子たちに与えた詩だった、つもりである。

8)太郎 中学三年生
後輩にあとをゆずって野球部を引退したお前に
この夏休みの宿題を与える
大きくなったお前と やがて大きくなる次郎
二人の部屋を自分たちの手で建て増しをすること

父が棟梁 図面を引き 根太のほぞを切る
お前は手元 柱にほぞ穴を掘る
次郎はやがて12歳 川で鰻の仕掛に熱中している

何をすることが
本当の楽しみなのか
何をしている時に
胸に希望があり 静かな力が湧いてくるのか
父は子に教えようとし
父はまた 子から学ぼうとしている

大工
おおいなる たくみ 
    p100「大工」

9)思えば、私も14歳になった時、自分の部屋作りをした。中学校の学校新聞部の部長として全校生徒にアンケートを取った。「今ほしいものはなにか」。男子生徒も、女性生徒も、一番は「自分の部屋」だった。
 末っ子だった私に与えられたのは、北向きの雨戸を閉め切った、床が地面までついてしまった納戸だった。天井などない。扉も閉めっぱなし、収納などあったものではない。
 そこで15歳の少年だった私は、ひと夏どころか、数年にわたってこの納戸を直し、自分の部屋とした。床を張り直し、壁をつくり、雨戸を切って窓も付けた。みつけてきた板で天井もはり、拾ってきた椅子などで家具も充実させた。
 少年は少年なりに自慢だった。男友達ばかりではなく、女友達までこの部屋につれてきて話しこんでいたりしていたのだから、釘一本から打ち込んだ自分の部屋が気にいっていたことは間違いない。
 思えば、あれが私にとってのソロー・ハウスだったのではないか。自分で作った窓からは、深々とした屋敷林が見えたし、家神様も、にわとり小屋も見えた。

10)ぼくらは限りなく仲間の部族が増えていくことを願い、そのために働きかける。都会においても田舎においても、いたる所に小さな部族社会が生まれるだろう。ぼくらはそれを現代的に解放区と読んでもいいが、やはりそれは部族と呼ばれるのが最も適当だろう。p118「部族の詩」1968

11)三省の呼び声が聞こえていたのかもしれない。16歳の私は、三省より10年遅れの街頭デモに参加し、18歳の時、デモで知り合った友人たちと共同体を創った。自分たちを「部族」と意識したことは一度もなかったし、エピゴーネンだとも思ったことはない。むしろそれを超える何かを探していたと思う。

12)しかし、今回改めて三省を振り返る旅を始めてみると、私は、年齢も三省より16歳下だったし、首都圏や南日本と、北日本という、活動する地域は違っていたが、三省がいわんとするところの「部族」として私たちは見事に「呼応」していたのではないか、と再認識する。

13)平和とは精神なり肉体なりあるいはその両方がぎりぎりの所まで行きついた場所に、たぶん涙とともに訪れてくるひとつの解放状態である。その平和を破ること、これが私にとってのタブーであり、その平和を守り実現してゆくこと、これが私の内在律である。現代インドに生きる巨きな星のひとつであるバグワン・シュリ・ラジニ―シは、「タントラ」に関する講話の中で次のように語っている。p15「内在律考」

14)ここで紹介しているものこそ、「存在の詩」であり、私をインドに呼んだものであり、その後の人生を大きく支えてくれたインスピレーションの源泉でもある。三省は、ラーマクリシュナのアシュラムを訪れたことをこの本でも書いているが、彼が、どこであれインドを旅したということが、私もまたインドを旅しようと思った大きなきっかけであったことは間違いない。

15)三省は私より16歳上だから、父親ということはできないが、兄貴、と見ることもできない。敢えていうなら、叔父さんの位置だろうか。実際、私には12歳上の叔父さんがおり、叔父さんは叔父さんで、兄貴とはまた違う。

16)改めて、この本を読み直し、貴重な記録がたくさん残っていることに安堵するとともに、当時からこのような記録を遺しておいてくれた三省に、重ねて感謝したい気持ちがいっぱいになる。とくに最後の長本兄弟商会の八百屋としての奮闘記などは、あらためて聞く話であり、そのような事実があったことに驚くことがいっぱいある。

