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2011/06/23

桃の道―月満ちてぽとりと地に落つ子どもらへ伝えたきこと 山尾三省

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「桃の道」―月満ちてぽとりと地に落つ子どもらへ伝えたきこと
山尾 三省 (著) 1991/10 六興出版  単行本: 189p
Vol.3 No.0326 ★★★★☆

1)1985年から1990年にかけて、雑誌などに投稿された三省の文章がまとめられている。ロングヘアーでもなく、再定住者でもなく、まさに、家住期としての三省の、ごく当たり前の、親としての葛藤が、多く綴られている。

2)子供のひとり、山尾ラーマが、小学低学年時に、まちがって自分の名前を「おやま あらま」と書いた、というあたりは笑える。おやまぁ、あらまぁ・・・・。

3)三省の子供達は、中学、高校と、そして時には大学の中の、野球部で活躍する。高校野球部で活躍して、地区大会などで活躍した時の三省の喜びようは、手にとるようにわかる。

4)このような風景を、ホームビデオではなく、父親の「詩」として残してもらっているのは、それはそれで、輝かしい限りだ。

5)家住期の父親としての、三省の「煩悩」が、しっかりと記されている。

6)私も、高校PTA会長として、野球部とともに甲子園に行ったことがある。だから、この本の中に、三省の「煩悩」が書いてあった時、三省と横一線に並んだ、感じがした。

7)でも、私の子供はテニス部だったので、野球部の影でコツコツ練習していた。それを父である私は見ていたし、子もまた、あれこれ用事をつくって学校に通ってくる父を見ていた。

8)私自身の父は、私が小学3年生になる前の春休みに亡くなった。6年もの長患いの中、自宅に戻らず、子どもたちに、十分なおもちゃさえ与えることなく、逝った。

9)父が逝った年、県内から県立高校の野球部が甲子園にいった。それから40年間、県立高校は甲子園に行ったことがなかった。

10)40年経過して、父が亡くなった病院の谷向かいにある、子供が通う県立高校が、県大会を勝ち抜き、夏の甲子園に行くことになった。実に40年ぶりの快挙である、と全県下からほめられた。

11)あれは、私の父が、父として、私にくれたプレゼントではなかったか、と思う。もちろん、すべては野球部の活躍が基本である。しかし、その場に出会わせてくれたのは、父の力があったはずだ、と、私なら思う。

12)私と子が、ひとつのグランドで動いている姿を、谷向かいの病院の窓から見て、私の父も満足であったに違いない、と、亡くなった時の父より年齢が上になった私は思った。

13)野球部で活躍する子供たちに一喜一憂する姿を読んで、三省と横一線に並んだような気分ではあったが、しかし、私が甲子園球場に子供達と挑んだのは、三省が亡くなった翌年だった。

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