ぼくらの知慧の果てるまで 山尾三省他
「ぼくらの知慧の果てるまで」
宮内勝典 (著)、 山尾三省 (著) 1995/09 筑摩書房 単行本: 164p
Vol.3 No.0334 ★★★☆☆
1)1995年の9月の段階での宮内が登場するということで、今回この本の存在を知った時には、大いに興味をそそられた。対する三省はどう絡むのか。
2)宮内については、
「日本社会がオウムを生んだ」 高橋英利との対談 1999/3 河出書房
「善悪の彼岸へ」 2000/9 宮内勝典 集英社
「金色の虎」 2002/11 講談社
「麦わら帽とノートパソコン」 2006/9 講談社
などを散発的にめくってきた。
3)さて、こちらの本においては、どのような修羅場が展開されているのか、と思い気や、完全に気勢をそがれた。こちらはなんと、1992年の段階の対談が一度、新聞に三カ月にわたって掲載、95年になって、「少々の手入れ」がされた後に一冊の本になったものだった。
4)あとがきなどで95年の阪神淡路大震災に触れているのだから、当時胎動していた麻原集団事件などにはどのように言及しているのかな、と野次馬根性でめくってみたが、完全にアテがはずれた。
5)この対談、骨子としては、両者とも、二人のもっているイメージから大きく外れるものではなく、三省をおっかけながらも、「批判的」に三省を見ている当ブログとしては、この本においては、宮内の「突っ込み」がちょっとここちよかったりする。三省54歳、宮内48歳。ともに分別盛りをとうに過ぎた初老の域に到達しようとする年代であった。
6)山尾 僕の目がアメリカに向かなくなったは、60年代、安保の後ですね。自分の生きる道筋としてアメリカという原理を、除いてしまったんです。除いたというより、自然に興味がなくなったんですよ。アメリカという力の論理、そこに視点がいかなくなってしまったんです。
逆に入ってきたのは、インドという視点なんです。そして、そっちに主眼が行ってしまった。p105「人類は進化の途上にある」
7)これまで三省関連リストをおっかけてきた中で、三省がアメリカに行ったのは、『聖なる地球のつどいかな』 (1998)に見られる、ゲイリー・スナイダーとの対談の時だけだったのではないだろうか。
8)この対談、どちらからのオファーだったのか、気になるところではあるが、実際は、メディアの企画物であったのだろう。宮内は60年代の前半において、三省とナナオの出会いをつくった人物である、ということだから、三省としても無視はできない。
9)この本、今となってはそれほど注目に値する本ではないが、三省の自費出版である「約束の窓」(1975)から詩が一編転載されているところが貴重である。「約束の窓」は三省関連リストの初期に位置していているが、希少本なので、今回の追っかけでは多分読むことはできないだろう。
10)詩画集『約束の窓』(1975年刊)より 画・高橋正明 詩・山尾三省
家の裏 その2
空晴れ 白雲流れる
木の葉 草の葉 静かに 空気流れる
百合の実 茶の実 山椒の実 心に映る
心は水
はるかに遠いものの声 心に映る
辛くとも この道をゆけ
この道は 許された道
いくたりもの尊い先達が 胸に涙し 心 光に満ちて
歩み去った道である
風の音空に舞い 鳥たちもざわめく
すべてに光 沁みとおり
頭上 静まる
妻よ 心 平安であれ そのために眼には見えず努力すること
続けられよ
何処にでもある 裏側の 四万六千日の願かけ風鈴
奥 という言葉の光
そこに澄んだ神の池がある 水草の緑がある
秋の一日
一日の旅
今 ここらは釣船草の花盛りだ
弱く 淋しげな赤紫の花
その花の名を告げたのは やはり旅の途上にあった
上品な中年の婦人であった
歌われぬものを告げる あの出遭いが
廻りきてみれば 慈悲のしずくとなる
沈み 溶けてゆく心に
姉妹なる小鳥達の声が はなやかである p29
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