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2011/06/03

ウォールデン シリーズ もっと知りたい名作の世界

ウォールデン (シリーズ もっと知りたい名作の世界)
「ウォールデン」 シリーズ もっと知りたい名作の世界(3)
上岡 克己 (著), 高橋 勤 (著) 2006/04 ミネルヴァ書房 単行本: 167p
Vol.3 No.0287 ★★★★★

1) 久しぶりにブログを書く作業に戻って見れば、これはこれで懐かしい作業であり、必要な精神的営為であることに気づく。

2)図書館ネットワークも復活して見れば、読むべき本の数々が、またまたリストとともに積み上がっていく。

3)当カテゴリもあと数冊残すところとなり、これで「読書ブログ」は終わるとしても、「読書」も「ブログ」も、なんらかの形で継続する必要を感じる。

4)ならば次のカテゴリ名をなんとしようか。

5)ソローの建てた小屋は重厚華美なログハウスではなく、簡素な板張りの小屋である。間口3.3メートル。奥行き4.5メートル、柱の高さ2.4メートル、屋根裏部屋と押し入れ、両側に一つづつ大きな窓がある。室内にはベッド、テーブル、机、椅子、食器類があった。p27「ウォールデンの森と湖と小屋」

6)元祖ソロー・ハットは、わがソロー・ハウスのテント小屋とほぼ同等の大きさである。テントを2×4材に置き換えようとしている現在、その設計と材質、広さを検討中である。基本に戻って、よりシンプルな構造とすべきであろう。

7)山里勝己の「ソローの家、スナイダーの家---生態地域主義の視点から」p113が面白い。ソローの「逗留者」としての立場から、ウォールデンに2年2カ月と2日暮らしたのに比べ、スナイダーはキットキットディジィーに30年以上、「再定住者」として暮らしている。

8)「現代代建築家による“地球(ガイア)”建築」に見られるような自然の中に起立する建築物には目を見張るものがあるが、そこの住人が自然をどのようにとらえ、どのようにそれらと接するのかを考える時、おのずと、ソローやスナイダーとの違いが明確になる。

9)しかしながら、大きなガラス窓で切り取られた、まるで一服の絵のような概観の風景には大いにそそそられるものがある。

10)わが、山の椒におけるソローハウスは、さて、どのような形の、どのような大きさの、どのようなものになるであろうか。ソローのような「携帯性」を持ち、スナイダーのような「土間」を持ち、そして大きなガラス窓を持つだろう。

11)ソローのように一人で森に入っていくのか、スナイダーのように妻と子供たちの手をひいて森に住むのかで、ハウスの大きさも作りも違ってくる。また、街から多く友人たちを呼び、おおいに語りあうのか、密かにプライバシーを守るのか。「方丈記」の鴨長明のように隠遁するのか。

12)山の椒は「エコビレッジ」を掲げている。おのずとそこには「共同体」の可能性を見る。「逗留者」であっても、「再定住者」であっても、そこには多数の「人間たち」の風景も織り込まれている。

13)オーク・ビレッジの稲本正も書いている。「挫折しない『森の生活』の読み方」p31

14)ウィルダネスを好む作家がいる一方で、アメリカにはレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」に代表される、感性のネイチャーライティングがある。この場合自然は大きくても小さくてもいい。観察眼が優れていればいい。いや、素直に自然と接すればいいのである。「ネイチャーライターの座標軸」p101岡島成行

15)この本を読み進めることによって、自らの立ち位置が少しづつ明確になる。元祖ソロー・ハットとの違いも明確になってくる。しかしながら、多くの先人たちの試みに連なる共通項も多く見つけることができる。

16)ラルフ・ウォールドー・エマソンについて言及している文章も多い。これからの読書リストに載せておこう。

17)13世紀の鴨長明、19世紀のソロー、20世紀のスナイダー、そして21世紀のわがソローハウス。それぞれの時代背景があってこその存在だと言える。森の中に入ることによって、より明確になることがある。

18)森がある。人がいる。植物たちがいて、動物たちがいる。大自然があり、人はその中で生きていく。家を建て、水と火を確保する。電気や通信、交通などの文明を入れる。さて、それを何処までいれるのか。無反省に取り込むのではなく、例えば原発と対峙できるようなライフスタイルを堅持できるのかが、21世紀のソロー・ハウスには求められる。

19)「場」がある。「与えられた」場がある。与えられても、受け取らなければいいのだが、敢えて「受け取って」みる。その「場」に立ってみる。その場に「定住」してみる。定住とはまではいかなくても、「定点観測」してみる。「観測」するだけの感性が必要だ。「感性」が強すぎて森に入れない場合もある。感性の前に「肉体」を山に慣らさなければならない。肉体を山に持っていく「技術」が必要だ。技術と「頭」が先行してしまう場合もある。人間として「山」に入る。全存在として、「そこ」にある。「いま」という時代を、山という環境の中で「生きて」みる。

20)人間として、一番コンパクトな生き方とは何か。人間として一番ぜいたくな生き方とは何か。人間として、一番根源的な生き方とは何か。人間として、最後の最後にやらなければならない事は何か。人間として、最初の最初にやらなければならないのはなにか。人間とは、本質的に何か。人間とは何か。私という人間とは何か。私は何か。私は誰か。

21)今日の空模様は快晴だ。思いは山に馳せても、体は街にいる。煩雑な仕事をこなしながら、次に山にいく日程を考えている。

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