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2011/06/19

森の時間海の時間  屋久島一日暮らし 山尾三省,春美

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「森の時間海の時間」―屋久島一日暮らし
山尾 三省 (著), 山尾 春美 (著) 2009/10 無明舎出版 単行本 123p
Vol.3 No.0312 ★★★☆☆

1)「聖老人」(1981)が三省の最も初期の記録を残している単行本だとしたら、この「森の時間海の時間」(2009)は、三省がなくなった後、もっとも最新の三省の名を冠した一冊、ということになるだろう。とりあえず、この2冊の間を、三省の作品群と規定して、三省を読書してみる。

2)三省が人生の中で触れた人々の数は多く、また残された作品も数多い。彼の人生の中で、彼と触れた人々との数だけ、それぞれの「山尾三省」像があることだろうし、あのような人生は、決して「本」では表わされ得ない部分が多くある。

3)それでもやっぱり、「詩人」としての三省は、しっかりと、その「著書」の中で評価され、愛されていく必要もある。

4)この本は、三省と1989年に結婚した春美さんが、自らのエッセイを加えて、再編集した形になっている。その前には確か病気でなくなった連れ合いさんがいた。今回の詩集にも、海彦、閑、すみれ、という子どもの名前が登場する。子ども本人たちにとってみれば、自分の名前がこのように作品に残されるのは、どうなのだろうと思いつつ、三省の周辺には確か、養子も含めて10人くらいの子供達がいたはずだった、と思い返す。

5)この詩集、当然ながら、「聖老人」とはまったく異なった姿を持っている。この「海の時間~」は、どちらかというと月めくり暦のようで、まるで、最後に「あいだみつを」なんて書いてあるのではないか、と、ひやひやするw 当然、私の知っている三省は「聖老人」の三省のほうにウェイトがあるのだが、それとて、すでに30年前の姿。その後、どんな風な人生があったのか。そして、人々にどのように愛された人だったのか、興味をそそられる。

6)二日に一度 夕暮れ時には
風呂を焚く 
p022「風呂焚き」三省 の中の一節

7)小学生のときの家の手伝いは雨戸閉めや板目拭き、茶碗だしやヌカ運びだった。中学生になってからは風呂焚きがメインになった。家族が多かったし、家業は重労働だったので、風呂は毎日焚いた。二日に一度なんて、私の子供時代では考えられなかった。しかし、屋久島における質素な三省一家のライフスタイルでは、二日に一度だったのだろう。

)「人は死んだらどうなるの」 父の死後、閑は、この質問をくり返してきた。納得する答えを得られないまま、半年程前、閑は久しぶりにこの質問を呟いた。その時、居合わせた兄と姉は「そんな事、わかるわけないじゃん」と笑いながら一蹴した。「だって、知りたいじゃんか」と、閑は頑張ったが、三年の月日を経て、この問いは、閑の胸の中にしまいこまれた。台風が過ぎて、生前父が「静かなお友達」と呼び、私たちには父の魂を連れてくる者である、透き通るように美しい薄緑色のスイッチョ(ウマオイ)が飛びこんでくる季節になった。p038「スイッチョ」春美

9)私もこの問いを問うた。8歳と3日目に父が亡くなって、すでにずっと療養生活をしていて、すでに「家族」ではなかった父だったから、今まであった存在がいなくなった、という淋しさはまったくなかった。しかし、純然たる意味を持って「死」とはなにか、という問いを8歳の私に突きつけた。

10)この本、秋田の無明舎から出版されている。

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