« 三光鳥―暮らすことの讃歌 山尾三省 | トップページ | 「カミを詠んだ一茶の俳句」 希望としてのアニミズム 山尾三省<1> »

2011/06/25

「終わりなき山河」  ゲーリー・スナイダー <1>

終わりなき山河
「終わりなき山河」 <1>
ゲーリー スナイダー (著) 山里 勝己 (翻訳), 原 成吉 (翻訳) 2002/01思潮社 単行本: 297p
Vol.3 No.0332 ★★★★★

1)ガンジス川の砂の数ほどもある仏界を
さらに十倍も数えたその向こうに
青色の宝石のごとく汚れなきもの、すなわち
   浄瑠璃世界(ラピスラズリ)がある。
その世界を治める仏陀は癒しの王と呼ばれるお方

   薬師瑠璃光如来    p74「瑠璃色の空」より抜粋

2)「終わりなき山河」は、スナイダーが1956年頃から禅画に啓発されて書き出した連作の詩。タイトルどおり終わらないのかな、と思われたが、1996年に完結編として出版された。「瑠璃色の空」の制作年代は、この本では定かではない。

3)この詩は大乗仏教と北アメリカ先住民の伝統にみられる癒しの教えや伝承のいくつかを探求する。サンスクリット語でBhaishajyaguruと呼ばれる癒しの仏は日本では薬師如来と呼ばれている。 p271「瑠璃色の空」

4)自分が16歳のときにヒッチハイクを始めた時のことを思い出した。それは1970年。三省が60年安保で敗北してから10年後。ゲーリーが日本を後にしてから既に2年が経過していた。
 自転車での旅だったが、登りの長い山道になると、自転車ごとトラックにヒッチハイクした。奥羽山脈を越え、日本海をわたって佐渡にいった。最初の夜、あてもなく、山中の山寺を訪ねた。一人の女性しか住んでおらず、食事を出し、お風呂にまで入れてくれたが、泊まったのは、離れの小さな電気のない御堂だった。

5)たった一本のろうそくを吹き消してみると、そこは、漆喰の闇だった。初めての一人旅に興奮していた自分は、そっと御堂の扉をあけて外にでた。そこにあったのは、満天の星。9月末とは言え、もう秋はそこまできていた。あくまで空は広かった。

6)仁明天皇の時代
あの風変わりな女性歌人、小野小町は
十七歳のとき、巡礼となった父を探しに
旅に出た。旅の途中で病を患い、床に伏せているとき
夢の中で

  瑠璃光薬師如来

を見た。薬師如来は、そなたは磐梯山にある吾妻川の岸辺で
温泉を見つけるであろう、そこで病も癒え、そなたの父に
も出会うであろう、と言われた。
 p78「瑠璃色の空」より抜粋

7)そういえば、あのお寺は、磐梯山の山裾のお寺だった。

8)ターラーの誓い
「男の姿で最終解脱を得たいとのぞむ者
その数多くあり・・・
それゆえ願わくは
   この世が空(くう)となるまで
わたしは女の身体で
人びとの役にたてますように」
  p185「ターラーへの捧げもの」

9)二枚の写真を並べてみる。
Photo_3 Photo_5  

街の中の一本の老樹と、森の中の方丈テント。

10)ターラー(多羅仏母)は、慈悲と知恵の両方を司る女性のブッダ。とりわけチベット、モンゴル、そしてネパールなどの仏教では、最高の崇敬をあつめている菩薩の一人。p279「ターラーへの捧げもの」

11)50年代にスナイダーたちと同じ年代で、東海岸から西海岸に車で旅にでた青年がいた。彼は、チェロキーであったけれども、車を運転するセールスマンであった。旅の途中、事故にあい、長く冥府をさまよったが、ついにその魂は東洋、なかんずく日本へと飛んだ。

12)わたしはいつしかこの詩を経典のように考えるようになった。それはチベット仏教の女菩薩、多羅仏母(ターラー)が語る詩的・哲学的・神話的物語である---この「終わりなき山河」を子供たちに捧げよう。p263「『終わりなき山河』の出来るまで」

<2>につづく

|

« 三光鳥―暮らすことの讃歌 山尾三省 | トップページ | 「カミを詠んだ一茶の俳句」 希望としてのアニミズム 山尾三省<1> »

38)森の生活」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「終わりなき山河」  ゲーリー・スナイダー <1>:

« 三光鳥―暮らすことの讃歌 山尾三省 | トップページ | 「カミを詠んだ一茶の俳句」 希望としてのアニミズム 山尾三省<1> »