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2011/06/24

三光鳥―暮らすことの讃歌 山尾三省

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「三光鳥」 ―暮らすことの讃歌 
山尾 三省 山尾 三省 (著)1996/11 くだかけ社  単行本 104p
Vol.3 No.0331 ★★★☆☆

1)いつの頃からか、三省は、くだかけ社というところと縁ができたようだ。

2)「くだかけ」誌は、1993年の5月に逝去された在野の宗教哲学者であり教育者であられた和田重正先生と、子息の重良先生が展開して来られた、<暮らすこと>に根を置いた大変貴重で文字通り時代に先がけた教育誌であり、私としては長年この「くだかけ」誌に誌を連載させていただいていることを、深く感謝するとともに誇りに思っています。p103「あとがき」

3)三省関連リストを見ると、この『三光鳥』を初めとして、『新月』(1991)、『親和力』(2000)や 『山の時間海の時間』(2009山尾春美と共著)におさめられた詩が「くだかけ」誌に掲載されたようだ。この詩集におさめられたのは1991/07~1995/11月号のもの。

4)南無 淨瑠璃光
樹木の薬師如来
われらの沈み悲しむ心を 癒したまえ
p053「自分の樹」

5)いつの頃から三省は、南無浄瑠璃薬師如来、と唱えるようになったのだろう。今までのところ私が気がついたのは、この『三光鳥』(1996)の他には、  『屋久島のウパニシャッド』(1995)、 『南の光のなかで』(2002)、『原郷への道』(2003) でこの言葉が登場しているので、やはり1994~5年あたりから、ということになるだろうか。未読ではあるが『瑠璃色の森に棲む鳥について』(2001/立松和平と共著)などもあるので、その辺にヒントがあるかもしれない。

6)この言葉で驚いたのは、ゲーリー・スナイダーの『終わりなき山河』(1996)p74「瑠璃色の空」にも、でてくるからである。もっともスナイダーは英語だから、瑠璃ではなくラピスラズリであり、薬師如来ではなく、サンスクリットでBhaishajyaguruとなる。この二人は申し合わせて90年代中ごろからこの言葉を使うようになったのだろうか。それとも、シンクロニシティが起きたのだろうか。あるいはどちらかがどちらかへ影響を与えたのだろうか。

7)三省5冊目の詩集。43編の詩が収められている。

8)私という自我が消えて、世界とひとつに溶け合った時には、世界は私の外に存在する対象物であることを止めて、より深い私自身であったり、より喜びを秘めた私であったり、より静謐(せいひつ)な私である性質そのものになります。
 私の詩はすべて、誰もが日常生活の中で体験しているそのような時を、逃さないように記録したものといえるでしょう。
p102「あとがき」 

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38)森の生活」カテゴリの記事

コメント

三省関連はざっと40冊。8割方は図書館で読めそう。http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/1-7342.html

投稿: Bhavesh | 2011/06/24 23:10

「三光鳥」よく手に入りましたね。私の好きな詩集です。「親和力」は、最後に奈良の「賑わい塾」で三省さんにお会いしたときに、サインを入れていただきました。何度もお会いしているのに、サインをいただいたのは、この時が初めてで最後でした。「南無浄瑠璃薬師如来」・・・三省さんの声とこのことばはとてもマッチしていました。夜明けの蒼の色です。暗い夜の闇の底に、東の空から、薄青い光が広がっていくイメージ。三省さんはそれを希望の光だとおっしゃっていました。

投稿: hagu | 2011/06/24 22:48

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