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2011/06/05

絶頂の危うさ<1> ゲーリー・スナイダー

【送料無料】絶頂の危うさ
「絶頂の危うさ」 <1>
ゲーリー・スナイダー/原成吉 2007/08 思潮社 単行本 239p
Vol.3 No.0291 ★★★★★

1)節々の痛みで目が覚めた。若い時は肉体疲労の回復は早かった。だが、年齢とともに、肉体はすでにピークをとっくに通過してしまっていることを痛感する。

2)風呂に入る。いつもより熱めにして、体を温める。熱さがマッサージ効果を生むのか、体の痛さがすこしづつ消える。

3)肉体の衰弱とともに、精神の衰弱も訪れていることに気がつく。心も疲れやすく、回復も遅い。ひとつひとつが気にかかる。

4)だがしかし、魂は結構元気だぞ、と自分で思う。体は精神の高揚についていけなくなり、精神は魂の高揚についていけなくなりつつある。、

5)肉体も初老の時代を迎え、心や精神も柔軟性が失われつつある。でも、魂は、転生を繰り返してきたという意味では決して若くはないのだが、それでも、光を求めて、活動し続ける。

6)山の椒で水を発見した。水があれば、あとは火だ。火と水、とくれば、まずお茶だが、水の安全性を確保するまでは飲料水として使うことはできない。まずは風呂だろう。

7)いつか、山の椒の火と水で風呂を沸かすことができるだろうか。温泉が湧かなかったために開発が途上で放棄された土地で、今、風呂を沸かして入る。痛快だな。

8)山の仕事に未だ体が馴染めないのだろう。いや精神もまだ十分馴染んでいない。だが、魂だけは意気軒昂だ。何かに突き動かされる如く、前へ行こうとする。

9)スナイダーのこの本、セントヘレナ山の想い出から始まる。時にスナイダー13歳。1943年。私は私なりに、彼の人生にダブらせて、自分の魂を見ることができる。そうそう、あの時、あそこで、こんなことがあった。

10)「人間中心の見方に、騙されてはならぬ」と道元は言う、
シッダールタはそれを吟味し、こっそり抜け出す----森を求めて---
----生と死の問題に集中するために。
p47

11)私もこっそりと抜け出して、森に行くことがある。たしかに生と死の問題に集中しようと思うこともある。だが、私の場合は、朝早く抜けだしても、昼ごろには帰ってきたりする。

12)欲しいものは----
24ミリ径の塩化ビニルの給水管
3メートルの煙突掃除用ブラシ

草刈り機の歯を研いでくれる人
丸太用の鎖、
隣人たちの春の仕事。

チェーンソーのおが屑
土がこびりついた
踏み鋤
リンゴの花とミツバチ p35「仕事の日」

13)私も給水管を求めている。16ミリ径でいい。草刈り機の歯は、ボロボロだけど、新しい替刃は用意してある。確かに土のこびりついた道具類も、誇らしくはあるが、たまには洗ってあげないとな。リンゴの花はどこにあるかわからないが、ミツバチは、いる。ニホンミツバチ。

14)スナイダーの60年以上にわたる追想が語られる。再定住者。場、なら、もうとっくに400年も同じところに暮らしている私の血族がいる。だが、これからはどうかな。

15)「メタコンシャス 意識を意識する」カテゴリはこの本で108冊に達した。次なるカテゴリは「森の生活」である。

<2>につづく

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