人間の終焉 ビル・マッキベン
「人間の終焉」
ビル・マッキベン (著) 山下 篤子 (翻訳) 2005/8 河出書房新社 単行本: 360p
Vol.3 No.0302 ★★★☆☆
1)前著「情報喪失の時代」から約10年。マッキベンの著書にもネット社会の動向が色濃く反映されている。しかし、スタンスとしてはそれほど変わるものではなく、情報社会の大変革の中で、この人、ひたすらブレーキ役だけを引き受けてきたのだろうか、と、ちょっといぶかしくなる。
2)結局は、メソジスト・コミュニティにライフスタイルの軸足を置きながら、ジャーナリストというよりはサイエンス・ライター的な手法を使いながら、ひたすら警告を発し続けている人、というイメージが固まってきた。
3)「この宇宙は何処から来たのか」
「なぜ<無>ではなく、<何か>が存在するのか」
「意識をもつ存在には、どんな意味があるのか」
失礼なことは言いたくないが、私たちはそんなことのために人間であることを引きかえにするのだろうか? もちろんこれらの問いは、とくに最後の問いは、重要である。しかしきわめて重要というわけではない。テクノユートピアンは無視しているが、同じくらいに切実な問いはほかにもたくさんある。たとえば「夕食はなんにしましょうか?」、「あなたはどう思いますか?」、「よろしければ力を貸しましょうか?」、「あなたもずっと私を愛してくれますか?」p301「もう十分だ」
4)最終章になってこれらの言葉を見つけたのは、ささやかな幸いだった。だが、この結末なのだから、やはりマッキベンという人に感情移入できない自分がいることが理解できた。この人は、よくもわるくも西洋的良心派なのであって、東洋思想的精神性、無や空についての素養がないようである。だから、技術革新に歯止めをかけることによって、自らの精神性のバランスを取ろうとしているのだ。
5)この本において、「スピリチュアル・マシーン」(2001)、「ポスト・ヒューマン誕生」(2007)、のレイ・カーツワイルが引用されているところを面白くよんだ。メソジスト・コミュニティ的良心派においては、カーツワイルなどどうしても認めることはできない存在なのだろう。私も正直言って、ちょっと気持ち悪い、と思う。
6)しかしながら、「もう十分」と言う時、アーミッシュ的な前近代的なスタイルに留まることができない以上、遺伝子工学も含めて、さらなる「可能性」に突き進んでしまう必然性の前では、あまりに無力なように思う。
7)これらの技術革新に対置すべきは、良心ではなく「無」や「空」だ。意識のありようをさらに高めることによって、あるいは純化することによって、あるいは、本来あるべきところにあることによって、技術革新の流れに対応できる。
8)原子炉のようなモンスター・サイエンスは、いずれ自滅するしかないのだ。自滅させ、廃炉させたから、と言って、人間の究極の目的が達成されたわけではない。人間における、意識における、問いかけの、最初で最後、もっとも重要かつ、普遍的なテーマはなんであるのか。そこを対置していくしかない。
9)この本の英文タイトルは「ENOUGH : Staying Human in an Engineered Age」だ。日本語のタイトルは、十分ニュアンスを含めることができたのか、私は不満を持った。
| 固定リンク
「38)森の生活」カテゴリの記事
- 地球の家を保つには エコロジーと精神革命<3> ゲーリー・スナイダー(2011.08.04)
- わが家も太陽光発電 Asahi original(2011.08.04)
- よくわかる太陽電池 斎藤勝裕(2011.08.03)
- 自然エネルギーの可能性と限界 風力・太陽光発電の実力と現実解 石川 憲二(2011.08.03)
- プルトニウム発電の恐怖 プルサ-マルの危険なウソ 小林圭二他(2011.08.03)
コメント