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2011/06/13

自然の終焉―環境破壊の現在と近未来

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「自然の終焉」 環境破壊の現在と近未来
ビル マッキベン ビル (著) 鈴木 主税 (翻訳) 1990/01 河出書房新社 単行本: 278p
Vol.3 No.0301 ★★★★★

1)マッキベンには4冊の主著がある。この「自然の終焉--環境破壊の現在と近未来
(原著1989)、「情報喪失の時代」原著1992)、「人間の終焉--テクノロジーは、もう十分だ」(
原著2003)、「ディープエコノミー---生命を育む経済へ」(原著2007)。このような場合、新刊から読むべきなのか、刊行順に読み進めるべきなのか、悩む。

2)今回は、ソロー繋がりで、上岡克己「森の生活―簡素な生活・高き想い」の中にマッキベンの「自然の終焉」を見たことがきっかけになったので、この本から、つまり刊行順に読み進めることにする。

3)小数の人びとが、たいてはソローに感化さえて、大学の三学年を休学してどこかの人里離れた湖のほとりでテント生活をしたであろうが、その人びとにしてもたいていは普通の社会に戻ってきている。この事実を説明するには、ソローの説---われわれはそうするよりしかたがないと考えるということ---が参考になるかもしれない。(中略)

 われわれはよい暮らしをしている。世界は、20世紀末の西欧諸国の大半の人間にとって、なかなか住み心地がよ。湖のほとりでキャンプ生活をするヒッピーの数が多くないのはそのためだ。われわれはキャップが好きだが、それは週末だけのキャンプ生活である。p215「より困難な道」

4)マッキベンの言は、警句に富み、どこかニヒルで、いささか読みにくい部分も多いが、時に1989年におけるレイチェル・カーソンの「沈黙の春」たらん、としたことを思えば、多少の無遠慮な表現は当然のこととも言える。

5)この本も、彼女(レイチェル・カーソン)の著書と同じ道を行かなければならない。これを書いている現在、温室効果は政治上の重大な懸案の一つとして---おそらくは最も重大な政治課題といsて---浮上史は而得んている。p174「不遜な対応」

6)バックミンスター・フラーを語り、ラブロックを語る。そして遺伝子工学に触れる。

7)原子炉は電気をつくりだす新しい方法である。しかし、遺伝子工学は新しい生命を作り出す初めての方向なのだ。これは驚異的な考え---ある生物学者の表現によれば「第二のビックバン---である。物理的な意味でも商業的な意味でも、史上最も重要な科学上の進歩のうちに数えられる---温室効果の脅威のただなかで従来の生活様式、経済成長を維持するための頼みの綱となる方法である。p200「不遜な対応」

8)Oshoは「大いなる挑戦---黄金の未来」(1988)の中で遺伝子工学に触れていた。極めてデリケートなテーマである。

9)私はかなりまともなメソジストで、日曜日には教会に行く。それは交際のためでもあり、イスラエル人の歴史や福音を重視するからであり、讃美歌を歌うのが好きだからでもある。しかし、私が神の存在を最も強く感じる場所は、この「神の家」ではない---戸外の、太陽に温められた松林の斜面や海岸の波打ち際なのである。このような場所でこそ、人間がこの神秘を包みこむために考え出した木の滅入るカテゴリー---罪、贖罪、受肉など---が消え去り、善と優しさが世界に働いていることが圧倒的に感得される。p95「自然の終焉」

10)人間と地球(自然)の間に存在するもの---技術。石や火に始まる道具の類は、今、原子炉を通り越し、生命の根幹たる遺伝子工学へと及んでいる。

11)宗教はなくならないだろう---決してなくならない。おそらく、終末論的な狂信的な宗教がはびこるだろう。しかし、神についてのある種の考え方---述べられないものを述べるための、ある種の言語---は消え去るだろう。p105「自然の終焉」

12)ソローが森に入ったのは人間を救うためであって、自然を救うためではなかった。彼の著作は人間中心主義の強いものであった---彼にとっては、人間が自然を冒涜することは人間が自然を冒涜することほど憂慮すべき事態ではなかった。自然は重要であったが、それはすばらしい教科書としての重要性だった。p219「より困難な道」

13)この辺の領域に立ち入れば、問われているのはソローでもなければ、マッキベンやレイチェル・カーソンではない。読み手であり、思索者であり、人間として地球=自然の中に存在している、私自身こそが問われていることになる。

14)純粋に個人的な努力は、もちろんただの意志表示にすぎない---良い意思表示ではあるが、やはり意志表示に留まる。温室効果は、われわれが森に移住しても逃げられない初めての環境問題である。個人的な解決はない。意識に目覚めた子どもたちを育てれば、彼らが少しづつ世界を変えていくだろうと言っても、そんな時間の余裕はないのだ。p254「より困難な道」

15)この文章が書かれてからすでに22年。地球上においては、放射性物質の本格的な漏えいという、新たなるパンドラの箱が開かれてしまった。

16)われわれが自然の終焉を間近にしていたころ、ソローの文章はますます価値と重要性を増していったが、彼の言葉がわからなくなり、洞窟に描かれた絵の意味がわれわれにわからないのと同じように、彼の考えが未来人にとって意味不明となる日が足早に近づいている。p263「より困難な道」

17)マッキベンが自らをメソジストと自己規定する中で、自然を見、環境問題を考えている。この著に始まる彼の思索はまだまだ続くのであるが、科学、芸術、意識、の三つの融合の視点から見た場合、科学や芸術に対する言及に比べ、意識への言及が少なすぎる。意識こそが、科学や芸術の上に立つものであってみれば、更なる思索を、他書において求めたい。

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