自己への旅―地のものとして 山尾三省
「自己への旅」―地のものとして
山尾 三省 (著) 1988/07 聖文社 単行本: 350p
Vol.3 No.0323 ★★★★☆
1)この本、装丁が、処女集「聖老人」と同じ箱入りとなっている。二冊とも、中山銀士が装丁を担当しており、布張りの表紙といい、どこか素朴な味わいの中にも、大事な、貴重な一冊、という思いがひっそりと込められている。
2)「自己への旅」。このタイトルはどこから生まれたのだろうか。三省にとってはともかくとして、私にとって、この本の内容は「自己への旅」で、ズバリだと思う。
3)この本には、北日本のことどもや、私の住む地方都市のこと、そして友人知人のことが書いてある。アソベ族、ツボケ族、津軽、岩木山、アラハバキなど、気になることがいっぱい書かれている。しかし、それは「旅」の途上である。旅は終わってはいない。
4)「地のものとして」。三省らしいフレーズである。
5)序に真木悠介が一文を寄せている。そこに三省の前妻順子さんが亡くなったことが記されている。
6)Oshoに触れるくだりもある。
7)この本も長いこと、手持ちにある本であり、生涯私の手元にあり続けるだろう。また、何時か繰り返し読むことになるだろう。
8)しかるに考える。自己への旅とは、これいかん。旅するものもまた自己であり、目的地も自己であるなら、そもそも旅などは存在しないのではないか。
9)自己が自己へと旅するとしたら、そこには距離があるはずであり、それでは自己とは呼べないのではないか。ふたつの自己が存在するすることになり、分裂したり複製されたものは自己とは呼べないからだ。
10)自己がひとつであり、またひとつという感覚さえ存在しないとすれば、そこには「旅」は成立しないことになのではないか。
11)自己があまりにも広大だとして、その中のA地点からB地点への旅だとしても、それでは、旅する自分と、旅をされている自分と、二つあることになる。
12)「自己への旅」とは、「詩人」山尾三省の「詩」であって、「美学」であったとしても、そこになにかのイメージを重ねていくべきではないだろう。
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