「カミを詠んだ一茶の俳句」 希望としてのアニミズム 山尾三省<1>
「カミを詠んだ一茶の俳句」 希望としてのアニミズム <1>
山尾 三省 (著) 2000/09 地湧社 単行本: 302p
Vol.3 No.0333 ★★★★★
1)まるで、「文学者」山尾三省の、最終講義のような一冊。書きためた文章がまとめられたものではなく、最初から一冊の本ととして企画されていること。書かれた時期が、1997年からはじまり、1999年2月などと本文中に記録があり、「あとがき」が2000年6月であってみれば、すでに病を得て、その1年後の2001年8月には亡くなってしまう三省。まさに最終講義にふさわしいような精力を傾けた、渾身の一冊、と言える。
2)というのも、おなじ2000年9月に出版された 「アニミズムという希望―講演録・琉球大学の五日間」(2000/09野草社)という本があり、それは1997年7月に行われた集中講義の記録をまとめたものであることからも類推される。
3)「希望としてのアニミズム」と、「アニミズムという希望」では、ほとんど同じ意味であろうが、こちらはあくまで小林一茶の「俳句論」であるが、大学での講義はどんなものであったのか、興味が湧く。
4)この本においては、「ロングヘアー」としての三省の近辺情報がまき散らされているわけでもなく、「再定住者」としての屋久島の自然が多く語られているわけでない。あえていうなら「文学者」としての三省が自らを、「文学者」としての一茶にシンクロさせようとしているかに見える。
5)この二人に共通することは、本体は「ロングヘアー」であり、「再定住者」たろうとしたが、結局は、その半ばにして、あえて「文学者」たらんとする想い断ちがたく、その精神性において、バルドソドルの中間において漂っている、という観があることである。
6)「月花や四十九年のむだ歩き」 一茶
7)「是がまあつひの栖(すみか)か雪五尺」 一茶
8)「大根引大根で道を教へたり」 一茶
9)「我庵の冬は来りけり痩せ大根」 一茶
10)三省が一茶に共感している部分から、三省をみようとすると、不思議と重なってくる部分が多いことに気づく。
11)「青菰(あおごも)の上に並ぶや盆仏」 一茶
12)「雪とけて村一ぱいの子ども哉」 一茶
13)アニミズムや「カミ」という言葉使いは一般的ではないにせよ、三省という人が「最終講義」として小林一茶を選んだのは、「文学者」として、当然であったような気がする。「狭い道」で語った宮沢賢治でもなく、 「ラマナ・マハリシの教え 私は誰か」のようなインド哲学でもなかった。
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