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2011/06/04

沈黙の春 レイチェル カーソン

沈黙の春
「沈黙の春」
レイチェル カーソン (著), Rachel Carson (原著), 青樹 簗一 (翻訳) 2001/06 新潮社 単行本  403p
Vol.3 No.0290 ★★★★★

1)自然資源のうち、いまでは水がいちばん貴重なものとなってきた。地表の半分以上が、水---海なのに、私たちはこのおびただしい水を前に水不足になやんでいる。奇妙なパラドックスだ。というのも、海の水は、塩分が多く、農業、工業、飲料に使えない。こうして世界の人口の大半は、水飢饉ですでに苦しめられているか、あるいはいずれおびやかされようとしている。

 自分をはぐくんでくれた母親を忘れ、自分たちが生きていくのに何が大切であるかを忘れてしまったこの時代----、水も、そのほかの生命の源泉と同じように、私たちの無関心の犠牲になってしまった。p37「地表の水、地底の海」

2)山の椒で水源を見つけた。ほんの指一本ほどの湧水だが、こんこんと流れつづける。これをソロー・ハウスまで給水しようとすると、約200メートルのホースが必要になる。まぁ、それも必要な出費と考えていたところ、実はソロー・ハウスそのところまで水が地下水路を通って流れてきていることが分かった。

3)山の椒の隣は、ゴルフ場である。幸い、尾根を境にして、背中を向けあっており、あちらとこちらの斜面がまったく逆方向なので、水源が汚染される可能性はすくない。しかし、今のところ、この水を直接飲料水に使うことはできない。

4)だが、一般的な農業用であるとか、トイレ用とか、生活用水に使えることは間違いない。これをうまいことすくい取るシステムも考えてみた。明日、ためしてみる。

5)水があれば、火を使うことができる。山での火の扱いは、山火事を起こす可能性があるので怖い。だが、ソロー・ハウスそのものに水源があることが分かったわけだから、これからは薪ストーブとロケット・ストーブの使用計画にはいる。

6)青年時代に、インド旅行から帰ってきて、農業学校で学んだ。危険物取扱者とか、毒物劇物取扱者の資格を取った。しかし、勉強しただけで、もうすでに薬剤の名前などすっかり忘れてしまった。レイチェル・カーソンのように深く化学物質について考えることはなかったけれど、どうも、毒物劇物を取り扱うのは苦手だ。

7)水が、本当に豊富なところに私は生まれた。四六時中ポンプで汲み続けても、枯れるということがなかった。水質もよかった。浪の音、名取駒、大豪、というブランドの日本酒メーカーが三社、毎日水を汲みに来ていた。その水質と水量の良さを確認した上で、サッポロビールが近くに大きな工場を作った。

8)されど、今回の3.11以降の原発事故を思い出すまでもなく、すでに水は自由に使えない段階になってきている。おそろしい進展だ。どうして、ここまで突き進まなければならなかったのだろう。

9)私たちは、いまや分かれ道にいる。だが、ロバート・フロストの有名な詩と違って、どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいた旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり<人も行かない>が、この分かれ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。

 とにかく、どちらの道をとるか、きめなければならないのは私たちなのだ。長いあいだ我慢したあげく、とにかく<知る権利>が私たちにあることを認めさせ、人類が意味のないおそるべき危険にのりだしていることがわかったからには、一刻もぐずぐずすべきではない。毒のある化学薬品をいたるところにまかなければならない、などという人たちの言葉に耳を貸してはいけない。目を見開き、どういう別な道があるのか、をさがさなければならない。p304「べつの道」

10)レイチェル・カーソンの警告に満ちたメッセージはすでに50年前に発せられている。ほとんど2世代に渡って、根本的な解決策を見いだせないまま、人類は禍いの道、破滅の道を突き進んできてしまったと言える。

11)東京電力原発事故についての情報開示も実にあいまいで、私たちの一般市民の知る権利に十分こたえたものになっていない。さらには、甚大な生活上の影響が発生している。人類史始まって以来の、未曾有の大事故なのだ。

12)もう遅いかも知れないのだ。きっと、遅きに失したかもしれない。それでも、どこかの詩人は、あした地球が終わろうとも、私はリンゴの木を植えるだろう、と言ったという。絶望もまた希望と同じく虚妄である。

13)生きてある限り、命ある限り、生命は生きていく必要がある。前に、上に、明日に向かって生きていく必要がある。

14)沈黙の春が、ひとつの喩え話でなくなりつつある2011年の春。私たち、ひとりひとりは、今どのように生きているのだろうか。

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