17)「百姓・詩人・信仰者として」。三省はそう言う。「百姓」は、私なりに解釈する。「信仰者」は、瞑想者、という言葉で私なりに置き換えてみる。しかし「詩人」という奴はなかなか曲者だ。宮沢賢治を初め、多くの文学を語る三省であってみれば、詩ではなく、小説を書いてくれたほうがよかったような気もする。物語なら物語として、楽しみ、テンターテイメントとして、安全圏にしまっておけるからである。

18)しかるに、三省の詩は、詩とは言え、ファンタジーでもなくメタファーでもない。それは日記であり、記録であり、報告である。ひとつひとつがリアリティに満ち溢れ過ぎている。もし、それがどんなにリアリティに満ち溢れていようと、多少の距離があれば、たとえば、スナイダーくらいに離れていれば、ああ、西海岸ではそんなことがあったのか、ぐらいに考えることができる。

19)しかしながら、三省の書く「詩」は、あまりに私の立場からは見えすぎる。それは詩という形を取った働きかけであり、叱咤であり、ジャーナリズムである。であるがゆえに、一人の「甥」として、ささやかではあるが、叔父貴に「言いたいこと」がある。

20)私はこの本は一般にはレインボー評価されてしかるべき一冊であると推薦することにやぶさかではない。だが、私自身にとっては星5にとどめておく。いや、批判者として、ポスト三省として、あらためて三省を読みなおすなら、星3か星2くらいに見下して、舐めてかかって、こき下ろしてやろうとさえ思うくらいだ。----それができれば、の話だが。

21)やがて17歳になる太郎
お前の内にはひとつの泪の湖がある
その湖は 銀色に輝いている

13歳の次郎
お前の内にもひとつの泪の湖がある
その湖は 金色に輝いている

8歳になったラーマ
お前の内にもひとつの泪の湖がある
その湖は 神の記憶を宿している

やがて9歳になるヨガ
お前の内にはひとつの泪の湖がある
その湖は 宇宙のごとく暗く青い

6才のラーガ
お前の内にもひとつの泪の湖がある
その湖は 自己というものを持たない

子供たちよ
困難に耐えてすくすくと育ち
お前たちの内なる 泪の湖に至れ 
 p353「子供たちへ」

<2>につづく

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コメント

きこり、かきこみありがとう。
そして、訂正ありがとう。さっそく、現物を確認し、プラサード出版を、プラサード書店と訂正しておきました。
三省についての読書メモはこちらにまとめておきました。
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/1-7342.html

ちっとも知らなかったのですが、いのちの祭り2012は静岡県富士宮で開かれたんですね。これはきこりのお膝元ということになるのでしょうか。きっと、獅子奮迅のご活躍だったものと、お察しします。

最近、古い友達であるニュートンがなくなって、ちょっとナーバスになってます。本当に、いのちの祭りの、真っ只中になってきましたね。
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-08d9.html

私たちの道が、また、どこかでクロスし、大道へといたりますように。


LOVE

投稿: Bhavesh | 2012/10/28 23:24

せーこーへ   きこりです。

今日、震災で別れた妻からメールが来て、
前日に見た渡邉眸写真展「屋久島の三省」から、プラサード書店版の『聖老人』が欲しくなったとWEBで探そうとして
このブログを見つけたと、URLを送ってきた。

「12)」での部族への感じ方が、わたしがこの本を造ろうと思ったときの気持ちと近いものがある。

今年のいのちの祭り2012で、良かったことがある。ひとつだけ挙げると。「霊界TIPI」。
内田ボブが提案して実現されたのだが、亡くなった友人や先人・先達たちの写真をひとつのTIPIに集めた。
毎朝お経があげられ、パイプセレモニーが行われ、ちいさな祭りが祭行され、最後にはお焚き上げで見送った。
わたしも毎日1~2度は訪れた。「いのちの祭り」というものが、新しいステージに入ったと思った。
死者とも一緒に祭りを何年かおきにでも行うなんて、それは、まぎれもなく「部族」というものでしかないなあと。

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『聖老人』は、プラサード書店の発行で、プラサード出版じゃないからね。
プラサード出版は、あぱっちの方の「やさしいかくめい」シリーズの出版社です。

投稿: きこり | 2012/10/28 22:39

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