スナイダー詩集 ノー・ネイチャー<2>
「スナイダー詩集 ノー・ネイチャー」 <2>
ゲーリー・スナイダー/著 金関寿夫/訳 加藤幸子/訳 2002/01 思潮社 単行本 233P
1)詩ってなんだろう。改めて考えた。
2)限りない自己へのこだわり、美の探究。
3)詩が文字の文芸で在る限り、真善美の、まずは美を持っている必要があるだろう。
4)スナイダーと三省を並べて見た場合、三省の方は、より美ととともに真に偏っているのではないだろうか。そして、スナイダーは、どちらかと言えば、善の人か。
5)アメリカで「ゲーリー・スナイダー」として知られている現象に対して、日本人が受けている情報は圧倒的に少ないに違いない。
6)であるがゆえに、少ないとは言われつつも、今、こうして読める詩を、ゆっくりと時間をかけて、読み進めるしかないと思う。
7)スナイダーは詩を作る時、自らがいる環境を、山や川、海や岩石、植物や動物たち、そういうものに触れないと、彼の詩にならないし、彼を語ったことにならない。なかなか、うまい「場所」に自分を連れ込んだものだ。
8)三省に比較したら、「涙」が圧倒的に少ない。いや、三省は「涙」が多すぎる。「神を求めて泣きなさい」。一見では、これは他力だ。
9)スナイダーは「禅」の人だもの、自力でしょう。
10)でも、まだ旅はつづいている。たくましく、慌てず、ある意味、優しく。ある意味、放浪。
11)スナイダーの全読み込みなど、当ブログではできない。永遠にそのチャンスは来ないだろう。だから、今与えられている作品群を、もうすこしミクロに読み進めていこう。
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