森羅万象の中へ―その断片の自覚として 山尾三省
「森羅万象の中へ」その断片の自覚として
山尾 三省 (著) 2001/07 山と溪谷社 単行本261p
Vol.3 No.0330 ★★★★☆
1)月刊「アウトドア」誌に1991年1月~2001年3月に掲載された分が一冊にまとまっている。同じ雑誌に掲載されたという意味では、「ここで暮らす楽しみ」(1998)の続編にあたる。
2)出版された直後に三省は62歳で亡くなっているので、実際に手に取った最後の一冊に数えられる本だろう。
3)表紙が「森羅万象」といいつつ、緑一色に染め上げられているのは、病み続けていた三省の肉体が必然的に選び取った色であっただろう。
4)この本には、宮内勝典の名前が何度かでてくる。三省と宮内は対談集「ぼくらの智慧の果てるまで」(1995)を出している。
5)三省の最後は、1995年以降の、もっとも混沌とした時代であったわけで、私などにしてみれば、麻原集団事件とともに、にわかに視野に入ってきた宮内などは、ちょっと視点ばかりか、視力さえ弱くなって、ボケているなぁ、という感想を持っている。
6)もっとも、三省にとっては、一平くんこと宮内は、60年代前半において、サカキナナオとの出会いを作った存在であり、三省側からすれば、宮内は、申し出があれば、対談などは断りきれない位置にあっただろう。
7)「リトル・トリ―」についての高評価なども、どこか浮ついている。
8)三省という人、21世紀へたどりついたものの、あの911の前に亡くなってしまった人なのだった。
9)ぼくがこの本を通して、またこれまでの生涯を通して、必死に読者にお伝えしようとしてきたのは、聖なるもの、カミと呼ばれるもの、あるいはもっと伝統的に神仏と呼ばれてきたものは、個人の自由と合理精神という現代生活の基本条件のもとにおいても、何の差し障りもなしに充分存在し得る、ということである。p257「あとがき」
10)この点については、一読者として、自分の最終意見は保留しておく。事実としては、最後の最後に、彼自身が自らそう言わなければならなかったほどに、一般的には、三省はそう見られてはいなかったのではないか、ということ。
11)ひとつのカウンターパンチ、ひとつの「矛盾」とさえ、三省は見られていたのではないか。あるいは、わたしはそう受け取っている部分がある。
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