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2011/07/08

「タブーの書」<3> アラン・ワッツ

<2>よりつづく

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「タブーの書」 <3>
アラン・ワッツ (著), 竹渕 智子 (翻訳) 1991/01 めるくまーる 単行本  231p

1)山里勝己「場所を生きる--ゲーリー・スナイダーの世界」の中にアラン・ワッツの名がでてきた。

2)ルース・ササキは、日本語と中国語の出来る研究者との共同プロジェクトを必要としていた。ササキは、1949年、京都・大徳寺龍泉庵に米国第一禅教会日本研究所を設立し、曹渓庵が遺言で残した仕事と取り組み初める。

 ササキとスナイダーは、禅研究家として知られていたアラン・ワッツを介して知り合っている。ウェイレンにあてた書簡を読むと、スナイダーが1953年までにササキが編集した禅関係の書物をすでに読んでいたことがわかる。ササキはワッツの義母でもあった。山里勝己「場所を生きる」p57

3)つまり、アラン・ワッツは、ルース・F・ササキの娘と、何回か目かの結婚をしており、スナイダーは、カリフォルニア・文化の中で、「ZEN」を通じて、ワッツと知り合っていたのだろう。この出会いはとても大事で、ルース・ササキとの縁によって、スナイダーの日本・京都行きが具体化するのである。

4)東ネヴァダの広大な砂漠でヒッチハイクをしながら読んだこの文章が、若い人類学徒に強い印象を与えたことは想像にかたくない。後年のスナイダーの詩と思想は「人間であることのいみ」を執拗に追及する。

 その初期において、仏教を媒介にしながら新たな人間観を模索する動きが見えるのもきわめて興味深いが、1956年のスナイダー初来日の背景を考えるとき、鈴木大拙の影響はきわめて大きいと言わねばならない。山里勝己「場所を生きる」p50

5)スナイダーを、わが読書のハブ空港と考えた場合、ここからアラン・ワッツや鈴木大拙へと飛び立つことも可能だろう、とは思う。そう思って、すこし読み始めたワッツではあったが、いまいちノリが悪い。

6)Alan Wilson Watts (6 January 1915 – 16 November 1973) was a British philosopher, writer, and speaker, best known as an interpreter and popularizer of Eastern philosophy for a Western audience.Wikipediaより

7)というように、ワッツは西洋の聴衆に対する東洋思想の紹介者ではあっただろうが、東洋側から見れば、必ずしも注目すべき東洋を開く思想家ではなかった可能性がある。現に25冊ほどあるワッツの英文の著書は、わずかに2冊が邦訳されるに留まっている。

8)「タブーの書」の翻訳者・竹淵智子は、訳者紹介を見る限りOsho門弟であり、どこかでOshoがワッツに触れていることや、Osho「私が愛した本」がワッツに捧げられていることなどから、この本を邦訳する機縁が生じたのではないだろうか。

9)2冊あるワッツの邦訳のうちのもう一つの「心理療法 東と西」もなかなか面白い本だが、ワッツの全体像が紹介されるまでには至っていない。当ブログはそれでも果敢に(汗)、ワッツの英文「The Way of Zen」「This Is It」などにチャレンジしてはみたが、必ずしもワッツの姿をとらえきれてはいない。

10)思わぬ収穫だったのは、「エスリンとアメリカの覚醒」の中に大量のワッツ関連の記述があったことだった。いかにも人間らしい姿のワッツが描きだされているが、まだ、この段階では、東洋趣味の西洋人が、西洋の中で、東洋を語っている、という風景を脱してはいない。

11)ワッツがなくなったのは1973年であり、スナイダーが日本からアメリカに帰国したのは1968年。この間、二人は、限りなく再会する機会はあったのだろうが、再会した、という記述はまだ見つけていない。

12)かくいうスナイダーではあるが、こちらもかなりの出版数を数えているはずなのだが、日本で発行されたのはわずかに7冊。主要な著書は邦訳されているので、これでいいのかもしれないが、スナイダーの実像そのものは、アメリカにおける影響力に比べれば、はるかに日本におけるそれは小さいと言える。

13)当ブログにおいては、禅よりも「ZEN」に関心を持つウエイトが大きく、いきおいスナイダーあたりの活動に期待をしてしまうのだが、1998年に日本の仏教伝道協会より「仏教伝道文化賞」を授与された、とはいうものの、より本格的な、禅もZENも乗り越えたところでの地球文学、というところまでは到達しているのだろうか。

14)逆に、三省などもあれだけ本を書いているのだが、英文に翻訳される機運はあるのだろうか。

15)あるいはまた、1981~1985年当時、アメリカに滞在したOshoの顛末は「OSHO:アメリカへの道」などにも一部活写されているが、この間もスナイダーとOshoは限りなく物理的な近距離にいたわけだから、なんらかのクロスする地点があってもよさそうなのに、と思う。その点、「エスリンとアメリカの覚醒」の中では、Oshoとエスリンの、まさに「エンカウンター」が描写されていて、興味深い。

16)ときどき考えることだが、哲学的論争というものはすべて、「とげとげ」一派と「ねばねば」一派の争いに矮小化できるのではないだろうか。とげとげ派の人々は現実的で厳格で堅苦しく、ものごとのあいだの差異や区別を強調するのが好きだ。

 彼らは、波よりは微粒子を、連続よりは不連続を好む。ねばねば派の人々は感傷的なロマンチストで、幅広い普遍化や壮大な統合を愛する。彼らは、根底にある一体性を強調し、汎神論や神秘主義に傾きやすい。物質の究極的な構成要素としては、微粒子よりも波のほうが彼らにはずっとしっくりくる。(後略)ワッツ「タブーの書」p199

17)たんなる個人的な読書ブログである当ブログは哲学的論争とはいいがたいが、この例で言えば、決してとげとげ派ではなくて、あえて分類するとすれば、ねばねば派ということになろう。繋がりや「壮大な統合」を夢見ているのは事実である。

18)正反対の頂点というのは極であり、極は一方だけでは成立しないのだという実感をもたなければ、そのプロセスは退屈きわまりないものだ。ねばねばなくしてとげとげはなく、とげとげなくしてはねばねばもないのである。ワッツ p201

19)ワッツが西洋の聴衆に受けたという理由がわかる。このイギリス人のウィットに東洋思想を絡ませるのだから、当時、確かに大衆を魅了したことはわかる。

<4>につづく

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