思想としての3・11 河出書房新社編集部
「思想としての3・11」
河出書房新社編集部 2011/6 単行本: 206p
Vol.3 No.0367 ★☆☆☆☆
1)タイトルこそいかめしいが、この本に「思想としての3・11」の熟成を求めることはできない。つまりは、3.11を思想界はどう受け止め始めているか、というイニシャル・イメージでしかない。思想界とは、いわゆる「口舌の徒」達、ということである。
2)「3.11」という単語はどれだけ一般化し、今後、どれだけ熟成されていくかは未知数ではあるが、現在進行形で体験されているものは、地震、津波、原発事故であり、これを地震名とか津波被害とか、あるいは放射性物質濃度の変化だけなどで、表現できるものではない。表現としては、「3.11」と総称されることは正しい。
3)当ブログにおいては、原発事故はまず置いておいて、地震と津波にテーマを絞ってきた。津波についても、自らのものとしては語りきれないので、いきおい地震にウェイトがあった。その地震もそれなりに収まりつつあり、津波による被害も全体像がすこしづつ見えてきた段階で、実態被害としての原発事故の影響が、新たなる大きな心配事になりつつある。
4)3.11。その総称はこれでいいだろう。しかし、「思想」としての3.11など、今のところ、だれにも表現できるものではない。この本は17名以上の「思想家」たちが、4月末の段階で、インタビューを求められて、簡単にコメントを書き連ねているにすぎない。しかも、具体的な情報や体験に基づくものなど、ごくごく微少である。
5)鶴見俊輔、吉本隆明、木田元、山折哲雄、加藤典洋、廣瀬純、など名の通った書き手たちが、求めに応じて短文を寄せているが、ほとんどどれも意味がない。あとあとになれば、まずはここから始めたのだ、ということは言えるかもしれないが、ここに表現されている「思想」などなにもない。
6)南三陸町の中学校A校長に質問してみた。彼は海岸線を車で走っていて一命を取り留めたものの、両親ともども、自らの中学校体育館に避難しながら、校長室に今でも通っている。今、一番必要なものはなんですか。「食糧。食べるものです」。今、ボランティアに一番求めたいものは何ですか。「瓦礫撤去です」。
7)答えは明快だ。明快すぎる。ここで「思想」など、どのように役立てればいいのだろう。食糧は毎日必要なものだ。いまだに食糧が不足しているなんて、被災地以外では考えられない。瓦礫撤去も、いずれは終了するだろう。終了させるしかない。しかし、目途はまったく立っていない。いずれは終わるだろう。だが、にわかに駆けつけたボランティアなんかに全量撤去などできるわけはない。
8)何を復興というかは不明だが、復興にどれだけ時間が必要ですか、と聞いてみた。「5年」。と言いつつ、すぐ「10年」と言いなおした。そして、すこし間をおいて、「20年」と言いつつ、頭をひねった。多分20年でも無理だな、と心の中では思いなおしていたに違いない。
9)いずれは3.11被害から、復興することができるだろう。そして、いつかは「思想としての3.11」が熟成していく必要があるだろう。だが今は無理だ。今は現実のほうが圧倒的に存在感を示し続けている。
10)いずれは食糧も足り、瓦礫撤去も目途が立ってくるだろう。その時、思想もまた、力を持ち始めるに違いない。その時の為の、まずは助走、というべき一冊として、この本を認知しておくことはやぶさかではない。だが、今、その価値は無に等しい。、
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